澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

もう一つの国慶節

2009年10月24日 07時50分21秒 | Weblog

今朝の「産経新聞」に「もう一つの国慶節」という興味深い記事を見つけた。「緯度・経度」欄に伊藤正記者が書いている。
この記事のネタは、次のウェブサイト。河北省の万安という寒村で行われた国慶節の模様を見ることが出来る。

http://you.video.sina.com.cn/b/25019135-1651667805.html

今年10月1日、中華人民共和国は、建国60周年を迎えた。北京などの大都市では、中国革命、中国共産党を賛美する数々のパレード、催しが開かれた。
一方、万安村では、手作りの廟に毛沢東、周恩来、朱徳の座像が飾られ、その左右には中共軍十大元帥の写真が飾られている。その中には、毛沢東の暗殺を企てたとされる林彪の写真も含まれている。さらに、座像、写真の周りには、村民のお布施(!?)なのだろうか、名前が書かれ寄進額が「100元」などと記入された布がかかっている。

 
毛沢東(右)と蒋介石~そのルーツは同一

村民達が歌うのは、文革時に革命歌とされた「東方紅」「三大規律 八項注意」など。「偉大な領袖・毛主席」「偉大な中国共産党」など、昔懐かしい言葉が次々と出てくる。まるで’60年代にタイムスリップしたかのような光景だ。
高層ビルが乱立し、札束が飛び交う北京、上海、大連などの大都市と違って、河北省などの西北部は、繁栄から取り残されている。その中でも農村の生活は、昔とあまり変わりがないように見える。

文革期に、互いに「革命派」を名乗り殺し合った過去も、今や懐かしい記憶なのだろうか? この村では、馬祖を奉るべき廟が、共産党の指導者を讃える祭壇に代わっただけだ。伝統的な中国社会は、何も変わっていないかのようだ。
その昔、日本の文革礼賛知識人は、当時の中国を「新しき革命」「文明の再鋳造を目指す中国」などと持ち上げた。いま、ご存命の方にはぜひ、上記のウェブサイトをご覧いただき、感想をいただきたいものだ。

ここには、確かに「もう一つの国慶節」「もう一つの変わらぬ中国」が映し出されている。

【もう一つの国慶節】 伊藤正(「産経新聞」2009.10.24) 抄録
「…同じ日に北京で挙行された豪勢な慶祝行事とは無縁。老人を中心とした数十人の農民が、歌と踊りで革命の先達に感謝を捧げる集いだった。…広場の”毛沢東記念館”が行事の中心だ。…正面中央に毛沢東、その両側に周恩来、朱徳の手製座像が置かれ、それぞれに供え物があった。まるで神棚のように。
…ひとしきりの歌と踊りの後、村民達は毛沢東の座像に向い三回頭を下げる礼を捧げた。
…万安村の老婦人は、国家の繁栄を喜んだが、この一見して貧しい山村は繁栄から取り残されているかに見える。祝賀行事に青壮年の姿はなく、出稼ぎに行っているのだろう。それでも、老人達には、革命で解放され、国の主人公になったという自負心が感じられた。
彼らのなかでは、時計は毛沢東革命の時代で止まっているかに見える。ただそこに、中国人が豊かさのみを追求するあまり忘れてしまった何かがある。社会の公正、正義を目指した革命の原点だ。」

  






 


真犯人はどこに? 「菅家さん」でなければ…

2009年10月21日 11時43分16秒 | Weblog

マスコミをにぎわしている「菅家さん」の冤罪事件。今日から再審が始まるようだが、次のような報道が行われている。

菅家さん「真犯人、別にいる」 足利事件再審初公判で

10月21日(水) 11時13分

共同通信

 栃木県足利市で1990年、保育園児松田真実ちゃん=当時(4)=が殺害された足利事件で、殺人罪などで無期懲役が確定、その後釈放された菅家利和さん(63)の再審初公判が21日、宇都宮地裁で開かれた。菅家さんは起訴状の内容をあらためて否定し「わたしは松田真実ちゃんを殺していません。真犯人は別にいます。17年半苦しんできました。真相を解明する無罪判決を求めます」と述べた。

すでに時効になったとはいえ、真犯人が別にいるのであれば、ぜひ真相を解明してほしいものだ。
ずさんなDNA鑑定が問題になったが、鑑定のやり直しでは「菅家さん」のDNAではなかったということが分かったに過ぎない。最近気になった報道では、被害者の家族のDNAを誤って鑑定したのだという報道もあった。これは、DNA鑑定の出発点から対象を間違えていたためで、警察の失態であることは間違いないが、かといって「菅家さん」の無実を証明するものとは必ずしも言えない。

「菅家さん」は、TVのインタビューで、事件当日、被害者の女の子とはパチンコ屋で会い、可愛いので外に連れ出したと言っているようだ。これは一般論だが、もう一人の真犯人が同月同日、同一の場所で、その女の子を狙っていた確率は、いったいどのくらいあるというのだろうか?警察が菅家さんを逮捕したのは、本人も認める疑わしさがあったからに過ぎない。

初動捜査の方法がそもそも誤りで、それを法律論的に指摘されたが故の「無罪」判決。かといって、真犯人が捕まった訳ではない。「菅家さん」も「真犯人は別にいる」と言うのだから、判決が出た後はぜひ、警察と協力して”真犯人”を究明してほしいものだ。そうでないと、被害者家族は浮かばれないだろう。 

 


このブログを誰が読む?

2009年10月08日 10時46分44秒 | Weblog

いろいろな人のブログを眺めていると、どれだけ読まれているのだろうかと思うことがある。他人事ではなく、私のこのブログも極めて少数の人に読まれているに過ぎない。

(澎湖島・白沙)

ブログについて、毎日のデータを確認しているが、これまで最もアクセスがあったのが、1日340人、700ページほどで、そのときは3400位(130万ブログ中)あたりだったと思う。通常は、110~130人で、平均250ページくらいだ。110人くらいでは、1万位までには入らず、順位は表記されない。

(旧・花蓮駅舎)

その日のニュースやら話題を貼り付けるとそれなりのアクセスがあるので、そんなことを試みたことがある。ずっと前に書いた、民主党・姫井由美子議員のスキャンダルや、浅井基文・広島市立大学教授の北朝鮮擁護発言など、今なおアクセスする人がいるのには驚く。何の内容もないので、できればアクセスして欲しくないと思うくらいだ。

(台北植物園)

たとえ少人数でも、共感を持って見ていただけるような内容にしたいのだが、ただただ暗中模索…・。台湾と音楽について語ろうと思うのだが、持ちネタは少ない。
このところ、許世楷著「日本統治下の台湾」(東大出版会)と格闘中だが、なかなか進まない。昔だったら、もっと読むのも理解も早かったのにと、自らの老化に驚く。



 


「サヨンの鐘 」を聴く

2009年10月06日 03時54分05秒 | Weblog
映画「練習曲~単車環島日誌」(2006 台湾)の中で、自転車で台湾を一周する主人公が宜蘭(イーラン)に立ち寄る場面があった。そこには「サヨンの鐘」の碑が建てられ、多くの観光客が訪れる場所となっている。
映画では、台湾の原住民のひとつであるタイヤル族の老女達が、日本語らしい歌を歌う場面が出てくる。「…丸木橋…」という言葉が聴き取れるのだが、その歌の由来は分からなかった。

(映画「練習曲~単車環島日誌」)

調べてみると、日本統治時代、タイヤル族の娘・サヨンは、離任する日本人教師を送りに山を下りるが、その帰路、台風で増水した河に流されてしまう。その出来事は美談として伝えられ、1942年、李香蘭主演で映画化(下記の映像)された。
上記のタイヤル族の老女の歌は、古賀政男作曲、西条八十作詞、渡辺はま子の歌唱によってレコードになっていた。
もう80歳を超えた老女が、今なおこの歌を覚えていて、歌っているのが驚きだった。最新の台湾映画の中にも、日本と台湾の”刻まれた歴史”が現れるのが実に興味深い。
現在宜蘭にある「サヨンの鐘」は、10数年前に再建されたものらしい。映画「練習曲」の中では、「これはレプリカです」とだけガイドが説明している。それでは、日本統治時代の「サヨンの鐘」はどこに行ったのか?と思ったら、中国国民党政府が撤去を命じたのだそうだ。40年にも及んだ国民党独裁時代には、日本語はもとより日本統治時代を想起させる事物はすべて禁止・廃棄された。にもかかわらず、現在の台湾では、日本統治時代を見つめ直そうとする気運が高まっている。これは素晴らしいことだ。

(映画「サヨンの鐘」のポスター)

李香蘭主演の映画については、国立民族学博物館で上映された際の解説文があるので、引用させていただく。


【サヨンの鐘上映会の解説文】
「サヨンの鐘」(1943年/75分)
今回のみんぱく映画会では、1943年に封切となった松竹映画「サヨンの鐘」を上映します。
映画「サヨンの鐘」は第二次大戦以前の台湾でおこったある事故がきっかけとなり製作されました。1938年、日本統治下の台湾の宜蘭県にあるタイヤル族の村に赴任していた一人の日本人警官に召集令状が届きました。その警官は普段から村人の面倒をよく見たり、学校の教師もつとめたりして、村人や学校の生徒からとても慕われていました。警官が村を離れるとき、村人たちは彼の荷物を運びながら見送ることにしました。その中に当時17歳の少女サヨンがいました。下山の日は運悪く暴風雨となり、川はいつになく増水していました。荷物を背負ったサヨンは足を滑らせ、川の激流に飲み込まれ、そのまま帰らぬ人となったというものです。
当時の台湾総督は、出征する恩師を見送るために少女が命を犠牲にした愛国美談としてこの事故を扱い、サヨンの村には記念の鐘が贈られました。さらに、この愛国美談は、西條八十、古賀政男という当時の流行歌のヒットメーカーにより、「サヨンの鐘」という楽曲として台湾全島で流行しました。そして、この大ヒットに便乗して1943年に製作されたのが、李香蘭(山口淑子)主演の映画「サヨンの鐘」です。
開催中の企画展「臺灣資料展」の展示資料は1930年代を中心に収集されたものであり、「サヨンの鐘」からは、この時代の台湾の原住民社会の様子をうかがい知ることができます。また、当時の日本が表象した台湾原住民の人々を克明に伝えてくれると思われます。「皇民化」の号令とともに、台湾の人々は日本人としてのアイデンティティをさまざまな形で植えつけられていきます。満州映画界のスター李香蘭を起用した、まさに国策映画として製作された「サヨンの鐘」もそれを進めていく一つの手段とも言えるでしょう。一方で、植民地主義という言葉だけではかたづけることができない、台湾の人々と日本人との関係が当時の台湾にあったことも事実です。映画会では、横浜国立大学教授の笠原政治先生をお招きし、台湾原住民の人々と日本人とが共有した歴史を読み解く機会ももちたいと考えています。
当時の台湾の人々にとって、「日本人」であるということはどういうことだったのかを考えることは、現在の我々にとって、多文化社会のなかのアイデンティティのありかたを考えるうえで、何かしらのヒントを与えてくれるはずです。

〈出演〉李香蘭(山口淑子)、近衛敏明、大山健二
〈監督〉清水宏
〈脚本〉長瀬喜伴、牛田宏、斎藤寅四郎
〈音楽〉古賀政男
〈製作〉台湾総督府・満州映画協会・松竹株式会社



サヨンの歌 - 李香蘭



夫婦別姓法案のウラ側

2009年10月01日 13時27分50秒 | Weblog
民主党政権の千葉景子法務大臣が、夫婦別姓法案を国会に出すと明言した。この人、タレントのエド・はるみに似ているのだが、見かけとは裏腹にかなり過激な思想の持ち主のようだ。

夫婦別姓を認めることで男女平等を図る、在日外国人に選挙権を与える、不法在留外国人にも一定の権利を認める…自民党政権下では実現する可能性が低かった施策が、次々と法案化され実現されようとしている。

かつてアグネス・チャンがTVで「中国では夫婦が別姓。ちゃんと男女平等が実現している」とぬけぬけと語ったことがある。冗談ではない。中国人は、氏族単位で墓をつくるので、その氏族の外から嫁いだ女性は元の氏のままでいるというだけのことだ。”小中華”を自負する韓国・朝鮮半島でもこれは同様。アグネス・チャンがそのことを知らなかったはずはないので、中国のイメージを高めようとして、故意にウソをついたに違いない。

日本には日本のアグネスがいる。ひとつの事象を自分との関わりだけでしか捉えられないので、結果的にはとんでもない判断をする連中だ。千葉景子もそのひとり。弁護士だから優秀なのだろうと、マスコミはTVのバラエティやコメンテーターに弁護士を起用している。だが、実際の弁護士は、狭い法律知識の中で駆け引きをする連中ばかり。思想や理念などとは最も遠い存在だ。

夫婦別姓法案が通れば、身近な話として、○○家の墓はどうなるのかという疑問が生じる。日本は、氏族単位ではなく、家族単位の墓なので、中国と同じにしてしまえというのはとんでもない暴論。中共による大躍進、文革等の暴政が続いても、中国の血縁社会が崩れなかったのは、夫婦別姓を含む氏族社会のおかげだ。

この夫婦別姓法案は、”日本らしさ””日本人の原点”を根底から覆すものだ。鳩山氏が主張する「東アジア共同体」実現への布石とでもいうのだろうか。
一見”民主的”なものには、実はウラがある…。民主党政権の危うさを実感する。

澎湖島・住民投票でカジノ化計画を否決

2009年09月27日 21時50分52秒 | Weblog

台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島の中心地・馬公にカジノを設けようとする計画が進められてきたが、住民投票の結果、カジノ誘致案は否決されたようだ。

過疎化対策の一環として進められた計画だったが、住民ははっきりと「NO」の意思表示をした。
カジノを目的に中国大陸からの成金観光客が多数訪れるようになっては、せっかくの美しい海、自然環境も破壊されるだろう。かつての軍事的要衝が、ギャンブルの街になってしまうのは、あまりに変わりすぎだと思うので、今回の結論に喜んでいる。

【台湾の声】が伝える情報は次の通り。
9月26日に離島の澎湖県でカジノ開設の是非を問う住民投票が実施された。投票結果は、賛成43.56%、反対56.44%でカジノ開設が否決された。この結果に対し行政院は、澎湖県民の決定を尊重するとしている。

台湾には、住民投票を適正に実施できる社会環境が整っていることを示すとともに、政府もこの投票結果を尊重すると確約した。これは、中国大陸ではおよそ考えられないことであり、台湾の民主主義の成熟、台湾人の民度の高さを示すものだろう。


ある両岸関係~身近な「中国と台湾」~

2009年09月27日 17時39分51秒 | Weblog

サイクリングの途中で見かけた「○○市国際交流市民祭」。
会場の公園では、ラテン音楽のライブが行われ、世界各国料理の模擬店が軒を並べる。

 (五星赤旗がはためく)

南アメリカ、オセアニア、アフリカなどと並ぶ横には、アジアの店。中国の模擬店はこのようになっていた。

(左が台湾、右は中国)

台湾のテントではビーフンを販売。中国は、民芸品を売っている。とても仲良く。



この国際交流フェスティバルでは、中台合作はもう実現している。東アジア共同体もなんとかなりそうだ…?

だが、台湾と中国の違いをどれほどの人が知っているのか心配になる。 


映画「海角七号」のウェブサイト開設

2009年09月18日 10時32分42秒 | Weblog

「海角七号」は、来春、東京の「銀座シネスイッチ」他で公開されることが決まった。9月29日には、試写会も開かれる予定だ。
この映画をPRするために、新たに日本語のウェブサイトが開設された。

http://www.kaikaku7.jp/

日本語のタイトルは、「海角七号(かいかくななごう)~君想う、国境の南」となった。
ウェブサイトには、この映画を紹介する映像も貼り付けられている(日本語字幕付き)ので、ぜひ、多くの方々に見てもらいたいと思う。

海角七号 2枚組特別版(台湾盤) [DVD]

得利

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李登輝・講演録

2009年09月08日 18時58分45秒 | Weblog
【李登輝講演録一】竜馬の「船中八策」に基づいた私の若い皆さんに伝えたいこと
         
       二〇〇九年九月五日(日比谷公会堂)
 
                          李登輝





一、はしがき

  栂野理事長、安藤副理事長、ご来賓の皆様、青年会議所の会員の皆様。こんにちは!台湾の李登輝です。

 今年の四月三日、東京青年会議所の栂野慶太(トガノ ケイタ)理事長、安藤公一(アンドウ タカカズ)副理事長をはじめ、幹部の方々が台湾を訪問され、九月五日の「東京青年会議所六〇周年記念フォーラム」で講演するよう、私のもとにわざわざ依頼にいらっしゃいました。せっかくのご依頼でしたので、熱心な日本の若き青年に対して、日本人としての誇りを再確認していただきながら、目前に存在する日本の政治的行き詰まりを打開する方法についてお話しできないかと考えてまいりました。

『折しも、日本では民主党政権が誕生しました。日本国民の民意により、鳩山内閣が発足することを心よりお祝い申し上げます。今後日本で、二大政党による、よき政権交代が行われるかどうか、定着するかどうかは、鳩山民主党政権が国民から評価される政治を行えるかどうかにかかっています。僭越ながら、新しい総理大臣が、つねに国民の幸福、安寧を第一に考えられるようにと申し上げたく思います。

と同時に、日本が国際社会から一層の尊敬を受けるような外交政策を展開されるよう期待しております。ぜひ日米協調路線を基軸に大陸中国と節度ある交流をするとともに、独立した存在としての台湾との一層の連携強化に取り組んでいただきたいと思います。』

日本政治が大きな転換点を迎える、この節目にあたってどのようなお話をすればよいか、色々と考えた結果、本日は、坂本竜馬の「船中八策」に託してお話ししてみようと思います。



 二、坂本竜馬の「船中八策」

 近代日本の幕開けに欠かすことの出来ない人物と言えば、まず坂本竜馬でしょう。徳川幕府の末期、倒幕、佐幕と各藩が分裂していた頃、又倒幕派も薩摩、長州という大藩が分かれていた中で、これをうまく調停して日本を戦火から救ったのは、奇才坂本竜馬でした。彼の生涯は僅か三十三年に過ぎませんでしたが、明治維新の成功に彼の遺した業績は素晴らしいものでした。

現代日本の課題を考える人々の心中にも彼の精神は生き続けています。多くの作家が違った表現で竜馬を語っています。「海を翔ける龍」、「竜馬がゆく」、「竜馬が歩く」と云われる様に、土佐藩を脱藩して勝海舟の門下に入った竜馬が暗殺されるまでの五年間に、竜馬は地球を一周するくらい、海に陸にと旅をしています。彼は忙しく動き回り、新しい国づくりに全身全霊を注ぎました。中でも大仕事だったのは、倒幕に対する薩長両藩の異なる意見を調整することでした。

 この間に彼の行った政治活動は数え切れない程多いものでしたが、中でも、「船中八策」は、彼の遺した最重要の政治的功績ではないかと思います。大政奉還への動きを促進すべく長崎から京都に上る船の中で、「国是七条」を手本に、竜馬が提示した新しい国家像、それが「船中八策」です。将軍が新しい国づくり案を理解し、幕府が政権を朝廷に返せば、内戦なしで日本は近代国家に生まれ変わる。そうした希望を託した日本の将来像「船中八策」は次のようなものでした。

 一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。

 一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。

 一、有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。

 一、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。                         
 
 一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

 一、海軍宜しく拡張すべき事。

 一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。

 一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 
 以上八策は、方今(ほうこん=この頃の)天下の形勢を察し、之を宇内(うだい=世界)万国に徴するに、之を捨てて他に済時(さいじ=世の中の困難を救う)の急務(=日本を急いで救うための手立ては)あるなし(=あるはずもない)。苟(いやしく)も、此(この)数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立(へいりつ)するも亦(また)敢て難しとせず。伏して願くは公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下と更始一新(こうしいっしん)せん。
 
 この「船中八策」には、幕府と藩に代わって議会制度を持つ近代国家「日本」の実現を目指す竜馬の心がよく表れています。大政奉還がなり、朝廷の許しを得た後、竜馬は喜びのうちに、「船中八策」をもとにして、新しい政府のあり方についての新政府綱領を書き上げたと言われています。
 明治政府成立後に示された五箇条の御誓文や政治改革の方向は、やはり竜馬の「船中八策」に沿うものでした。



 三、坂本竜馬の「船中八策」に託した江口先生の私への提言

 明治維新を動かした憂国の志士は丁度みなさんのような三十代前後の青年達です。徳川末期の若者達が、その置かれた立場の違いにもかかわらず、申し合わせたように政治改革の必要性を感じ取っていたことは実に印象的です。
忘れてはならないことは、竜馬が長崎から京に上る船の中で、改革案を八箇条にまとめたことに表れているように、当時の青年達は、ただ血気にはやってことを進めたのではなく、よく国勢を了解し、国運を己の使命と受けとめて活動していたということです。

 竜馬の「船中八策」は、古今を問わず、日本の若い青年を鼓舞するものであり、若い青年たちの命を賭した実践は、永く歴史の記憶に刻まれています。
 日本だけではありません。日本と同じく周囲を海に囲まれた台湾に住む私自身も、「船中八策」に大いに励まされてきたのです。

 平成九年(一九九七年)四月二十九日、私が総統として台湾の民主化と自由化に努力奮闘している時、PHP総合研究所社長の江口克彦先生から竜馬の「船中八策」に託した激励のお手紙と提言をいただきました。
 
 江口社長は、私にとってきわめて重要な友人のひとりでありますが、とくに、当時の台湾が置かれていた内外の情勢と私の主張を実に適確に理解しており、「船中八策」に託しての私への提言は非常に意義深く、総統である私に大きな勇気を与えてくれるものでありました。

 江口社長の提言は又、台湾に住む我々にも坂本竜馬の「船中八策」は、非常に重要な政治改革の方向であったこと。これが私の言う脱古改新、即ち中国的政治文化に対する離脱であったと共に、私たちにとっても、誇りを持って実践に当たる使命感が強化されました。時間の都合上、本日の講演では江口社長の台湾の提言は、残念ながら割愛せざるを得ません。
 四、「船中八策」に託した私の日本への提言

 明治維新は、東西文明の融合を促進し、日本をして封建的制度から近代的立憲国家へと発展していく方向を決めた政治改革でした。それにより、日本が世界五大強国に列せられる基礎が作られたのです。その後日本は、第二次世界大戦に敗戦国となりましたが、焦土の中から立ち上がり、ついに世界第二位の経済大国を創り上げました。政治も大きく変化しました。民主的平和国家として生まれ変わり、世界各国との友好・共存関係を築いてきました。

 しかしながら、現在の日本は戦後に於ける種々の束縛から抜け出ることが出来ず、窒息状態に置かれています。
 今こそ、明治維新と並びうる平成維新を行うべき時でしょう。そこで、江口克彦先生に倣って、私も竜馬の「船中八策」に託して、今後の日本の政治改革の方向についての私見を、若い皆さんにお話してみようと思います。
日本の内情について台湾人である私があれこれ申し上げるのは差し出がましいことと承知してはおりますが、日本の外側の、心ある友人からはこう見えるということでお聞きいただければと思います。
ではまず、「船中八策」の第一義です。 

 第一議・・天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
 何よりもまず、主権の所在を正さねばならないということです。戦後の日本は完全な自由民主主義国家となりました。しかし、政治家と霞が関官僚と一部の業界団体が癒着する既得権政治が今なお横行しており、真の意味で国民主権が確立しているとはいえないのではないでしょうか。

 官僚主導政治を許している根本原因は、私の見るところ、総理大臣の政治的リーダーシップの弱さにあります。日本の総理大臣は、アメリカ合衆国の大統領や台湾の総統のように、国民の直接投票によって選出されていません。小選挙区比例代表並立制という特殊な方法で衆議院議員が選ばれ、その議員の投票結果で総理大臣が決まっています。総理大臣の政策実践能力が弱いのは、ひとえに国民の直接的な支持を得ていないことによるものと考えます。

 しかも、一般の国民が、国会議員になることは容易ではありません。その典型が世襲議員ですが、彼らは、父親から、たとえ能力がなくとも、旧来の地縁、血縁を引継ぎ、担ぎ上げられ、議員に決まってしまっています。いわば、烈々たる使命感、日本という国を良くしたい、世界から尊敬される国にしたいという強烈な志を持って政治の道に進むのではなく、単なる職業とか家業として政治家になる議員が多いのではないでしょうか。

 このような状況は主権在民という民主主義の原則に反しているのではないでしょうか。また、それゆえに、たとえ総理大臣になっても、志も、実践能力も弱く、国民の期待に、ほとんど応えることもできないということになるのではないかと思うのです。

 それは、やはり国民の意思を直接受けていない総理大臣、いわば、総理大臣の後ろに国民がいないからであり、また、それゆえに、国際的においても、自信に満ちた発言や提案をすることも出来ず、さらには世界各国から、必ずしも日本が尊敬されない原因になっているのではないかと思うのです。

 
 第二議・・上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
 竜馬は立法府について言及していますが、広い意味での「国のかたち」を論じたものと解釈できるでしょう。今日の日本の「国のかたち」の最大の問題は、都道府県行政が、法的にも制度的にも、霞が関官僚の意向にしばりつけられており、地域のリーダーが十分実力を発揮できなくなっていることではないかと思います。

 日本の雑誌、新聞を読んでいると、このところ、日本では、勇気ある知事の人たちが出てきて、国政にも影響を与えるようになってきているようです。すみやかに霞が関官僚体制、言い換えれば、中央集権体制を破壊して、「新しい国のかたち」に転換する必要があるのではないかと思います。最近、日本では、地域主権型道州制の議論が盛り上がりを見せているようです。その方向で、日本は「国のかたち」を代えることが望ましいのではないでしょうか。

 地域のことは地域に任せ、権限も財源も委譲する。そして、それぞれの地域が自主独立の精神で独自の政策を展開し、競い合って日本を高めていく。社会の閉塞感を打ち破るには、中央集権体制を打破転換する地域主体の発想が不可欠でしょう。若い皆さんが、先頭に立って、新しい国・日本をつくる活動を展開されることを期待しています。 


 第三議・・有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
 資源を持たない日本にとって、人材こそが何よりも重要であることは言うまでもありません。日本の未来を担う人材をどう育成していくか。日本においては、日本人の高い精神性と自然とが調和して、禅や俳句など、独自の美意識をもつ文化、芸術が生み出されてきました。こうした日本文化を背景に、品格と価値観を、よくわきまえた教育者が、教養を中心に教えていたのが、私の受けた戦前の日本の教育でした。

 これからの日本の教育は、高い精神性や美意識といった日本人の特質を更に高めていくものであるべきでしょう。そのためには、戦前の教育の長所を思い起こし、戦後のアメリカ式教育から離脱し、日本本来の教育に移行していくことが必要です。

 安倍内閣時代に教育基本法の改正がなされましたが、今後更に日本の伝統文化に適った方向に教育を改革していくことが求められるのではないでしょうか。私は日本人の精神性や美意識は、世界に誇るべきものだと考えています。


 第四議・・外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。
 現在の日本外交は、敗戦のトラウマによる自虐的、かつ自己否定的精神から抜け出せていないように思います。反省は大事なことです。しかし、反省も過ぎては自虐、卑屈になってしまいます。自虐、卑屈の精神では、健全な外交は不可能です。そのような考え方では、世界中から嘲笑されるばかりです。事実、いまだかって、私は「尊敬できる日本」という言葉を聴いたことがありません。
 
 アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐわないものです。
 特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、「けじめある関係」でなければならないと思います。

 この言葉を、先日、私は「台湾は中国とけじめをつけて付き合わなければならない」というスピーチのなかでも使いましたが、中国の将来の不確実性を考えれば、日本も台湾も、目の前の「中国のにんじん」に幻惑されず、「君は君、我は我」という毅然とした、主体性を持った態度、そして、そうでありながら良き関係を構築することが必要と考えます。

 これまで日本は、外交において、相手の主張を唯々諾々(いいだくだく)と受け止め、できるだけ波風を立てないよう留意してきたと見受けられます。しかし、残念ながら、いくら謙虚さを示しても、外国人には理解されず、そのような態度姿勢は、外国から、かえって軽んじられ、軽蔑されるということを、皆さん方はしっかりと認識しておかなければならないでしょう。今こそ日本は、自主独立の気力を持って、また、主体性を持って、いずれの国とも、積極的な堂々たる外交を展開すべきだと思います。
第五議・・古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

 国の基本法たる憲法をどうするかは、今日の日本にとって大きな課題でしょう。皆さんもご承知の通り、戦勝国アメリカが、日本を二度と軍事大国にさせないために押し付けたのが、現在の日本国憲法です。日本国憲法の第九条は、日本の再軍備を禁止しています。そのため、日本はアメリカに安全保障を依存することになりました。

 しかし、その実、日本の自衛隊は種々の軍事行動をアメリカの必要に応じて要請されるようになっている、いわばアメリカに、いいように使われるというのが実情ではないでしょうか。
  
 うずくまり、行動を起こさない日本政府に対し、多くの、心ある有識者が「アメリカにノーと言える日本を」と求めていますが、日本のひ弱な指導者たちは、こうした意見を理解しようとせず、理解したとしても行動を起こす勇気もありません。気骨なき政治家ばかりで、日本は大丈夫なのでしょうか。

 日本が真に自立するために何が必要であるか、歴史をふまえ、その具体策を検討する必要があります。その際、憲法問題を避けて通ることはできないように思われます。

 日本では、「国民投票法」の本格的な施行(しこう)が来年に迫っているにもかかわらず、憲法審査会も機能を開始しておらず、いわば、頓挫(とんざ)しているようです。今回の衆議院選挙でも、憲法問題が本格的に論じられることはありませんでした。私の見るところ、国民の間でも、憲法問題は、ほとんど論じられず、むしろ、忘れ去られているような感じすらします。このような日本国民の憲法問題に対する無関心が、次第に「日本人としてのアイデンティティ」を不明確にさせ、国民の精神にも大きな影響を与えていくと私は感じています。

 六十年以上も一字一句、改正も変更もされないのは、私には、異常としか思えません。歴史は移り変わり、時代は変化し、日本および日本の皆さんが置かれた状況も大きく異なってきているにもかかわらず、国家の根幹である憲法を放置していては、日本国家は遠からず、世界の動き、時代の動きに取り残され、衰退し始めるのではないでしょうか。
 

 第六議・・海軍宜しく拡張すべき事。
 近年、海洋国家日本が直面する世界の情勢は急速に変化しています。アメリカ一極支配が終わりを告げ、五~六の地域大国がしのぎを削る多極化世界に移りつつあります。特に西太平洋の主導権争いは、中国の軍事的膨張により、米国に大きな負担を強いています。
 こうした状況下で、日米同盟をいかに運用すべきか、日本がどのような役割を担うべきか、あらためて問われています。日本の民主党は、アメリカとの間で、率直な対話に基づく対等なパートナーシップを築くことを目指しているようです。その考え方は、おおいに評価されるべきだと思います。

 今こそ日本は、日米関係の重要さを前提にしつつ、日米同盟のあり方を根本的に考え直す必要があります。現在の日米同盟は、あまりにも片務的ではないか、日本が負担を背負いすぎているのではないかと思うのは、私だけでしょうか。若い皆さんはどのようにお考えでしょうか。


 第七議・・御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
 もともとは防衛の重要性を述べたものですが、ここでは少し視点を変えて、日本防衛にとっても、大きな影響を持つ台湾の動向について述べることにしましょう。台湾の変化に気を配らなければ、日本にとって思わぬ危険を見落とすことになるからです。
  私が総統時代に掲げた「台湾アイデンティティの確立」に基づいて、台湾は民主化と近代化に向けて、大きく舵を切りました。しかし、残念ながら、二〇〇〇年以後の三回にわたる総統選挙で、台湾の民主化は進歩どころか、後退してしまっています。

 先日亡くなった『文明の衝突』で有名なハーバード大学のサミュエル・ハンチンチントン教授が指摘したような、民主化への反動が生じているのです。民主化に反対する保守派が政権を掌握し、皇帝型統治による腐敗が続き、政府による国民の権利の侵害が行われています。「台湾アイデンティティ」に逆行した中華思想の浸透もはかられています。台湾政治が、今中国に傾き、ゆがみ始めていることは間違いありません。
  
 今回の台風被害への対処にみられるように、現政権において、国民の側に立った政治が行なわれていないことを私は憂えています。
 私は、台湾にとってはもちろん、日本の繁栄と安全を確保するためにも、日台の経済関係を安定させ、文化交流を促進し、日本と台湾の人々の間の心の絆を固めることが不可欠と考えています。日本の指導者の方々には、「東アジア共同体」という枠組みを考える前に、崩れつつある日台関係の再構築と強化に、積極的に力を注いでいただきたく思います。

 日本が台湾を、もし軽視でもするようなことになれば、それはたちまちのうちに、日本の国の危機を意味することを認識しておかなければなりません。地政学的にも、台湾は、いわば日本の命運を握っているといっても過言ではないと思います。

 このことは、もっと日本の指導者の方々は真剣に考える必要があるのではないでしょうか。「木を見て森を見ない」外交政策は、日本に重大な問題をもたらすこと必定と、私は考えています。


 第八議・・金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
 最後に、経済政策について申し上げましょう。私のみるところ、日本経済が「失われた十年」の大不況にみまわれた根本原因は、日本の金融政策を担う日本銀行が、一九九〇年代以降間違ったマネジメント、総量規制などをおこなったことにあります。 
 その後日本経済は一時的に回復しましたが、その際の経済成長はあくまで輸出に頼ったものでした。国家的プロジェクトをつくり、さまざまな分野で世界をリードするイノべーションに国家をあげて取り組むべきところを、実際には、ほとんど取り組まず、また、国内の需要不足という根本問題を放置したまま、日本は、昨年秋のリーマン・ショック以降の世界金融危機を迎えることになったのです。
 
 経済の苦境を打開するには、日本は、インフレ目標を設定するなど、大胆な金融策を採用すべきでしょう。同時に大規模な財政出動によって経済を強化することも必要かもしれません。

 日本は莫大な個人金融資産を抱える国です。この金融資産が投資資金として市場にきちんと流れる道筋をつくることが重要です。そのためには、国民の将来不安、すなわち、老後の不安をいかに解消させるか、老後の医療、年金、介護などの、「老後安心政策」を、政治家の人たちは、明確に打ち出す必要があるでしょう。そうなれば、高齢者は安心して個人の金融資産を市場に提供するようになるでしょう。
 加えて、日本国内だけでなく、海外に対する投資も進めていかなければなりません。それにより、日本は世界経済に大きな貢献をすることになるはずです。


 五、結び
 以上、坂本竜馬の「船中八策」になぞらえて、現在の日本政治改革の要点を述べてまいりました。言うまでもなく、明治時代と平成の現在とでは政治・社会・経済・外交の各面で、大きく実情は異なっています。しかし、「船中八策」を道標(みちしるべ)とし、それを再検討することにより、今日の日本の青年が、誇りと自信をもって、現実的実践による改革を進めることができるものと私は確信しています。

 政治はつねに改革され続けなければなりません。日本は今、明治維新以来最大の改革をしなければならないときだと思います。

 しかし、この改革を為し遂げるためには若い皆さん方が志を{・ュもって行動することが不可欠です。すばらしい日本を築くため、若い皆さん方が立ちあがり、行動を開始されることを、私は心から期待しています。

 加えて、東アジアの一層の安定平和のために、台湾と日本のさらによい関係を構築していただきたい。アジアおよび世界の平和のために、ぜひ、日本の若い皆さんたちが、高い志を持って、積極的に台湾の若者たちと力と心を合せてくださることを切にお願いし、私の皆さんたちへの、私の思いを込めたお話とさせて頂きます。

 ご清聴ありがとうございました。

李登輝氏来日をめぐるTV報道の変化

2009年09月07日 19時06分01秒 | Weblog

「最後の来日になるかも知れない」とご自身が語ったと伝えられる李登輝氏だが、今日は坂本竜馬の高知へ向い、精力的に活動されている。

訪日に政治的な意図はないことを示すために、今回の訪日は坂本竜馬の足跡を辿るのだとしているが、講演会を実際に聴いてみると、日本の若者へあるメッセージを託そうとしていることが伝わってくる。幕末、坂本竜馬が上洛する際に記した「船中八策」に照らして、日本が今抱える問題を浮かび上がらせ、その解決の方向を示唆している。若者よ竜馬たれと呼びかけると同時に、自分自身が竜馬のごとく台湾を変革してきたのだという自負が強く伝わってくる。

興味深いのは今回、NHKをはじめとするTVメディアが、ニュースで李登輝氏の来日を採り上げ、その肉声を伝えたことだ。
今では台湾が中国の一部であると思っている若者が数多い。彼らは、李登輝氏が上手な日本語で坂本竜馬を語るの見て、驚いたに違いない。

特にNHKは、「Japanデビュー アジアの”一等国”」という悪意に満ちた「反日」番組を放送しただけに、台湾関連報道には細心の注意を払っているようだ。李登輝氏の肉声も流し、記者会見での発言内容もほぼ正確に報道した。ダライ・ラマの台湾訪問に関しても、きちんと報道したようなので、なにがしかの「反省」が、感じられるかのようだ。実のところ、NHK幹部から見れば、「アジアの”一等国”」には何ら問題がないが、「右翼」からの”嫌がらせ”が続いているので、組織防衛のため、ちょっと台湾報道を増やしたということに過ぎないだろうが…。

おかしな番組は「おかしい」と言わなければ、何もしないNHK。あの偏向報道問題がなければ、李登輝氏のニュースをこれだけ報道しなかっただろう。「媚中」NHKがやや軌道修正、たまにはこんなこともあってもいい。

 

李登輝元総統が高知へ 坂本龍馬像を見学

 来日している台湾・李登輝元総統が6日、高知市を訪れ、桂浜の坂本龍馬像などを見て回った。

 李氏は東京青年会議所の招きで来日したもので、6日午後、東京から高知に入った。訪問先の高知市の県立坂本龍馬記念館では職員らが出迎え、李氏は日本語で「ありがとう」と笑顔で応じていた。

 今回の高知訪問は、坂本龍馬を尊敬しているという李氏のたっての希望で実現したもので、李氏は、龍馬の「船中八策」に感銘を受け、台湾の政治改革の指針にしたと明かすなど、龍馬についての知識を披露し、周りを驚かせていた。この後、李氏は桂浜の龍馬像と対面。「今の若い人たちには龍馬のように誇りを持ち、実践する力を持った人になってほしい」とエールを送っていた

【李登輝氏の高知訪問~日本TV映像】http://www.news24.jp/articles/2009/09/06/07143261.html

 【李登輝氏の記者会見~NHK映像】
http://<WBR>www.nhk<WBR>.or.jp/<WBR>news/t1<WBR>0015319<WBR>961000.<WBR>html#

「さらに良い日台関係を」=龍馬記念館を見学-

元台湾総統 来日中の台湾の李登輝元総統(86)は6日、高知市で坂本龍馬の「船中八策」をテーマに講演し、「さらに良い日台関係を構築するため、台湾と日本の若者が力と心を合わせてほしい」と呼び掛けた。
 李氏は講演前、県立坂本龍馬記念館や坂本龍馬の銅像を見学し、学芸員の説明を受けながら龍馬が家族に出した手紙などに熱心に見入った。
 その後、記者団に対し「地方だからこそ龍馬のような人間が出たのではないか。地方は大事だ」と指摘。また、民主党の鳩山由紀夫代表について「国民の生活や福祉を高めるような総理に(なってほしい)」と注文を付けた。 (2009/09/06-19:38)


「海角七号」試写会と李登輝氏来日

2009年09月04日 21時14分54秒 | Weblog
あるラジオ番組を聴いていたら、あの「野バラ」が流れた。「おや?」と思ったら、「海角七号」試写会の案内だった。
9月29日(火)夜、東京・新宿でプレミアム試写会が行われ、魏徳聖監督、主演の范逸臣、田中千絵が挨拶するという。
3月25日、「日本李登輝友の会」が主催した試写会では、映画の日本語字幕がまだ仮のもので、その時点では、日本公開のメドは全く立っていなかった。その背景には、中国の圧力があるのではないかと、私は疑った。ところが先月、ようやく日本公開が決まり、試写会の日程まで決定した。Mixiでは、昨日のトップに田中千絵の写真が載っていたというから、次第に盛り上がりを見せているようで、喜ばしい限りだ。

加えて今日、李登輝氏が来日した。明日、東京で講演会が開かれる。またとない機会になりそうだ。
映画「海角七号」を生み出したのは、他ならぬ李登輝氏だと言えるだろう。李登輝氏による台湾の民主化がなければ、「海角七号」のような映画は決して作られなかったはずだ。「梅花」(1976年)という映画を見たが、このような国民党独裁下の国策映画は、すべからく「反日」と「中華愛国主義」のオンパレードだった。日本や日本人は、憎しみの対象としてしか描かれていない。
総統に就任した李登輝氏は、台湾の歴史を見つめ、事実を事実として認めようとする教育(認識台湾)を推し進めた。その結果として、日本統治時代が、必ずしも暗黒時代などではなく、台湾の近代化に寄与した時代でもあったことを台湾人に知らしめたのだった。

「海角七号」の日本公開と李登輝氏の来日、このことで台湾に対する関心が盛り上がればいいのだが…。



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得利

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中国文化人No.1はテレサ・テン

2009年09月03日 12時03分16秒 | Weblog

中国で最も影響力のある文化人は、テレサ・テンだという調査結果が明らかにされた。
建国60年を迎える中国で、最も影響力のある文化人を分野別に調べたところ、流行音楽の分野ではテレサ・テンがダントツの一位だった。

テレサ・テンとい言えば、外省人の台湾人。晩年は「中国の民主化」を支持していたというが、その動機は未だ明らかになっていない。

 

影響中國的文化人 麗君NO.1

<LABEL>中時</LABEL> 更新日期:2009/09/03 02:51 朱建陵/綜合報導

中國時報【朱建陵/綜合報導】

為迎接中共建政六十周年,由中國國務院新聞辦公室(國新辦)主辦的《中國網》發起一項「新中國最有影響力文化人物」的網路評選,活動得到了大陸網民近二千四百萬張選票,成為當前網路上熱度最高、最具影響力的評選活動。台灣歌手麗君以逾八百五十萬張選票獲選「新中國最有影響力文化人物」。

《中國網》在票選說明中指出,為迎接「十.一」的「新中國六十華誕」,推出此項評選活動,共分文學、影視、音樂、美術、戲劇、舞蹈、曲藝、學者等八個類別,由主辦方提出一九二位候選人(網友亦可自行提名),邀請網友參與投票,最終選出六十位最有影響力的文化人物。

流行音樂四人排進前十

此項網路評選活動自七月廿四日起動,至八月卅一日截止,獲得大陸網友熱情支持,網友留言和網上提名、跟帖近萬條,總投票數最終達到二三九○萬二五七八票,而依得票數排行,「新中國最有影響力的文化人物」前十名中有五人屬於「音樂」類別,其中四人的屬性為「流行音樂」。

出身台灣、在大陸擁有極高知名度的歌手麗君,以逾八百五十萬票高居總得票數榜首。許多經過文化大革命的大陸「知青」都會記得他們第一次透過地下管道聽到麗君歌聲的震撼,「世界上怎麼會有這樣的聲音?」則是他們當年共同的反應。除此,大陸改革開放後的新生代中,也有許多人迷戀著麗君「甜蜜蜜」的歌聲。麗君以她的「老少咸宜」而高居票選榜首。

老少咸宜小高踞榜首

除了容易獲得高知名度的「影視」、「音樂」類別之外,「文學」類別的排名也值得注意。在大陸已經被高度政治化的民國初年作家魯迅,由於在中共建政之前(一九三六年)就已經過世,因此不符合票選的「新中國」年代限制。最終在「文學」類別中脫穎而出的前「十大」為:老舍、冰心、海子、巴金、金庸、瓊瑤、張愛玲、傅雷、韓寒、三毛。

瓊瑤三毛進了文學排行

在「影視」排行中,大陸導演張藝謀、賈樟柯,演員斯琴高娃、成龍、鞏俐以及藝術家王曉棠等人共同入選前十名。「美術」類別的前十名則為徐悲鴻、侯一民、韓美林、陳逸飛、李可染、陳丹青、靳尚誼、郭味蕖、羅工柳、何家英。但他們都無緣進入總排行的前十大。


第二の姫井由美子は誰?

2009年09月02日 15時39分45秒 | Weblog

民主党が大勝した。
自民党は、中川昭一、久間章生といった閣僚経験者が次々と落選。一方、民主党は無名の新人が続々と当選した。

この結果で思い出すのは、前回の参議院議員選挙で「姫の虎退治」で名前を売った姫井由美子・民主党参議院議員。自民党の大物、片山虎之助を破っての当選で話題をさらったが、その後の個人スキャンダルで馬脚を現した。

今回、民主党から多数の新人議員が誕生したが、果たしてまともな人ばかりなのだろうか? 雑誌社系週刊誌などは、はやばやとネタをつかんでいて、第二の姫井由美子を面白おかしく報道するのかも知れない。
だいたい、東京第1区だけ見ても、いつもスキャンダラスな海江田万里が、自民党の”救いの星”与謝野馨を破ってしまうのだから、選挙の勢いとはすごいものだと思う。

”脱官僚支配”などと言いながら、行政が提示する資料さえ理解できない議員が数多い民主党。きっと、政治家の無能を思い知らされるこれからの4年間となるだろうな…。
こうやって足踏みしている間に、日本の没落はさらに早まっていく。

 

 

 


鳩山由紀夫の「友愛」政治

2009年08月31日 11時31分50秒 | Weblog
民主党政権の誕生を隣国はどう見ているのだろうか。
台湾の「中国時報」は、鳩山由紀夫の「友愛」政治について、下記のように報道している。これは国民党系(外省人)のメディアの代表的な見方だ。

鳩山由紀夫は広く「友愛」を語りながら、隣に住む実弟との仲さえままならない。外省人ならぬ「外星人」の鳩山さんに、どれほどのことができるのか。
民主党は、職業にかかわらず、年金を一元化などという馬鹿げた政策を本当に実施するのだろうか。

準日相鳩山 打造「友愛」政治
更新日期:2009/08/31 03:10 黃菁菁/東京卅日電
中國時報【黃菁菁/東京卅日電】

民主黨成為眾議院第一大黨後,眾院將在卅天內召開特別會議選舉新首相,民主黨黨魁鳩山由紀夫將是不二人選。溫文儒雅、具學者風範的鳩山,除了有顯赫的政治世家背景,他的為人處事、「外星人」綽號及「友愛」的政治理念,皆受矚目。

六十二歲的鳩山從政資歷完整,是民主黨創黨元老,當選過七次眾議員,目前是第三度擔任民主黨黨魁。他私下相當風趣,喜歡開玩笑,卻也因此常有讓人意外的怪異發言,被封上「外星人」綽號。日媒指出,這次選舉鳩山很少接受記者團的聯訪,就是因為民主黨擔心他說錯話。 民主黨黨魁 風趣「外星人」 鳩山主張賦予有日本永久居留權的外國人參政權,並曾公開表示:「日本人喪失信心,因此日本社會很難認同來自外國的血統,這是非常可怕的。」「美國的優點就是度量大,日本列島應不是僅屬於日本人。」雖然有道理,卻引起愛國主義者的反彈。

鳩山的座右銘是「友愛」,這也是他一直想凸顯的個人色彩,曾在政見中提出「打造友愛的政治」、「創造友愛的日本」。其實這是取自前首相、鳩山祖父鳩山一郎的理念,是指法國革命的三大理念之「博愛」。他的解讀是,所有人都能有益於他人,彼此互相需要,形成凝聚社會的力量;但是很多人反映,不懂何謂友愛,媒體也批評說過於抽象,不愧是外星人的主張。

胞弟唱反調 譏兄是 「鴿」 鳩山還有個名人胞弟、自民黨前總務相鳩山邦夫,兄弟倆因政治立場對立而成為針鋒相對的政敵,邦夫經常在公開場合用冷酷無情的言語攻訐由紀夫。

日前由紀夫的秘書涉嫌用已故人頭戶虛報政治資金,當時邦夫就說:「我是正義的白鴿(「鳩」是鴿子的意思),哥哥是鴿」。鳩山由紀夫當上首相後,鳩山兄弟的對決,也可望提供政壇不少話題。

ダライ・ラマ14世の台湾訪問

2009年08月27日 11時58分56秒 | Weblog

先ほど、ダライ・ラマ14世の台湾訪問が伝えられた。

そこで先週、台北で見た奇妙な光景を思い出した。
大陸からの中国人観光客でにぎわう土産店の前で、二人の中年女性が写真入りのプラカードを持って、観光客の一人に話しかけている。
写真を指さして「あなたは、このことを知っていますか?」と尋ねていたようだが、その観光客は迷惑そうに立ち去ってしまった。私が話しかけてみると、プラカードを持った女性は「法輪功」の信者で、大陸での弾圧行為を観光客に知らしめるべく運動していると説明してくれた。

中国当局は、法輪功やダライ・ラマなど宗教の影響力を非常に恐れている。文化大革命期、中共(=中国共産党)は、それまで中国社会に細々と続いてきた宗教的祭祀、伝統的行事をすべて根絶やしにしてしまった。
開放改革以降、干天の慈雨のように、宗教は広まった。中共が恐れるのは、現体制を揺るがしかねない宗教勢力である。

馬英九政権が、ダライ・ラマの訪台を許可したのは、極めて賢明な選択だった。「売台」(台湾を中国に売る)とまで言われる馬政権だが、ようやく海千山千の相手とやり合う覚悟ができたのか。

(存在感が希薄な馬政権?)

台湾:馬総統 ダライ・ラマの台風8号被害地慰問を許可

 【台北・大谷麻由美】台湾の馬英九総統は27日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が台風8号で大きな被害を受けた台湾南部を慰問することを許可したと明らかにした。ダライ・ラマは今月31日から9月3日の日程で訪台することになる。訪台への中国側の反発は必至で、関係改善の進む中台関係に影響が出そうだ。

 ダライ・ラマは昨年、台湾メディアに訪台の意思を表明したが、馬総統は対中関係に配慮して拒否していた。しかし、台風被害への対応の遅れを批判されている馬政権は、台湾でも人気の高いダライ・ラマの訪台を拒否することができない状況にあった。

 訪台を要請したのは、台湾野党・民進党の地方自治体首長が中心。台湾南部・高雄市の陳菊市長らが26日、ダライ・ラマ側に慰問を要請したことを発表した。陳市長は会見で「被災者もダライ・ラマの慰めがあれば、きっと元気付けられる。人道的な配慮に基づき、政治を超えて、ダライ・ラマの訪台に同意してほしい」と馬総統に呼びかけた。

 ダライ・ラマは97年と01年に訪台している。