このブログで取り上げるのは、彼女が台湾人と聞いたからだ。Panがもし、華語(中国語)の発音記号だとすれば、「藩」(Pan)という名字なのかもしれない。
高層マンションらしい自宅に防音室を作り、ヤマハのグランドピアノを弾く。レパートリーは、日本のアニメ曲がほとんど。「親日的」だとか、そんなことではなく、こういう若者が台湾にいるのを知ると、何かほっとした気持ちになる。
台湾(中華民国)の蔡英文総統が、国交のあるカリブ海諸国を訪問。その途中で米国に立ち寄り、大歓迎を受けたことを、日本のマスメディアはほとんど伝えていない。
香港の現状を見て、台湾では「今日の台湾は明日の台湾」という合言葉が生まれたそうだ。日本では、それは「……明後日の沖縄」と付け加えられた。
「台湾の声」に興味深い記事があるので、ここに転載させていただく。
【王明理】自国を守るのは当然の権利 「台湾ハ古(いにしえ)ヨリ中国に属セズ」
台湾独立建国聯盟日本本部委員長 王明理
7月12日、折しも蔡英文総統がニューヨークに滞在中に、中国外務省が恫喝するようなコメントを発表した。
アメリカが台湾に20億ドル(約2200億円)相当の戦車などの武器を売却することを認めたことに反発したもので、中国の王毅外相は「台湾の分離独立派に間違ったシグナルを送ってはならない。過ちを繰り返してはならない」と発言した。
台湾人から言わせてもらえば、過ちを繰り返しているのは中国のほうである。
台湾は中国の一部ではない。1万年の昔から、台湾は中国大陸とは別の歴史を歩んできた島である。「古より台湾は中国に属さず」とは、1723年に清の皇帝雍正帝が言った言葉だ。
清朝の時代、台湾を福建省の植民地として役所を置いたことはあるが、それは長い台湾の歴史の上で唯一の期間であり、それを以って「ずっと中国の一部だった」とは言えないのは明らかである。もし、そう言えるなら、清朝よりずっと立派な植民地経営をした日本の一部であるとか、一番最初に台湾を植民地にしたオランダのものだという説のほうが説得力がある。
1945年、連合国の占領軍として、中国国民党は台湾に居留していた日本軍の投降を受理したが、その後も国際法に違反して台湾を占領し続けた。1949年には毛沢東に負けた蒋介石が中華民国体制と200万人の中国人難民を持って逃げ込んできたが、それが台湾が中国の一部であるという根拠にはならない。もちろん、我々は「中華民国」体制を終わらせ、真の「台湾国」「台湾共和国」を目指している。
いずれにしろ、中国に「分離独立派」などと呼ばれる筋合いはない。彼らこそ、「不当併呑派」である。彼らがチベットやウイグルをどのような目に合わせたか考えればお分かり頂けるだろう。
蔡英文総統は7月12日のニューヨークでの会合の席で、中国に対して、はっきり反論した。実に理路整然とした立派なコメントであった。
「われわれが防衛能力を強化する機会を模索するのは非常に正当なことだ。隣人はおきまりのように四の五の言う必要はない」
「台湾は拡張する独裁主義に立ち向かう民主主義のとりでだ」
「台湾がなければ、国際社会は重要な鎖の輪を失うことになる」と。
最後のコメントを日本人は他人事ではなく、真摯に受け止めるべきだろう。台湾を中国に取られたら、日本は安全保障も経済も全てをおびやかされることになる。
台湾が侵略されてから気が付くのでは遅い。今、あの強大な中国を相手にして必死に台湾を守っている女性総統を、日本人はもっと親身になって応援してしかるべきである。
世界一親日的な2300万人の台湾人の命運をこのまま見捨てるなら、近い将来、日本人は反日国家ばかりに囲まれて、容赦ない重圧のなかで苦労することになり、やがては香港、チベット、ウイグルのように消滅する可能性もある。
台湾の声
「理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい~100歳の台湾人革命家・史明自伝」(講談社 2018年12月)を読む。
著者・史明(1918.11.9~ )は、百歳になってなお「台湾独立」を志向する台湾人革命家。日本統治時代の台湾に裕福な一族(施一族)として生まれ、日本で高等教育を受けた彼は、日本敗戦後、台湾に「流亡」してきた蒋介石政権に反対し、東京で台湾独立運動を続ける。その結果、中華民国政府(台湾)から危険分子として追われ、李登輝総統が誕生するまで、故郷・台湾に帰ることができなかった。
先の台湾総統(=大統領)選挙で彼は車椅子姿で蔡英文候補の応援に駆け付けた。蔡英文女史は、「史明おじさんは信念を貫き、誰よりも強い行動力を持つ人です。彼の物語は、台湾、日本、中国の激動の歴史そのものです」(本書の帯文)と彼を評する。
敗戦によって、「大日本帝国」の内外には数多くの悲劇が起きた。連合国側は、日本を二度と立ち上がらせない、日本人を本土四島に閉じ込めることで合意していた。満洲、朝鮮半島などの「外地」から本土へ引き揚げる日本人の悲劇はよく知られている。一方、本土にいた台湾人、朝鮮人は、GHQから「第三国人」とみなされる立場に立った。それにより、経済的利益を得る者も多かったと言われている。だが、「祖国」の喪失と新たな選択に迫られた彼らはまた、「大日本帝国」の崩壊の犠牲者でもあった。
史明の本名は施朝暉。「施」の名字で連想するのが、施光恒(てるひさ)九州大学准教授(政治哲学)。彼らは同じルーツなのかも知れないと思った。
昨日(10月20日)台湾・台北の総統府近くの街路で「全民公投反併呑集会」(中国による併呑に反対し、国民投票によって台湾国を建立する集会)が開かれ、12万人が参加したと伝えられている。
このニュースを日本のマスメディアは、いつものように全く無視。日本にとって最も大切な友好国であるはずの台湾(中華民国)を「国」ではなく「地域」と呼び、台湾の政治状況については、ほとんど情報を伝えない。これは、「ひとつの中国」を唱える中国=中共(中国共産党)への忖度に他ならない。
台湾のマスメディアは、今や百花繚乱状態。ケーブルTVの中に100チャンネルがひしめき合っているから、日本のような忖度、同調圧力はありえない。各TV局が政治色、政党色を鮮明に打ち出している。
その中で「民視」は、台湾独立志向、民進党系のTV局。「民視」だけがこの「全民公投反併呑集会」を熱心に報道している。
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Yahoo台湾のニュースを見ていたら、阿里山はもう桜の花の見ごろだと伝えている。
阿里山 に登るには、嘉義から登山鉄道でゆっくりと山岳地帯を進む。この鉄道は日本統治時代のもので、中央山脈の森林資源を開発するために敷設された。
実は私もまだ訪れていない。今年はぜひ行ってみたいところだ。
阿里山櫻花季介紹
說到在台灣賞櫻花,阿里山櫻花季絕對是首選之地。2018阿里山櫻花季將於3月10日~4月10日展開長達一個月的花季。乘著阿里山小火車,欣賞阿里山上緋紅的山櫻和雪白的吉野櫻花瓣,如微雨般交錯飄落,與周遭木造建築構成一幅浪漫的春日麗景。
趣吧達人搶先為大家介紹阿里山櫻花季景點推薦,五大阿里山賞櫻景點、兩條阿里山賞櫻路線以及阿里山櫻花季賞櫻期間的交通管制,讓你一次做足功課。
阿里山櫻花季景點推薦
阿里山櫻花季景點推薦Top 1
阿里山隙頂 ▲阿里山茶席賞櫻花。(圖/雅比斯國際創意策略股份有限公司)
除了散步賞櫻之外,野餐茶席也是阿里山賞櫻的一大重點活動!隙頂作為阿里山前院,除了可以瀏覽日出、雲海等高山風光,因為氣候條件的關係,茶園廣布,更是適合坐下來品一口茶,欣賞美景。
茶園的外圍,種了一排的櫻花,原是為了乘涼遮蔭,不過一到春天櫻花盛開,櫻花和茶園高低相望,櫻花翩翩落在茶樹濃綠的葉片上,更是一番絕美景色,此時擺出茶席讓大家一起來品茗,在櫻花搖曳的陪襯,呼吸一口茶香感受當下。
中華民国(=臺灣)の蔡英文総統が、花蓮大地震の救援を申し入れた中国政府に対して「拒否」を表明した。日本からの救援隊はすでに花蓮に入っていて、台湾総統府報道官は「日本には高度の機材がある」として、中国を含めてほかの国の応援は受け入れない意向を表明という。
蔡英文総統は、これまでの体験から、中共(=中国共産党)による”支援”には必ずウラがあることを熟知している。こんなとき決まって「隣国とは仲良くするべき」「よく話し合うべき」と言い出す日本の政治家とは全く異なる。
さきほど、蔡英文総統は、自らのツイッターに安倍首相から寄せられた「台湾加油(がんばれ!)」の書をUPするとともに、次のようにツイートした。
「安倍首相からのお見舞いは、まさかの時の友は真の友、まさにその通りです。このような困難な時の人道救助は正に台日双方の友情と価値観を体現するものだと思います。本日、日本から7名の専門家が人命探査装置を持って訪台して頂きました。これにより、更に多くの被災者の救出に繋がることを望みます。」
こんなときに感じる、日本と台湾の絆。日台関係を熟知する安倍首相ならではだ。
台湾東部の花蓮県などを襲った地震では、中国からの旅行者が巻き込まれ、3人が犠牲となり、5人の安否確認ができていない。
中国側の関心も高く、救援活動の支援を申し出たが、台湾の総統府報道官は8日、「人員や物資は足りている」と必要ないという立場を表明。一方で日本政府が派遣した専門家チームは受け入れており、中国メディアは批判的な論調で報じている。
地震で傾いたビル「雲門翠堤」の低層階には旅館があり、地震で押しつぶされた。閉じ込められたとみられる中国からの旅行者5人と香港系カナダ人2人の捜索が続いている。中国ではネット上で義援金を集める動きがあり、台湾政策を担う国務院台湾事務弁公室の張志軍主任は救援隊を派遣したい考えを示していた。
一方、台湾の総統府報道官は「日本には高度の機材がある」として、中国を含めてほかの国の応援は受け入れない意向を表明。これに対し、中国メディアは「政治的な判断だ」(環球網)と批判的な記事を配信している。
日本が派遣した警察・消防などの専門家7人は8日に現地入りし、生命反応などを探知する機器などを台湾側に貸し出し、捜索を支援している。首相官邸のフェイスブックは8日、「台湾加油(頑張れ)」と記された安倍晋三首相の色紙の写真を掲載した。台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統のツイッターには日本語で、「安倍首相からのお見舞いは、まさかの時の友は真の友、まさにその通りです」とのお礼のメッセージが掲載された。(花蓮=西本秀、平賀拓哉)
花蓮大地震のニュースがライブ映像で流されています。大手メディアの「民視」の映像なので、 心配なく見られます。関心のある方は、ぜひ。
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2月6日深夜(現地時間)、台湾・花蓮で大地震が起きた。この地震で倒壊したホテルの映像が、TVで何度も伝えられた。昨晩(7日)夜のNHKニュースでは、この地震に関して、「ネット上では”台湾加油”(台湾がんばれ)という支援の輪が広がっている。東日本大震災時、台湾は日本に多くの援助の手を差し伸べてくれた」と異例のコメントを流した。中共(=中国共産党)の顔色を窺ってばかりいるNHKであっても、こう言わざるをえないほど、視聴者の間には「親日国・台湾」の印象が定着しているのだろう。
この地震で倒壊したのは、統帥大飯店(マーシャル・ホテル)。
私はたまたまこのホテルに泊まったことがあり、2013年12月の本ブログに「台湾一周旅行~花蓮」と題して、印象を記した。
「… ホテル(統師大飯店)に荷物を預け、観光タクシーを頼んだ。フロントの女性は、顔立ちからしてアミ族の人だった。花蓮は伝統的にアミ族の居住地。日本統治時代、花蓮の社会開発は日本人の手によって行われたという。フロントの女性は、日本語も上手で、私たちが花蓮駅では買えなかった翌日の花蓮発台東行きの「自強号」の切符を手配してくれた。また、太魯閣観光のタクシーを2,500元にしてくれた。ガイドブックによると、3千元が相場らしいので、大いに助かった。
なお、この女性が華語で話しているのを聞いたが、そこでは花蓮のことを「かれん」と言っていた。もちろん、これは日本語の発音で、華語ならばホワリエン(Hualien)というはずだった。」
花蓮は、日本人とアミ族が開発した町。外省人が多い台北とは違って、 さらに日本統治時代の残影が感じられる町だ。
親切だったフロントの女性は、難を免れたのだろうか。最新情報では、ホテルのフロント男性の死亡が確認されたと言う。
私が台湾で最も好きな街、花蓮。被害が拡大せず、早期の復興が成し遂げられることを願わずにはいられない。東日本大震災のときの支援、友情にお返しをすべき時だと思っている。
灣民視新聞HD直播 | Taiwan Formosa live news HD | 台湾のニュース放送HD | [parts:eNozsjJkhIPUZENDA6Nks4gKL+88F5/IqCoTJjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAAIUAjQ
台湾通の友人に「 我的小島日記」(私の小島日記)という映像を教えてもらった。台湾の澎湖県政府が制作したビデオ映像だ。ここには、澎湖諸島(Penghu ポンフー)の魅力あふれる自然や、歴史的建造物、遺跡などが紹介されている。
海外旅行ツアーの紹介を見る限りでは、澎湖諸島遊覧ツアーは未だ見たことがない。
近くて遠い澎湖諸島だが、歴史的には台湾本島と同じように、日本と深いつながりがある。1945年日本敗戦時までは、帝国海軍の基地があり、大日本帝国の重要な軍事的要衝だった。馬公市には、戦前、迎賓館として使われた日本式(和風)建築が残っていて、記念館として公開されている。澎湖諸島県政府(県庁)も日本統治時代の澎湖庁舎を今なお使用している。馬公市内の中央部には澎湖病院があり、その旧館は後藤新平の計画で建てられたもの。本ビデオ映像に出てくる「郵便局」の庁舎も日本時代の建築物だ。
澎湖島民は日本統治時代を歴史として感じているのに、肝心の日本人は「澎湖諸島ってどこ?」という始末。
この映像を見て興味を覚えた方は、ぜひ行ってみていただきたい。島民は実に親切。「親日的」かどうかなどという議論が吹っ飛んでしまうくらい、とにかく親切にしてくれる。台北に着いて、馬公市行きの国内便に乗り換えれば、1時間以内。そそり立つ台湾中央山脈を左に見ながら、北回帰線上の南国の島・澎湖へ。これは十分に台湾旅行の新しい一ページ。
【澎湖縣政府城市行銷影片】-我的小島日記
先日、台風18号が日本列島を縦断しているさ中、台北旅行を楽しんできた。15日、野柳地質公園(基隆郊外)で女王頭(クイーンヘッド)などの奇岩を楽しんだ後、翌日は陽明山公園に向かった。
宿泊ホテルから最寄りの南港駅(MRT、台鉄、新幹線)に行き、MRT板南線で台北駅、MRT淡水信義線に乗り換えて北投駅で下車。そこからは「111番系統」のバスが陽明山へ行くという。
この日は、あらかじめMRT一日乗車券(180元)をもらっていたので、MRTとそれに接続する市内バスはこのカードをタッチさせるだけでOK。
台北MRT(地下鉄)一日乗車券(180元)
バス停に並んで待っていたが、「111番系統」のバスが通過していく。二台見過ごしてようやく気づく。大きく手を振って「乗るよ!」と意思表示しないと、MRT駅前のバス停であっても、運転手は通過していってしまうと。
ともあれ、バスに乗り込むと、次第に市街地を離れ、山を目指して登っていく感じになる。陽明山国家公園は、活火山である陽明山を中心とする山々、湖沼などの総称で、箱根と似ていると言えるだろう。
40分ほどバスに乗って、前山公園があるバス停で下車。そこから循環バスに乗り換えた。
循環バスの掲示板
循環バスに乗り二子坪バス停(上記写真の左上)で下車。二子坪の管理事務所で地図をもらおうとしたら、ボランティアのご老人が日本語で話しかけてきた。「どこからきたの?」「東京から」と応えると、親指を上げて「東京は世界一の町の一つだね」と。お歳を尋ねると「80歳」とのこと、師範大学で二年間日本語を習ったというお話だった。ネイティブ(つまり日本人)と同じ日本語を操れる、台湾の「日本語世代」は、もはや85歳以上になってしまった。このかたは、そのすぐ下の世代となる。台湾に行くといつも感じるのは、日本との”絆”だ。
二子坪の管理事務所で(右側がボランティアのご老人)
このかたのアドバイスで、約1時間を要するという山には登らず、少し下ったところにある大屯自然公園に向かった。暑かったが、からりとした天気で、風が心地よかった。公園は人影もまばらで、澄み切った空気の中、緑がまぶしい。
大屯自然公園にて
ここで1時間ほどのんびりして、再び循環バスへ。車中からは、陽名山の火口や東シナ海を望むことができた。
出発点に戻り、スタバで一服した後、近くにある「前山公園」へ。そこでは近所の人が胡弓などの伴奏で歌っている光景に出会った。そこで唄われていたのが、なんと「湯の町エレジー」(1948年)だった。日本が敗戦したあとでも、台湾人は日本の歌曲を歌い続けたと聞いていたが、まさにそのとおりだった。その映像がこちら。
前山公園の隣には「国際大旅館」という温泉ホテル。これは間違いなく日本統治時代の建築ではないかと思った。
国際大旅館(日本統治時代の建物)
さわやかな陽明山を楽しんで、再びバスで下山。夕方になったので、台北市街へ。まず、MRT台大医院前で下車、台湾総統府(旧・台湾総督府)の夜景を写真に。この中で蔡英文総統が執務していると思うと、また感慨もひとしおだ。なにしろ、民進党と言えば、蔡女史。前原のは偽物ですからね。
続いて、台湾の渋谷と言われる西門町へ。ここでは「法輪功」の人たちが「台湾独立」を訴えていた。
西門町で台湾独立を訴える法輪功信者
MRT一日乗車券があるので、ついでに隣駅の龍山寺にも寄ってみた。土曜の夜だったので、実に賑やか。廟の前の広場では、お祭りが開かれていて、ベリーダンサーまで登場した。
龍山寺前広場のお祭りではベリーダンサーも登場!
この旅行、オイルサーチャージなどの諸経費を含めた旅行会社への支払額は、5万円弱だった。交通の利便性が格段に良い南港駅前にオープンしたばかりのホテルに三泊、MRT乗車券ももらえたので、こんなお得な感じの旅行はなかなかないと思った。それもこれも、台風18号サマが日本列島に「右折」してくださったおかげだった。
台湾旅行ですばらしいのは、個人が自由に街を歩けること。台湾人は親切な人が多く、下手な華語(中国語)を使うよりも、日本語と漢字の筆談で十分に意思疎通ができる。台湾の治安、保健衛生、諸インフラの安定度は、ほぼ日本と同じ。街を歩いても安心、交通手段も完璧に整備されている。極めつけは「美食」(グルメ)。
今回も阿美飯店で蟹おこわを食べたが、それ以外にもたくさん小グルメがある。永康街の「ネギ焼」は特に美味だった。もう一度食べたい。台湾鉄道の駅でしか買えない「台鉄弁当」(臺鐵便當)もね。
永康街のネギ焼屋台
台鉄弁当(下が80元、上が100元)
9月14日(木)から17日(日)まで格安ツアーで台北へ。台風18号の上陸が心配だったが、旅行直前に突如「右折、東進」して日本列島を直撃することに。おかげで、4日間好天気に恵まれ、あちこちで歩くことができた。
宿泊したホテルは、今年3月にオープンした洛碁大飯店南港館(Green World Hotel Nangkang)で、MRT(地下鉄)、臺鉄、高鐵(新幹線)の三線が乗り入れる「南港駅」のすぐ近く。台湾のどこに行くのにも便利、新開発地区にあるので安全、平穏な環境。
15日(金)、9時ごろMRTで台北駅へ。約25分で到着。バスターミナルで台北旅行には必携のEasy Card(日本のSUICAに相当するカード)の購入方法を教わり、MRT駅で購入、チャージした。一昨年、高雄から鵝鑾鼻(がらんび)岬を訪ねたときには、すべてカードで運賃を払うシステムだったので、高雄のカードは持っていたが、台北地区とは統合されていないと聞いていた。ともかく、このカードがないと、バスにも乗れない(現金で支払うことはできない)ので、個人周遊の場合は必携のアイテム。
← Easy Card (MRT各駅で購入可能)
10時10分、国光バスの「野柳」行きに乗る。ホテルがある南港方面にバスは戻り、ホテルの窓から見えた山を越えて、基隆市街へ。基隆港がある中心部には行かず、途中で山中を縦走するようにして「野柳」へ。バス停から漁港を経て約10分歩いて、12時10分前頃到着した。料金は96元ほどだった。
「野柳地質公園」は入場料80元(約290円)、遊歩道がきれいに整備され、素晴らしい公園。お目当ての「女王頭」は、韓国人の若者が占拠していて、なかなか順番が来ないので、遠くから眺めるにとどめた。しかし、他の岩々、露出した地表は、文句なく素晴らしい。地質好きのタモリは「ブラタモリ」でぜひここを訪れるべきだろう。
女王頭
帰路、XO醤と干しエビを買った海産物店は、とても親切だったので、そこのおばあちゃまと思わず写真を一枚。
台北リピーターでも、この野柳地質公園に行く人は少ないのかも知れない。公園内では、一組の日本人を見かけただけで、大半は韓国人、中国人(大陸からの観光客)だった。彼らは一見してすぐにわかる特徴がある。自意識過剰的に外見を気にして気取っているのが韓国人、野暮な服装で大声を出しているのが中国人。静かで飾らないのが台湾人だ。
もちろん、何のトラブルもなく訪れることができる場所なので、台湾大好きのかたはぜひ次回の候補に。
以下は、スナップ写真です。
台風18号は、当初、台湾島を直撃し、大陸の福建省あたりに上陸すると言われていたが、先島諸島で思わぬ「右折」、日本列島直撃コースに転じた。
明日、台湾方面に旅行を予定している人は、思わぬラッキー。きっと心がけのいい人なのだろう。
八田與一像破壊事件について、「台湾の声」に掲載された黄文雄氏の論評を以下に転載させていただきます。
【黄文雄】八田與一像破壊の裏に日台離反を画策する中国の影
● 台湾で「日台の絆の象徴」八田與一像の頭部切られる ダム建設指導の技師
八田與一の像が壊されました。ノコギリで頭部を切断したようです。このニュースの第一報は、事件発覚を知らせるもので、まだ犯人は捕まっていませんでしたが、その数時間後には犯人が判明しました。
犯人は、元台北市議だった男で、女と二人で犯行に及んだとのことです。本人がFacebookで犯行を白状し、自ら出頭したようですが、案の定、中国との統一支持派で日台友好を快く思っていない輩です。以下記事を一部抜粋しましょう。
男は1958年生まれで、現在は台湾の急進統一派の団体「中華統一促進党」に所属。94年に統一派の政党「新党」から台北市議に当選し、1期務めた。任期中、市幹部を殴り起訴された。また、2016年には急進的な台湾独立派の団体の敷地に放火し逮捕、起訴されている。男は自身を日本統治時代の義賊になぞらえる発言も投稿。像の頭部を指すとみられる「八田さん」を、中華統一促進党の「党本部に届ける」などとする記載もあった。
● 台湾・八田像損壊犯は元台北市議だった FBで公表し出頭
この中華統一促進党というのは、台湾の三大マフィア組織の一つ、「竹聯幇(ちくれんほう)」の元幹部で、「白狼」という異名で呼ばれる張安楽氏が2005年に自らが総裁となって結成した政党です。
とはいえ、張安楽は台湾にいたのではなく、有価証券偽造などの罪で台湾当局から追われていたため、1996年から17年にわたって中国に潜伏していました。そして2013年に台湾に突然帰国し、台湾当局に逮捕されたのです。
● 伝説の大物マフィア「白狼」を逮捕・保釈 台湾
しかし、多額の保釈金を支払って保釈され、以後、中華統一促進党の活動を展開しているのです。張安楽は中国で逮捕されたわけでもなく、中国潜伏中に中華統一促進党を結成しました。そのため、台湾の撹乱組織として中国政府の意向を受けている可能性は十分にあります。
実際、中華統一促進党は、旧日本軍の軍服を着て、民進党本部に「感謝状」を届け、民進党を「媚日」だと批判するパフォーマンスを行うなど、たびたび騒動を起こしています。
ここで少し八田與一についておさらいしておきましょう。日本統治時代の台湾に土木技師として台湾に渡り、各都市の上下水道の整備に従事した後、発電と灌漑事業に従事しました。
八田の台湾での功績は数えきれないほどありますが、何より台湾に貢献したのは嘉南平野に造ったダムです。正式名称を「烏山頭ダム」といい、八田はその設計・監督を務めました。嘉南平野はもともと洪水、干ばつ、塩害にあえぐ地域で不毛地帯でした。そこへダムを造ることで、穀倉地帯へと変貌させたのです。
烏山頭ダムの満水貯水量は1億5,000万トンで、これは黒部ダムの75%に相当します。さらに、八田はダムを造るだけでなく、「三年輪作法」という農作方法を採用しました。これは、1年目には稲を栽培し、2年目にはあまり水を必要としないサトウキビ、そして3年目には水をまったく必要としない雑穀類の栽培をするという輪作農法です。
これにより15万haの耕地を灌漑することができ、米栽培、そして砂糖栽培が飛躍的に成長し、台湾南部は大穀倉地帯となりました。水田は30倍に増加し、ダム完成から7年後の1937年には生産額は工事前の11倍に達し、サトウキビ類は4倍。ダムの規模は東洋一でした。
その業績は国民中学の『社会2・農業の発展』に詳しく記載されており、最後まで貿易が赤字だった朝鮮とは異なり、台湾が早くから黒字に転じたのは農産物のお陰であると言い切っています。
● 台湾経済を変えた日本人 ‐ 八田與一(はった よいち)の偉大なる功績
また、八田は台湾の現地人を差別することなく、現地人従業員をとても大切にしたと台湾で伝わっています。台湾人からも慕われていた八田ですから、ダムの完成時には銅像建立話が持ち上がりました。しかし、八田はこれを固辞しつづけました。
そこで、八田の思いを忖度した地元民や周辺の者たちが、偉そうな立像ではなく、ダムを見下ろしながら思案にふける八田の姿の銅像をつくったと言われています。
八田與一は1942年5月、フィリピンの綿作灌漑調査のために広島の宇品港から大洋丸に乗船して出航したものの、途中でアメリカ海軍の潜水艦により撃沈され、八田も死亡したのです。そして八田の妻・外代樹は、1945年9月、八田の後を追うように烏山頭ダムの放水口に身を投げました。
八田の台湾への貢献および、台湾人に分け隔てなく接した態度は、台湾の人々からも非常に尊敬されています。蒋介石時代には、大日本帝国の建築物や顕彰碑が次々と壊されましたが、八田與一の銅像は地元の人々の協力で隠され続け、守られてきたのです。そして、1981年に、八田ダムがよく見渡せる場所に、八田與一の墓とともに設置されたのです。
そのような、台湾人にとっても思い入れのある八田與一像の首が、中台統一を主張する統一促進党の幹部によって切断されてしまったわけです。ちなみに、統一促進党は、中国で沖縄の中国領有を主張する「中華民族琉球特別自治区準備委員会」という組織ともつながりが囁かれています。もちろんこれは中国政府の息がかかっています。台湾独立阻止と沖縄独立を目論む中国とつながりのある統一促進党が、日台の絆の象徴である八田與一の像を破壊したということは、ある意味で、わかりやすい構図です。
5月8日には八田與一の命日にあわせて式典が予定されていることもあり、今回の事件によって壊された銅像の修復が急がれますが、そこで登場したのがわれらが奇美グループの創始者である許文龍氏でした。ダムに設置されている銅像を模したものを奇美美術館が所蔵していることから、切断された頭部に美術館所蔵のものの頭部を接着させると申し出たのです。
● 壊された八田與一像、台南・奇美博物館が週内に修復へ/台湾
台湾経済はこうした名士に支えられている面があります。彼らは、戦後何もない状態から財を築いて現在の台湾経済を支えてきました。もちろんそれは、彼らの血のにじむような努力の賜物ですが、その努力ができたのは、八田ダムのような日本統治時代に築かれた国家としてのベースがあることも忘れていません。だからこそ、彼らは日本に感謝し、日本を愛し、日台友好のための支援を惜しまないのです。このメルマガでも以前に取り上げたエバーグリーングループの創業者であり、東日本大震災のときにポケットマネーで10億円の寄付をした張栄発氏もその一人です。
それに比べて、今回の事件を起こした人物の幼稚さは際立っています。台湾では、統一派と独立派の対立は常に存在していますが、こういうバカげたことをするのはいつも統一派です。前述したように、中国の意向を受けて日本人の台湾へのイメージを貶め、日台離反を画策しようとしている可能性もありますが、かえって逆効果ではないでしょうか。
台湾人にしてみれば、中国に対する嫌悪感が増大しますし、日本人にしても台湾に対する知識がここ数年で深まっていますから、大陸派が行ったということはすぐに分かるでしょう。中国が「一つの中国」を声高に叫べば叫ぶほど、台湾での独立気運の高まり、そしてそれをぶち壊そうとする大陸派がいるということが、日本人にも意識されるようになっています。
台湾の大陸委員会は、中国の人権活動家による難民申請を検討する用意があると発表しました。政治亡命者は受け入れられなくても、長期滞在を提供することはできるとの見解を公式に示しました。台湾は、統一派たちの幼稚な言動に少しも動揺ないばかりか、中国の人権活動家を支援しようとしています。
李登輝から始まった民主国家台湾は、今、蔡英文総統に受け継がれ民主国家としてあるべき姿を引き続き追い続けています。中国との差は広がるばかりだし、独立こそ認められていませんが、国家としてあるべき姿は具現化しています。今後も統一派による嫌がらせは何度もあるでしょうが、台湾は揺るぎません。
先ほど、台湾映画「湾生回家」(黄銘正監督 2015年)を見てきた。
週日、午後1時過ぎの岩波ホールは、ほとんどが高齢者、六~七分の入りだった。地味なドキュメンタリーにしては、予想以上の人出だと思った。
映画の紹介については、公式予告編を下記に貼付したので、それを見ていただくとして、少しだけ感想を記したい。
私が「湾生」(=日本統治時代の台湾で生まれた日本人)という言葉を知ったのは、「知られざる東台湾~湾生が語るもう一つの台湾史」(山口政治著 2007年)を読んでから。
著者の山口政治氏は、出版当時でも85歳前後のご高齢であったから、今どうされているのだろうか。
「東台湾」は、台湾島の太平洋岸を指す。台湾島には中央山脈が屹立していて、太平洋側と台湾海峡側との交通を遮断している。太平洋側の東台湾には、清朝の支配が及ぶこともなく(すなわち漢族の居住も少なく)「化外の地」と呼ばれ、主に台湾原住民が生活する領域だった。その東台湾の開発、近代化が進められたのは、日本統治時代(1905-1945年)だった。花蓮は日本人によって開発された町であり、多くの日本人が開拓者として移住した。その時代、台湾で生まれた日本人が「湾生」と呼ばれ、この映画のタイトルにもなっている。
この映画の黄銘正監督は、ことし46歳。インタビューで「私たちの世代は、学校で日本がいかに悪いことをしたかということしか教えられていなかったのですが、祖父母からは日本の負の側面については、ほとんど聞いたことがありません。もっとも日本がどうだったかという話はそんなにしませんでしたけど、それでも印象に残っているのはいい部分の話しばかりですね」と語っている。ここには、中国国民党独裁下の学校における反日教育と、彼の祖父母である日本語世代の日本認識との断絶がはっきりと示されている。台湾人(本省人)の日本語世代が語り継いできた、肯定的な「日本」のイメージがあるからこそ、現在の「親日国家台湾」があるのだと言えよう。
酒井充子監督の「台湾人生」(2008年)「台湾アイデンティティ」(2013年)では、その日本語世代の台湾人が激動の人生を語っている。
この「湾生回家」(2015年)は、その酒井充子二作品へのオマージュともなっている。いみじくも、映画のパンフレットに酒井充子監督が「湾生と日本語世代」という一文を寄せている。
全文を引用させていただいたが、何度か遠くからお会いしたことのある酒井充子監督なので、お許しいただけると思う。日本と台湾の双方から記録された映画の原点がここに記されているので、他に多くを語る必要もないほどだ。
陳腐な表現ではあるが「日台の絆を改めて知らされる」秀作である。
台湾通のマイミク氏が「台湾の台南ではこのような歌を歌っても何ら問題ありません。韓国や中国で歌うとヘタしたら殺されるでしょうね」というコメントをつけて、台湾人が歌う「愛国行進曲」の映像を紹介してくれた。(下記参照)
「愛国行進曲」は、もちろん日本の歌曲、軍歌と呼ばれるべきかもしれない。右翼の「街宣車」が大きな音で流す曲でもあるので、聴いたことがある人は多いはずだ。何故、そんな曲が先月末(2016.5.29)台南・赤嵌樓(せきかんろう)で歌われたのか?
李登輝氏が政治舞台に登場する1980年代末までは、台湾では国民党(=中国国民党)の独裁政権下で、言論の自由が著しく制限されていた。その後、民主化が実現するにつれ、「日本語世代」の祖父母から引き継がれてきた親日的な感情が、一気に顕在化した。今では、台湾でもっとも有名な史跡・観光地である台南・赤嵌樓でも、このような集会が自由に行われる。
「ネトウヨ」と呼ばれる人たちは、この映像を「親日台湾」の証拠だと言い募るのかも知れない。他方、日本の「団塊の世代」が、「戦争を知らない子どもたち」を歌うのと同じではないか、という意地悪な見方もあるだろう。
この曲を歌う「日本東亞合唱團+郭一男滑音吉他團」について、上記のマイミク氏は次のように説明してくれた。
「滑音とはglissandoと言い音樂の表現手法の一つです。吉他團とはギター団の意味です。日本東亜合唱団は台湾にも支部が あり日本人と台湾人が仲良く軍歌を中心に歌っている合唱団です。」
この「愛国行進曲」の後半部分は、歌詞を替え歌にして次のように歌っている。
「見よ東條の禿げ頭 よくよく見れば毛が三本 頭の上で運動会 滑って転んで一等賞 おおテカテカの禿げ頭…」
戦前からさまざまに歌われてきた「替え歌」なのだろう。東條英機をからかった歌詞であることは間違いない。いま、この替え歌の歌詞を聴いたことで、重苦しさから解放される日本人もいることだろう。替え歌を唄うのは「娯楽も含んでいますので」と マイミク氏。
いずれにしろ、この映像は、日本のマスメディアが絶対に採りあげない、現代臺灣のひとつの素顔を描き出している。やはり、台湾は台湾、中国の一部などではない、むしろ、日本との絆こそ、今見直されるべきだ。そんなことを強く考えさせられた。
愛國行進曲 // 日本東亞合唱團+郭一男滑音吉他團 合唱2016.5.29.於赤嵌樓
愛国行進曲(日本版 日本語歌詞表示)