澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

蔡英文女史が中華民国(台湾)総統に就任

2016年05月21日 14時27分38秒 | 台湾

 昨日、蔡英文氏(民主進歩党)の中華民国総統(大統領)就任式が盛大に行われた。「ひとつの中国」の神話に呪縛され、同時に中共(中国共産党)の恫喝におびえる、日本のマスメディアは、この就任式の模様や、蔡総統就任の背景を詳しく伝えようとはしなかった。

 先ほど、台湾通の友人が総統就任式の特集映像を教えてくれたので、下記に貼付する。中華民国総統府(旧・台湾総督府)で行われた式典には、李登輝氏の元気な姿も見られた。
 各界代表の中には、華やかな民族衣装をまとった台湾原住民の姿も見受けられる。インタビューを受ける市民の姿にも、この国の成熟した「民度」を感じさせる。

 この就任式で、蔡英文・新総統は、あえて「ひとつの中国」に言及しようとはしなかった。(下記「蔡英文総統就任演説」全文参照)そのため、中国側からは台湾への旅行客制限などのいやがらせが始まっていると、早速NHKが伝えていた。「おもてなし」による金儲けと、市民の自由、人権の保障とどちらが大事なのか、CCTV(中国中央TV)の東京支局になり下がったNHKは、お分かりにならないようだ。だが、民主主主義国家としての台湾の実像を極力制限して、一般国民には中国と台湾の違いさえ不明確にさせようとする報道姿勢は、日本のマスメディアの自殺行為と言っておく。

 この映像を見れば、民主主義国家・台湾の姿が一目瞭然。民主的な自由選挙投票で選ばれた女性大統領が、ここに誕生したのだ。その台湾を国家として認めず「一地域」などと呼ぶ、小賢しさと傲慢さを深く恥じ入るべきだろう。

 

蔡英文総統 就任演説 全文  (2016/05/20)

 友好国の元首と貴賓の皆様、各国の駐台湾使節及び代表の皆様、お集まりの皆様、全国の同胞の皆様、こんにちは。

 さきほど、私と陳建仁氏は総統府内で正式に宣誓をし、中華民国第14代正副総統に就任しました。我々は、この土地が私たちを育ててくれたこと、皆様が我々を信頼してくれたことに感謝します。そして最も重要なこととして、この国の民主のメカニズムに感謝します。民主のメカニズムがあったからこそ、平和的な選挙を通して三度目の政権交代が実現しました。そして様々な不確定要素があった、4ヶ月間にわたる政権移行期も乗り切ることが出来、政権の平和的な移行が完了したのです。

 台湾は、我々が「民主人」、「自由人」として固い信念を持ち、自由で民主的な生活方式を守っていくということを具体的な行動で再び世界に知らしめたのです。この道のりには我々一人ひとりが参加しました。親愛なる台湾のみなさま、我々は成し遂げたのです。

 今年1月16日の総統選挙の結果について、私は他の解釈をしたことがありません。それは、人々が新たな総統、新たな政権を選ぶにあたり、期待したのは「問題を解決すること」だということです。今、台湾は苦境に陥っており、絶対に後には引かないという執政者の責任感を強く必要としています。私はこの点を忘れません。

 目の前には多くの難関が待ち受けており、我々にはこれに誠実に向き合うこと、そして共同で立ち向かうことが求められます。ですからこの演説はインビテーションです。私は全国の同胞が一緒に、この国家の未来を担うようお誘いします。

 国家は指導者によって偉大になるのではなく、国民全体が共に奮闘することで偉大になるのです。総統が団結させるのは支持者だけではなく、国家全体です。そして団結は変化のためです。これは私がこの国に抱く最も切実な願いです。ここで私は心から、この国にチャンスを与えてくれるよう呼びかけたいと思います。偏見を捨て、過去の対立を終わらせ、新たな時代が我々に与える使命を一緒に成し遂げましょう。

 我々が共に奮闘する過程において、私は総統として全国の皆様に宣言します。これから私と新政権は、この国の改革をリードし、決意を示し、絶対に退かないということを。

 これからの道は厳しく、台湾は一切の挑戦を正面から受け止める新たな政権を必要としています。そして私の任務はその新政権をリードしていくことです。

 我々の年金制度は、改革しなければ破産します。硬直した教育制度は社会の脈動と乖離し始めています。我々のエネルギーと資源には限りがあります。経済は原動力に欠け、従来型の受託生産方式はすでにボトルネックに直面しています。国家全体は、経済成長の新たなモデルを必要としているのです。また、人口構造の高齢化は急速に進んでいるにもかかわらず、長期ケア体系は不健全です。出生率が低迷を続ける中、完全な託児制度整備のめどは立っていません。環境汚染の問題も今なお深刻です。国家財政も楽観できません。さらに我々の司法は人々の信頼を失っています。食品の安全性問題はすべての家庭を取り巻いています。貧富の差もますます広がっており、社会のセーフティネットにも綻びがあちこちに存在します。

 最も重要で私が特に強調したいのは、若者たちの低賃金問題です。彼らは身動きできません。将来に対する見通しが立たず、ただあきらめるしかないのです。

 若者の未来は政府の責任です。若者にやさしくない構造を改められなければ、個々のエリートがさらに出てこようと、若者全体の境遇を改善することにはつながりません。私は自分に対し、総統任期中に、根本である構造から一歩一歩、この国家的な問題を解決していくことを課しています。

 これこそが、私が台湾の若者のためにしたいことです。ただちに若者の給与を引き上げることは不可能ですが、新政権が直ちに動き出すことを約束します。時間を少しください。そして私たちとこの改革の道を共に歩んでください。

 若者の境遇を改善することは、国家の境遇を改善することです。一つの国の若者に未来が無いならその国の未来も無いでしょう。若者が苦境を乗り切れるよう助け、世代間正義を実現し、より良い国を次の世代にバトンタッチする。これは新政権の重大な責務なのです。

 より良い国づくりのため、新政権は以下の数件のことを行わねばなりません。

 まず、台湾の経済構造を転換します。これは新政権にとって責任逃れの出来ない、最も困難な使命です。自分たちを卑下し、自信を失ってはなりません。台湾には他の国々には無い、様々な優位性があります。我々は海洋経済の活力と強靭さを持っています。優れた資質のマンパワー、実務的で信頼できるエンジニア文化、整った産業チェーン、敏捷で小回りの利く中小企業、そして絶対に屈しない創業精神があります。

 我々が台湾経済を生まれ変わらせるには、まさに今決意してこれまでと異なる道に歩みだす必要があります。この新たな道とは、台湾の経済成長をもたらす新たなモデルを創り出すことです。

 新政権は今後、イノベーション、雇用、分配を核心的な価値とし、持続可能な発展を目指す新たな経済モデルを打ち立てます。改革の第一歩は、経済の活力と自主性を強化し、世界各地及び地域とのリンクを深めることです。多角的、及び二者間の経済協力協定、もしくは自由貿易協定交渉を積極的に進めます。ここにはTPP環太平洋パートナーシップ協定、RCEP東アジア地域包括的経済連携などが含まれます。そしてさらに「新南向政策」を推進することで、対外経済のスケールを広げ、多元性を高め、かつての単一市場に依存していた現象から抜け出すのです。

 この他に、新政権は、新たな成長エネルギーを刺激してこそ、現在の景気低迷を突破できると考えています。我々は輸出と内需を二つのエンジンとし、企業の生産活動と人々の生活を表裏一体として、対外貿易と地元経済を緊密に結び付けます。

 我々は、五大イノベーション研究開発計画を優先的に推進し、これらの産業によって再び台湾の世界的な競争力を生み出します。労働生産性を高め、労働者の権益を保障することで、賃金と経済成長が同時に改善されることを目指すのです。

 今は台湾経済の発展にとって、カギとなる大切な時期です。我々には決意があり、また意思疎通能力も持っています。すでに系統だった計画を立てており、政府各部会が協力するモデルでこの国全体のパワーを集結し、新たなモデルを誕生させるのです。

 経済発展と同時に、我々は環境に対する責任も忘れてはなりません。経済発展の新たなモデルは国土計画、地域の発展、持続可能な環境づくりと互いに結びつきます。産業の展開と国土の利用では、バラバラな計画や目先のみ意識したやり方はやめるべきです。我々は、地域のバランスの取れた発展を常に目指さなければならず、これには中央政府による計画と統合が必要である他、地方自治体による地域での合同運営の精神を十分発揮する必要もあります。

 かつてのように、天然資源と国民の健康を限りなく犠牲にしていくことは許されません。ですから、各種の汚染管理について我々は厳しい態度で取り組みます。台湾をいっそう、循環型経済の時代へと向かわせ、廃棄物を再生資源へと転換していくのです。また、エネルギーの選択について、我々は持続可能性の観念で段階的に調整していきます。新政権は、気候変動、国土の保全、災害防止に関する問題を厳粛に受け止めています。なぜなら地球は一つしかなく、台湾も一つしかないからです。

 新政権が責任もって成し遂げなければならないことの二つ目は、台湾社会のセーフテイネットの強化です。近年、児童や少年の安全を脅かす事件、及び無差別殺人事件がいくつか発生して社会を驚かせました。しかし、政府が驚いてばかりいてはいけません。被害者を思いやることが必要です。被害者の遺族に代わってその痛みに耐えることは誰にもできません。しかし、政府、特に第一線で問題を処理する者は、不幸な事件に見舞われた被害者と家族に、政府は彼らと共にあることを感じさせる必要があります。

 思いやりの心の他、より大切なのは政府が解決の方法を提示することです。悲劇の再発防止に全力であたり、治安、教育、心の健康、ソーシャルワークなど様々な面から、セーフティネットの綻びを繕う作業が必要です。特に治安維持と薬物乱用防止に向けて、新政権は最も厳しい態度と行動で取り組んでいきます。

 年金改革は台湾が生き残り、発展していけるかどうかのカギとなる改革です。我々は躊躇してはなりませんが、拙速に進めてもいけません。陳建仁・副総統が召集人を務める「年金改革委員会」の設置準備が進んでいます。過去の政権もこの問題について一定の努力はしてきました。しかし、社会の参与が足りていませんでした。新政権のやり方は、集団的な協議を発動することです。なぜなら年金改革は話し合いですべての人々を団結させる過程でなければならないからです。

 これこそが、我々が年金改革国是会議を開こうとしている理由です。異なる階層、異なる職業の代表が、社会としての団結を基礎に共に話し合うのです。我々は向こう1年以内に実行可能な改革計画を打ち出します。労働者であろうが公務員であろうが、すべての国民は退職後の生活で公平な保障を受けられなければいけません。

 また、長期ケアの問題について、我々は質が良く、安価で、普及された長期ケアシステムを築き上げます。年金改革と同様に長期ケア体系は社会総動員の過程です。新政権のやり方は、政府が主導、計画し、民間がコミュニティ主義の精神を発揮するのを奨励し、社会の集団的な助け合いの力を通じて適切かつ完全な体系を整えようというものです。高齢者がみな、自分が慣れ親しんだコミュニティで安心して老後の生活を過ごせるようにし、すべての家庭での高齢者ケアのプレッシャーを軽減します。高齢者介護の仕事は完全に自由な市場とするわけにはいきません。我々は責任を持ち、段取りに従って計画し、執行していくことで超高齢社会の到来に備えます。

 新政権が責任もって成し遂げなければならない三つ目のことは社会の公平性と正義です。この問題に関して新政権は引き続き公民社会と協力し、台湾の政策を、多元性、平等、開放、透明性、人権などの価値に合致したものとしていきます。台湾における民主メカニズムをいっそう深めて進化させていきます。

 新たな民主制度をスタートさせるには、過去に向き合うための共通の方法を見つけ出さねばなりません。これから、私は総統府に「真相と和解委員会」を設け、最も誠実かつ慎重な態度で過去の歴史を処理していきます。移行期の正義の目標は、社会の真の和解であり、台湾の人たちすべてにあの時代の過ちの教訓を学ばせることです。

 我々は、真相の調査と整理から始め、向こう3年以内に台湾における移行期の正義に関する報告書をまとめます。我々は調査報告によって明るみに出る真相に基づき、移行期の正義の作業を進めます。真相を明らかにし、傷跡を癒し、責任を明確にします。そしてそれからは、過去の歴史が台湾における分裂の原因ではなくなり、共に前進するためのエネルギーへと転じるのです。

 同じく公平性と正義の問題に関して、私は同じ原則で原住民族の問題に向き合います。今日の就任祝賀大会で、原住民族の子供たちは国歌を歌う前、まず彼らの集落の伝統的な調べを歌ってくれました。このことは我々が、この島の人たちがやってきた順番を忘れてはならないことを象徴しています。

 新政権は謝罪の態度で原住民族に関する問題に向き合い、原住民族の歴史観の再構築、自治の段階的な推進、言語と文化の再生、生活支援の強化に取り組みます。これは私が新政権をリードして進める変化だといえます。

 さらに、新政権は司法改革にも積極的に取り組みます。これは現在、台湾の人たちが最も関心を寄せる議題です。司法が人々から遠ざかり、人々の信頼を失い、犯罪を効果的に防げず、正義を守る最後の砦であるべき機能が失われた。これはすべての人々が感じていることです。

 新政権の決意を示すため、我々は今年10月に司法国是会議を開きます。人々の実際の参与を通して社会の力を呼び込み、一緒に司法改革を推し進めるのです。司法は人々のニーズを満たさねばなりません。法律家だけの司法ではなく、全国民の司法であるべきです。司法改革はまた、司法関係者だけのことではなく、全国民が参与する改革です。これが私の司法改革に対する期待です。

 新政権が責任もって成し遂げなければならない四つ目のことは、地域の平和、安定と発展です。そして台湾海峡両岸関係への適切な対処です。過去30年間、アジアも世界も変動が最も激しい時期でした。そして、世界と地域経済の安定と集団安全保障も各国政府がますます関心を寄せる課題となったのです。

 台湾は地域の発展において常に欠かせない役割を担ってきました。しかし、近年、地域の情勢は急激に変化しており、台湾が自らの実力を活用し、地域での事柄に積極的に参与していかなければ存在感を失うばかりでなく、孤立化し、さらには未来の自主権をも失ってしまうかもしれません。

 我々には危機がありますが、転機もあります。台湾の現段階での経済発展はこの地域にある多くの国との間で、高度な関連性と相互補完性を持っています。経済発展の新たなモデルを築くための努力で、アジア、さらにはアジア太平洋地域の国々と協力し、共に未来の発展戦略を作り出せたとしたならば、地域経済のイノベーション、構造調整、持続可能な発展に貢献できる他、域内のメンバーたちとの間で緊密な「経済共同体」の意識を固めることもできるでしょう。

 我々は他国と資源、人材、市場を共有し、経済規模を拡大して資源を効果的に使用すべきです。「新南向政策」はまさにこのような精神に基づきます。我々は科学技術、文化、経済貿易面における各レベルで地域のメンバーと幅広い交流と協力を行います。特にアセアン(東南アジア諸国連合)、そしてインドとの多元的な関係です。このため、我々は中国大陸とも、地域の発展に共同で参与することに関して忌憚無く意見交換し、様々な協力を実現する可能性を探る用意があります。

 経済発展に積極的に取り組む他、アジア太平洋地域の安全保障問題もますます複雑化しています。そして、台湾海峡両岸関係は、地域の平和と集団安全保障体制を築く重要な部分となっているのです。この体制構築への過程に、台湾は「平和を強く守る者」として積極的に参与していきます。我々は両岸関係の平和と安定を維持できるよう全力を尽くします。そしてさらに台湾における内部的な和解に取り組み、民主メカニズムの強化と共通認識の形成を通じて、対外的に一致した立場を示せるようにしていきます。

 対話と意思疎通は、我々が目標を達成するための最も重要なカギです。台湾はまた、「平和の積極的な意思疎通者」を目指します。このため我々は関係各方面と、常態化した緊密な意思疎通メカニズムを築いていきます。常に意見交換することで誤った判断を防ぎ、相互信頼関係を築いて紛争を効果的に解決します。我々は平和の原則、並びに利益の共有という原則を守り、関連の争いを解消します。

 私は中華民国憲法に基づいて総統に当選したのであり、中華民国の主権と領土を守る責任があります。東シナ海、南シナ海での問題に対し、我々は争いの棚上げと資源の共同開発を主張します。

 台湾海峡両岸の対話と意思疎通では、既存のメカニズムの維持に努めます。1992年に両岸の交渉窓口機関が、相互理解、並びに「合意できる点を探り、立場の異なる部分は棚上げする」という政治的な考え方を堅持して話し合い、若干の共通の認知と理解に達しました。私はこの歴史的事実を尊重します。1992年以降20年あまりの交流と協議の積み重ねで形成された現状と成果を、両岸は共に大切にして守っていかねばなりません。そして今後も、この既存の事実と政治的基礎の下で、両岸関係の平和で安定した発展を引き続き推進していくべきなのです。新政権は、中華民国憲法、両岸人民関係条例、並びに関連の法律に基づいて両岸業務を進めていきます。両岸の二つの政権与党は過去のわだかまりといった重荷を捨て、前向きな対話をスタートさせ、両岸の人々に幸福をもたらすべきです。

 私の言う「政治的基礎」にはいくつかのキーとなる要素があります。まず、1992年に両岸双方の交渉窓口機関が行った会談という歴史的事実と、「合意できる点を探り、立場の異なる点は棚上げする」ことへの共通の認知、次に中華民国の現行の憲政体制、三つ目は過去20年あまりの協議と交流による成果、そして四つ目は台湾における民主の原則と普遍的な民意です。

 新政権が責任もって成し遂げなければならない五つ目のことは、地球の公民としての責任を果たし、外交と地球規模の問題の上で貢献することです。台湾を世界に歩みださせ、世界を台湾に呼び込みます。

 会場には各国の元首並びに使節団が多くやってきています。彼らがこれまで長期にわたって台湾を助け、台湾が国際社会参与の機会を持てるようにしてくれたことに感謝します。我々はこれからも、政府間交流や企業による投資、民間での提携といった各種の方式で、台湾が持つ発展の経験を共有し、友好国との間に持続可能なパートナーシップを築いていきます。

 台湾は世界の公民社会の模範生です。民主化が実現して以来、我々は常に平和、自由、民主、人権という普遍的な価値を堅持してきました。我々はこの精神を守りながら、地球規模の課題に関する「価値同盟」に加わります。我々は引き続き、米国、日本、欧州をはじめとする友好的な民主国家との関係を深め、共通の価値観を基礎に全方位的な協力関係を推し進めます。

 我々は国際的な経済協力、並びにルール作りに積極的に参与し、世界の経済秩序の維持に努める他、重要な地域的経済貿易体系に加わっていきます。我々はまた、地球温暖化防止や気候変動の議題にも断固参与していきます。我々は行政院に、エネルギーとCO2削減を専門とするオフィスを設置します。そして、COP21パリ協定の規定に基づき、温室効果ガスの削減目標を定期的に見直し、友好国と手を取り合い、持続可能な地球の確保に取り組んでいきます。

 同時に新政権は、地球規模の新たな議題での国際間協力を支持し、これに参与していきます。人道救助、医療支援、疾病の防止と研究、テロ防止、国際犯罪の共同取締りなどです。国際社会にとって、台湾を不可欠のパートナーにするのです。

 1996年、台湾では初めて総統直接選挙が行われました。それから今日でちょうど20年経ちました。過去20年、政府と公民社会の努力の下、我々は多くの新興民主国家が直面する難関を乗り越えてきました。この過程では、感動的な瞬間と物語が数多くありました。しかし、一方で他の国々と同じように、我々にも焦り、不安になり、衝突し、対立することがあったのです。

 我々は社会の対立を目にしてきました。進歩と保守の対立、環境と開発の対立、そして政治的イデオロギーの対立。これらの対立は、かつて選挙の時には支持者動員の力となりました。しかし、これらの対立により、我々の民主制度は問題解決能力を徐々に失っていったのです。

 民主は一つのプロセスです。それぞれの時代の政治家はみな、その肩にかかる責任をしっかりと認識せねばなりません。民主は前進しますが、後退するかもしれません。しかし今日、私がここに立っているのは、皆様に告げたいからです。民主の後退は私たちの選択肢には無いのだと。新政権の責任は、台湾の民主を次のステージに押し上げることです。かつての民主は選挙の勝ち負けでした。今の民主は人々の幸福に関係しています。以前の民主は二つの価値観の対立でしたが、今の民主は異なる価値観の対話なのです。

 イデオロギーによって縛られることのない「団結の民主」を作ること。社会と経済の問題に対処できる「効率的な民主」を作ること。本当に人々をサポートしてくれる「実務的な民主」を作ること。これこそが新たな時代の意義です。

 我々が信じてさえいれば新たな時代はやってきます。この国の主が固い信念を持っていさえすれば、新たな時代は必ず私たちの世代の手によって生まれます。

 親愛なる台湾のみなさま、演説はまもなく終わります。そして改革が始まります。今この時から、この国の責任は新政権が担います。私は皆様に、この国の変化をお見せします。

 歴史は我々を、この勇敢な世代を記憶するでしょう。この国の繁栄、尊厳、団結、自信、そして公共の正義はみな我々が努力してきた痕跡です。歴史は我々の勇気を記憶します。我々は2016年、国家を新たな方向に動かしました。この土地にいるすべての人は、台湾の変化に参与したことを誇りに感じることでしょう。

 先ほどのパフォーマンスにあった歌に、私が感動する一言があります。

 (台湾語) 今日がその日だ、勇敢な台湾人よ。

 国民の皆さん、2300万人の台湾の皆様、待つのはもう終わりました。今日がその日です。今日、そして明日、これからの一日一日、我々は民主を守り、自由を守り、この国を守る台湾人になろうではありませんか。

 ありがとうございました


高雄・旗津半島を散歩

2016年03月20日 22時35分05秒 | 台湾

 ちょうど一週間前の日曜日(13日)、台湾・高雄の旗津地区を散歩。
 高雄港のフェリー(20元)に乗って、対岸の旗津半島まで10分足らず。私は二度目、家人は初めての旗津だった。

 家人は旗後天后宮旗後灯台のような歴史建造物よりも、まるで「ブラタモリ」のタモリのように、海岸にある崖の地層に興味を抱いていたので、撮った写真は奇妙なものが多くなった。
 昨年末、夕日が素晴らしかった旗津の砂浜は、今回は雨の中を駆け抜けるありさまだった。島の片隅には国府軍(中国国民党軍)が構築したトーチカの残骸が散在し、つい最近まで戦時体制にあったことを思い出させた。日本統治時代に作られたトンネルを抜けると、半島の反対側に。そこからは、対岸の高雄市街、国立中山大学などの文教地区などが見渡せた。そういえば、台湾映画「百年恋歌」(「最好的時光」2005年)の冒頭では、旗津に渡るフェリーボートが印象的だった。

 「大陸反攻」を掲げた蒋介石時代には、一般市民が沿海部に近づくことは長い間禁じられたという。いろいろなことを思い出しながら、小雨の旗津を彷徨った。


  

《百年恋歌(最好的時光)2005年》より


台湾糖業博物館再訪

2016年03月20日 05時53分50秒 | 台湾

 2013年12月、台湾人のCご夫妻に案内されて、友人たちと訪れた台湾・高雄の台湾糖業博物館。そのことはこのブログにも書いたことがある。
 
 先週の日曜日(3月13日)、今度は家人を連れてこの博物館を再訪した。現在は博物館だが、日本統治時代に作られた台湾製糖株式会社の高雄工場で1990年代までは稼働していた製糖プラント施設だった。前回は管理部門(事務棟など)の施設が開放されているだけで、工場施設は立ち入ることができなかったが、今回は工場内部にも参観コースを設置。工場周辺には公園風の施設も設けられて、歴史博物館の趣を新たにしている。

 台湾に製糖業を根付かせたのは、「武士道」の新渡戸稲造。彼は、農学者でもあったから、1901年台湾総督府に招かれて、台湾糖業の将来展望を描いた。
 彼の胸像は「台湾糖業の父」と説明がなされて、次のような場所に建っていた。

「台湾糖業の父」新渡戸稲造の胸像(2013年12月撮影)

 計器類等の展示室に飾られていたのだが、今回行ってみると、その展示室はカフェに変身。新渡戸稲造の胸像は、その入り口に少し場違いな感じでおかれていた。

いま、新渡戸稲造はカフェの入口に。(2016年3月13日撮影)



 前回、Cさんに新渡戸稲造のことを尋ねたら、その存在をご存じなかったから、日本の五千円札になった人と説明したら、驚いていた。

 
糖業博物館の入口            台湾製糖会社の事務室
 

参観できるようになった工場施設 


公園部分は花が満開だった     聖母観音像(日本時代のもの)


和風建築の社宅(写真は工場長用
)    「仙草凍」で一息


製糖工場内には鉄道の引き込み線。日本統治時代のSLが保存されている。


花の名前は分からなかったが、南国の鮮やかさが印象に…

 
この「台湾糖業博物館」は台湾鉄道(臺鐡)あるいはMRT(地下鉄)紅線(Red Line)の「橋頭糖廠駅」下車で、駅の目の前に見える。というのも、橋頭糖廠駅は地下駅ではなく、地上駅なので。高雄駅からおよそ25分くらい。半日たらずで、十分見学できる。高雄を訪れたら、ぜひとも…。


高雄市立歴史博物館で「二二八事件」展示を見る

2016年03月19日 14時12分36秒 | 台湾

 先週末から今週初めまで、台湾の結婚式に出席するため高雄市を訪れた。昨年末、台湾最南端の鵝鑾鼻(がらんび)岬に行くために来たので、三か月ぶりになる。

 8年ほど前、高雄市立歴史博物館(旧・高雄市庁舎)を訪れたときは、館内整備中とのことで、中には入れなかった。この建物は、日本統治時代の1939年、当時の高雄市庁舎として建設され、1992年まで高雄市庁舎として使用された。それ以降は、市立歴史博物館として使われている。


「1939年 昭和十四年 市役所建立」と書かれた館内の案内表示

 今回たまたま、この高雄市立歴史博物館では「二二八事件微縮模擬場景 二二八 0306特展」という展示会が開かれていた。この博物館は、美しい愛河のほとりに位置して、今は市民の散歩コースになっているのだが、「二二八事件」では壮絶な殺戮の場と化した。
 まず、現在の歴史博物館を正面から撮った写真を見ていただきたい。

高雄市立歴史博物館(旧高雄市役所庁舎)の正面 2016年3月12日撮影

 1947年2月28日、中国国民党(蒋介石)政権は、台湾人の知識人・指導層を狙って政治弾圧を開始した。台湾全土で、何の法的理由、法的手続きもなく、三万人近い台湾人(台湾の日本語世代)が虐殺された。これが「二二八事件」だが、高雄市においても例外ではなかった。高雄における虐殺現場が、まさにこの市役所前広場だったという。「微縮模擬場景」という展示は、その情景をジオラマ式に次のように展示している。


二二八事件(1947年)における高雄市庁舎前の殺戮(「微縮模擬場景」展示)


蒋介石=国民党軍が行った「二二八事件」の虐殺を描いたイラスト絵


展示会のパンフレット

 
この「二二八事件」(1947年)は当時、GHQ統治下にあった日本には詳しくは伝わらなかった。実は、今なお、台湾人(本省人)の多くが「親日的」であるという事実の背景には、この事件の記憶が横たわっている。台湾では、李登輝氏が登場する1980年代後半になるまで、「二二八事件」の存在を口にすることさえできなかった。今から30年前、まだ多くの日本語世代は各界で活躍していたから、中国国民党一党独裁に対する憤りと、日本統治時代に対する肯定的評価が、実感として社会の隅々に潜在化していたに違いない。李登輝総統の登場による台湾の民主化が、一気にその感情を顕在化させたのだと言えるだろう。
 東日本大震災時、最大の義援金を届けてくれたのが台湾だった。「悪いことばかりした日本」のはずなのに、かくも温かい支援が届いたのは何故なのか。この肝心な点に、マスメディアは全く触れなかった。その理由は、「中国はひとつ」「台湾は中国に属する」とする中共(中国共産党)の教条に逆らえず、「親日的台湾」に言及すれば
中共の逆鱗に触れることを恐れたからだ。TV番組では「日本統治時代、日本は台湾の近代化に大きく寄与した」という事実に触れるのは、暗黙のタブーになっているはずだ。

 繰り返しになるけれども、誰がいったい旧宗主国(日本)の建物に、旧宗主国の年号(昭和)で建立年を記すだろうか?中国が、韓国が、北朝鮮は…!?台湾をおいて他には考えられないではないか。台湾(中華民國)がいかに「親日的」であるかを示す実例なのだが、昨年7月、耳を疑うようなニュースが伝えられた。
 それは「1971年、国連における中国代表権問題に関連して、
昭和天皇が佐藤栄作首相に”蒋介石を支持するように”と伝えた」というニュースだった。ここには、二つの問題が存在する。

①日本国憲法では禁じられているはずの政治的発言を昭和天皇が平然とおこなっていたこと、
②昭和天皇は、自分の「命の恩人」である蒋介石を守れと言いながら、その蒋介石に無残に虐殺されたかつての「わが臣民」「わが民草」(=すなわち、日本統治時代を経験した台湾人)については、一顧だにせず、その酷薄さが明らかになったこと。

 このニュースを聴いた、台湾の日本語世代(もう85歳以上になったご老人たち)は、何を思っただろうか。この昭和天皇の言動は「昭和」の年号を肯定する台湾人の心情を踏みにじるものではないのか。そのことを考えると、日本人が誤魔化してきた戦争責任の問題に改めて踏み込まざるを得ない気がしてくる。
 上記のことは、ほとんどの人が言及しないのだが、ここで触れておく。


かつての国民学校の授業風景。「大東亜共栄圏」と書かれている。(館内展示)

 旧高雄市役所であった歴史博物館の建物は、堅牢かつ質実剛健の趣。台湾を訪れ、日本統治時代の歴史建造物を見るとき、いつも近現代史を顧みる必要性を実感する。
親日的」な台湾・台湾人がいつまでもこのままではありえないのだから、せっかくの友好を続けるためにも、
歴史をありのままに直視すべきなのだろう。


 日本統治時代の高雄市役所(高雄市立歴史博物館発行の絵葉書より) 


階段の手すりには「桜」の文様が使われている。(右下)


愛河(Love River)のほとり(写真右)に歴史博物館がある

 


《高雄市立歴史博物館HPより「二二八事件」展示部分を転載》

國內首見的二二八事件微縮模擬場景-二二八.0306特展 Home > 訊息園地 > 媒體專區
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國內首見的二二八事件微縮模擬場景-二二八.0306特展


類別:

二二八事件堪稱是台灣史上最重大歷史事件之一,不僅奪取了無數民眾的身家性命,造成族群間的裂痕,也嚴重地傷害了倖存者與受難者家屬的心靈。經過這麼多年,亦適逢二二八事件65週年,也讓我們反思紀念這段歷史的時代意義。今(101)年高雄市二二八和平紀念活動以《愛的進行式》為主題辦理一系列的228和平紀念活動,以表示仇恨無法長久,唯有愛能包容一切。
高雄市政府今日(28日)在高雄市二二八和平公園舉行「2012年高雄市二二八和平紀念追思儀式」,市長陳菊、文化局局長史哲、及高雄市二二八關懷協會理事長凃世文等高雄市二二八事件受難者本人與家屬皆到場參與。追思儀式在世紀少年兒童合唱團演唱的〈平安.台灣〉、〈美濃山歌〉、〈原住民組曲〉等樂曲中展開。在全場默哀一分鐘後,並由高雄在地傑出的南風劇團帶來以作家胡長松先生作品《槍聲》改編之同名行動劇〈槍聲〉,原著中故事細膩情節緊密,現場演出考量儀式時間與場地等因素,特別擷取書中事件,呈現壓迫與重生為核心主題。劇中反覆出現的問句,也問出劇中人物的疑問,問出大眾對於228事件,難以化解的苦痛。
市長陳菊並代表大高雄全體市民,將象徵和平的百合花束獻給受難家屬代表,同時獻上對受難者最深刻的感念,向所有爭取民主、人權的先行者致敬。現場亦邀請市長代表所有的市民將象徵和平的百合花束獻給受難家屬代表,同時獻上高雄市民對受難者最深刻的感念。期望能透過紀念儀式,讓我們《以愛相會》用愛包容一切。
同日,高雄市立歷史博物館也重新詮釋二二八常設展的展示手法推出以突破國內現有各種二二八事件展示方式,推出「二二八.0306見證台灣特展」。高雄市立歷史博物館自1999年辦理二二八常設展以來,期間曾於2005年進行換展,今年適逢二二八事件65週年,為優化展示方式,彰顯二二八事件中於此處所發生國內首波鎮壓行動之重大意義,特地辦理常設展更新,所以本次展覽的規劃,將特別從高雄的角度來觀看高雄二二八事件,因此分別從「重返二二八的年代」、「二二八事件在高雄」、「南部二二八」三個主題切入探討,使參觀民眾可以深入理解、思索二二八事件在高雄的特殊性與意義。
1947年3月6日伴隨著飄落的細雨,二二八事件中政府軍隊正式武力鎮壓的第一聲槍響便是在高雄市政府(今高雄市立歷史博物館)響起,也開始了高雄二二八事件中一連串的犧牲。因此,重現此歷史情境,實有其重要意義,所以高雄歷史博物館重新規劃「二二八•0306」主題展,並訂於二二八紀念日當天在追思儀式後正式開展。
高雄市立歷史博物館自1999年辦理二二八常設展以來,期間曾於2005年進行換展,今年適逢二二八事件65週年,為優化展示方式,彰顯二二八事件中於此處所發生國內首波鎮壓行動之重大意義,特地辦理常設展更新,所以本次展覽的規劃,將特別從高雄的角度來觀看高雄二二八事件,因此分別從「重返二二八的年代」、「二二八事件在高雄」、「南部二二八」三個主題切入探討,使參觀民眾可以深入理解、思索二二八事件在高雄的特殊性與意義。
高雄歷史博物館策劃二二八展覽的意義,在於此地為高雄二二八事件中,政府軍隊武力鎮壓最慘烈的現場之一,更是全台單一地點死傷人數最多的地方,這段記憶對高雄是深刻的,想想看65年前在這裡,在大家的四周曾發生這一段悲傷的事件,我們的心情事沈重的,更是肅穆的,認真地看待這段歷史便是身處事件現場的博物館所必須擔負的責任,所以將二二八事件的歷史意義教育給下一代也是本館開館以來的重要使命之一。
高雄市立歷史博物館本身除了是高雄二二八事件中的重要鎮壓現場,更是全台單一地點死傷人數最多的地方,因此為了突破國內現有各種二二八事件展示方式,更加貼近現地展示在此處發生的武力鎮壓過程,博物館打造國內首見的二二八事件微縮模擬場景來重現本歷史事件現場,透過拍攝電影之展演手法重現歷史事件,運用擬真人偶與音效、燈光、微型攝影裝置進行情境式的微縮場景展演,藉由極精細的微縮場景再現歷史情境,具體而微地呈現事件經過,帶領參觀民眾重新回到歷史現場,使參觀民眾能身歷其境、對受難者及其家屬感同身受,並搭配相關文物展示,對高雄二二八事件的特殊性、爭議性及歷史意義產生共鳴,進而深入瞭解二二八事件歷史。本展覽將自2月28日當日於高雄市立歷史博物館二樓開展,歡迎市民朋友們造訪市立歷史博物館時,不妨跟著歷史的腳步上到博物館二樓,身歷其境國內首創劇場式微縮場景,帶您見證台灣歷史的重大時刻。繪本書巡迴展及二二八.0306見證台灣特展相關訊息,請上高雄市立歷史博物館官網及二二八系列活動官網khm.gov.tw/2012228查詢。
為紀念1947年春天所發生的二二八事件,高雄市政府特別於2月28日,舉辦2012年高雄市二二八和平紀念追思儀式,期望能透過紀念儀式,弭平仇恨,用愛包容一切。


台湾の結婚式に出席

2016年03月18日 02時59分41秒 | 台湾

 先週末から月曜日まで、知人の息子さんの結婚式に出席するため、高雄市(台湾)に出かけた。
 何年か前、澎湖島に行ったとき、馬公市で結婚式の野外披露宴に出くわしたことがあり、ずいぶんと賑やかで楽しそうだった。いつか機会があれば、台湾式の結婚式に参列してみたいと思っていた。

 

 結婚式のあとの披露宴は、3年ほど前にオープンしたという台湾最大のショッピングモール「夢時代」の中の中華料理レストランで行われた。料理を写真に撮るのは憚られたが、台湾風の薄味でさっぱりしたフルコース料理は、日本人にもぴったり。日本と台湾でしか捕れない「桜エビ」の料理も出された。
 私たちのテーブルには、日本に留学経験もある方や、片言の日本語を解する人ばかり。その方々の配慮のおかげで、楽しいひと時を過ごすことができた。

 台湾と日本の結婚式は、やはり異なる点が多い。日本では、新郎新婦の人となり(成育歴、家族、学歴、職業など)を詳細に紹介することが多いと思うが、台湾ではこれが全くなかった。日本の披露宴につきものの友人たちの祝辞や歌も一切なし。基本的に、テーブルごとの歓談に終始して、招待された客がビールを注いで各テーブルを回るなどという光景は見られなかった。

 披露宴の始まりとお開きに係る「時間」の観念も異なるのかも知れない。というのは、披露宴の各テーブルには、フルコースの料理が運ばれる前から、ピーナッツなどの「おやつ」(と日本語に堪能な人は説明してくれた)が置かれていて、好きなように食べ始めている人が多い。デザートとともに、各テーブルには白いビニール袋がひとつ置かれた。これは、そのテーブルで食べ残された料理を持ち帰り用に包んだもの。好きな人が持ち帰っていいと言う。それが宴会の終了の合図ともなっているようだ。

 つまり、日本の結婚式ほど堅苦しい感じはしない。それに、大酒を飲んで酔っ払う人は見られなかった。
 
 結婚式のお祝いは「紅包」と呼ばれる赤い袋にお金を入れて、受付に渡す。金額は日本とは逆で偶数でなければならないが、紅包に金額を書くことはしないという。
 
 初めての貴重な体験。これでますます台湾が身近に感じられるようになった。

 
 

 

 


中国は「チャイニーズ北京」として五輪参加せよ

2016年02月25日 04時51分22秒 | 台湾

 「中台平等と言うなら、国際競技会で『チャイニーズ北京』のチーム名にさせろ」 台湾の新人議員が馬英九政権を鋭く批判」というニュース(下記参照)。

 この新人議員とは、「ひまわり学生運動」から生まれた新政党「時代力量」から立法院(国会)議員に当選した林昶佐議員。ヘビーメタル・バンド、Chthonic(ソニック)のリードヴォーカリスト、フレディ・リムでもある。彼の言はまさに正論、「ひとつの中国」という虚構を鋭くえぐる発言だった。

 「時代力量」 林昶佐議員

 Chthonicのアルバム「高砂軍」の中に、「玉砕」(Broken Jade)がある。そこには、昭和
天皇の玉音放送が挿入されている。「特攻」のゼロ戦が米軍艦に体当たりし、やがて天に昇華していき、不死鳥(フェニックス)に変身して、突如消え去る。日本人であれば、この映像を見ただけで、胸に突き刺さるような思いを感じるはずだ。ある人は「天皇陛下の御心」を思うかもしれないし、対極の立場の人は「反戦」の思いを新たにし「天皇の戦争責任」を問いかけるはずだ。

 けれども、林昶佐(フレデイ・リム)の主張は、 全く別にある。台湾原住民である高砂族が皇軍兵士として大東亜戦争を戦った史実を採りあげて、民族とは、国家とは何かを問いかけ、台湾は台湾であり、中国の一部などではないと主張する。つまり、台湾独立の主張だ。彼の曲に日本への思い入れを感じてしまうのは、エモーショナルな誤解に過ぎない。「親日家」「親日のロックバンド」などという見当違いな見方は、噴飯ものと言うべきだろう。

 林昶佐議員のこの発言は、孫文が唱えて以来、中共(中国共産党)と国民党(中国国民党)の宿敵同士がずっと掲げ続けてきた「ひとつの中国」「中華民族」の虚構に一撃を加えた。彼の政治活動の出発点として、いささかのぶれもない、勇気ある発言だと思う。蔡英文総統をサポートする新政党「時代力量」の動向に熱い注目が集まる。


  

「中台平等と言うなら、国際競技会で『チャイニーズ北京』のチーム名にさせろ」 台湾の新人議員が馬英九政権を鋭く批判

2016年02月24日 20:02  

                                                                                                     
1月16日の選挙で当選し、台湾立法院委員(国会議員)に2月1日に就任した林昶佐議員が、23日、初の質問に立ち、馬英九政権の対中政策を厳しく批判した。(イメージ写真提供:123RF)

 1月16日の選挙で当選し、台湾立法院委員(国会議員)に2月1日に就任した林昶佐議員が、23日、初の質問に立ち、馬英九政権の対中政策を厳しく批判した。馬総統が「大陸と台湾は対等」との説明について、「ならば、国際競技会で、(中国代表ではなく)チャイニーズ北京の呼称にさせねばならない」などと論じた。

■ 若者が政党結成し、初の国会選挙で当選、議場で私は台湾独立派と明言

 林議員は、若者らを中心とする既成政党への反発を背景に結成された政党「時代力量(時代の力)」に所属。同党結成は2015年1月25日で、初めて臨んだ16年1月16日の国会議員選挙で、5人の当選者を出した。

 台湾メディアの聯合新聞網によると、林議員は質問の際にまず、「私は台湾独立派だ」と明言した。

 さらに、馬英九総統が大陸側の「92コンセンサス」により、「(台湾海峡の)両岸は対等な関係」と決着したと説明していることについて「台湾が国際競技会で中華台北(チャイニーズ・タイペイ)と呼ばれるならば、そして大陸側と対等と言うなら、大陸のチームは中華北京(チャイニーズ北京)」と呼ばねばならない」と指摘した。

■ 答弁から矛盾引き出しさらに追及、国民党の主張は「二国論」そのものだ。

 馬英九政権における大陸との交渉の責任者である夏立言・大陸委員会主任委員が、「政府は国際社会で正式な国名、正式な参加方式を求めている。これは政府の努力目標だ」などと答弁すると、林議員は「国際社会で中華民国と中華人民国の共存を目指すなら、それは二国論ではないか」と追及した。

 張主任委員は「92コンセンサス」について、政府は一貫して「一中各表(双方とも『一つの中国』は堅持しつつ、その意味の解釈は各自で異なることを認める」を非常に強調していると説明。馬英九総統が15年11月に中国の習近平国家主席と会談した際にも、会談の後半で「一中各表」に言及したと述べた。

■ 中台双方が「玉虫色」の解釈、当時の政権責任者は「コンセンサス」の存在そのものを否定

 なお、馬総統は「92コンセンサス」には「一中各表」が含まれると主張しているが、中国側は「1つの中国の原則」の確定だけを主張している。

 「92コンセンサス」は、香港で締結されたとされる1992年には発表されず、2000年の総統選で台湾独立を綱領に盛り込んだ民進党の陳水扁候補が当選した直後、就任前という「間隙」期間に、国民党所属で陳水扁政権誕生による退陣が確実視されていた蘇起・大陸委員会主任委員が「存在する」と表明した。

 92年当時に現職だった李登輝元総統、黄昆輝行政大陸委員会元主任、辜振甫海峡交流基金会理事長が次々に「92コンセンサスなどは存在しない」と表明した。

 

 

 


台南大地震  

2016年02月07日 12時58分36秒 | 台湾

 昨日の朝、台湾・高雄を震源とするM6.4の地震(「美濃 百年大震」)が発生。美濃(高雄市郊外)を通る美濃断層が、百年ぶりに動いた結果の地震らしい。

 この地震で、台南の17階建てマンション(維冠金龍大楼)が倒壊、多くの死者・負傷者が出て、救出作業は今も続けられている。台湾のネットでは、TV局の映像を生放送(下記参照)で流し続けている。春節(旧正月)の楽しい休みが、一転として悪夢に変わってしまった。
 行方不明者がまだ百人以上。できるだけ早く救出されることを祈りたい。     

 東日本大震災に際しては、260億円もの義援金を届けてくれた台湾・台湾人。いまこそお見舞いするときだと思う。
《Yahoo募金》 http://donation.yahoo.co.jp/detail/1630020/


台湾政治を変えるか、「時代力量」とChthonicの林昶佐

2016年01月20日 21時08分34秒 | 台湾

   おととしの紅白歌合戦だったか、サザンオールスターズの桑田佳祐がチャップリンの独裁者(つまりヒトラー)を真似たのか、ちょび髭姿で歌った。それが安倍首相を独裁者と揶揄しているのではないかと問題になった。桑田が真顔で「平和」を説けば説くほど、滑稽なむなしさを感じる人は多かったはず。所詮、ロック・ミュージシャンの「思想」など、児戯に等しい浅薄なものだと。
 
 先日の台湾総統選・立法院選挙で、新政党「時代力量」から立候補して当選した林昶佐は、ヘビーメタル・バンド「Chthonic(ソニック)」のリードボーカル、Freddyとして有名だ。彼の代表作であるアルバム「高砂軍」の中の一曲「玉砕」(Broken Jade)では、昭和天皇の「玉音放送」が曲中に使われていることからわかるように、Chthonicはサザンのようなチンピラバンドではない。皇軍兵士として太平洋戦争に参加した台湾原住民を採りあげ、「祖国」とは何かをファンに問いかけた。「日本」を題材に使ってはいるものの、それは「親日」「反日」という次元では全くない。「台湾独立」という、その政治主張は明確そのものだ。


Chthonic(ソニック)の林昶佐(左)と葉湘怡(Doris Yeh) ドリス(葉)は「自由チベット」とペイントし、背後には「チベット国」の国旗がある。この二人は、夫婦。

 台湾総統(大統領)および立法院(国会)議員選挙をつぶさに視察した宮家邦彦氏(元外務官僚)は、日本のマスメディアが「高め目線」から台湾の選挙を報道していることに疑問を呈している。国民が自由に選挙権を行使できるようになってからわずか20年余りの台湾を、「なかなかやるじゃないか」という高め目線で見るのは間違いだというのだ。そのひとつは、女性の進出がはるかに顕著だという事実。総統選挙の総統・副総統のペアは、三大政党とも男女の組み合わせだったし、立法院議員113人のうち40人は女性だ。また、「台湾は中国の一部ではない」「台湾は台湾」という台湾人意識の中で生まれた「時代力量」のような政党に、若者たちが積極的に関与しているという事実。これらは、政治意識、政治参加の度合いにおいて、台湾は日本よりむしろ進んでいるのではないか、という指摘だった。

 彼我の違いの最たる例が、サザンとChthonicだろうか。
 Chthonicの次の映像が、そのことを如実に示しているようだ。
 

  



 

 

 


2016台湾総統選  蔡英文と林昶佐(Chthonic)

2016年01月16日 23時57分03秒 | 台湾

 台湾総統選挙は、民進党の蔡英文主席が国民党の朱立倫候補をダブルスコアの大差で破り当選を決めた。 

 

 私は「ニコニコ動画」で蔡英文氏の勝利宣言を見たが、なかなか感動的だった。台湾の自由民主選挙は、この20年ほどの歴史しかない。民意を反映した総統(大統領)としては、李登輝、陳水扁、馬英九に次ぐ四人目の総統となる。

 同じく行われた立法院選挙には、ヘビーメタル・バンド「Chthonic(ソニック)」のリードボーカルである林昶佐/Freddy Limが新政党「時代力量」から立候補して当選した。
 彼の代表作であるアルバム「高砂軍」では、昭和天皇の「玉音放送」が曲中に使われている。

 

  何故、玉音放送が使われているのか? 友人の一人は、このバンドは「反日」なのかと訝っていた。だが、実際にこのPV(ビデオ)を見れば、天皇の玉音放送など付け足しにすぎないことが分かる。祖国のために命をささげた特攻兵士(日本人や高砂族の兵士)に対する尊敬(リスペクト)が主眼なのだ。特攻機が敵艦に突入し、そのあと昇天しフェニックス(不死鳥)に変貌していく。それは林昶佐にとっては、必然的に「台湾人の台湾」「台湾独立」への思いに繋がっている。

 蔡英文総統の登場により、日台関係はさらに強固になると言われる。だがしかし、台湾が「親日国」であるという、そもそもの理由を知る必要があるだろう。どこぞが「反日国」、こちらは「親日国」などという、手前勝手なご都合主義にどれほどの意味があるのだろうか。国民党軍に三万人もの無抵抗の台湾人が虐殺された「二二八事件」(1947年)のことさえ、われわれは学校教育の場でほとんど教えられていない。われわれはあまりに近現代史を知らなすぎるのだ…。

 林昶佐と蔡英文

【2016総統選挙】総統選挙各候補得票数と立法委員比例選挙政党得票
                   台湾の声 2016.1.17 0:15 現在

 総統選挙得票数

蔡英文ペア:6,894,744票 56.1234%

朱立倫ペア:3,813,365票 31.0409%

宋楚瑜ペア:1,576,861票 12.8357%

2012年の総統選挙で馬英九ペアが6,891,139票の得票で当選したので、馬英九に投票した人々が689と呼ばれていたが、今回の蔡英文ペアの得票も約689万票であった。

立法委員比例選挙政党得票

民主進步党:   5,370,953票 44.0598%

中国国民党:   3,280,949票 26.9148%

親民党:      794,838票  6.5203%

時代力量:     744,315票  6.1059%

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新党:        510,074票  4.1843%

緑党社会民主党聯盟:308,106票  2.5275%

台湾団結聯盟:    305,675票  2.5076%


台湾・総統選 国民党、敗北は「必然」の指摘も 存在意義が問われかねない状態に

産経新聞 1月16日(土)21時21分配信

 【台北=田中靖人】中国国民党は総統選で敗北が確実となっただけでなく、立法委員選でも大幅に議席を減らす見通しだ。「百年老党」を誇る国民党は、存在意義が問われかねない状態に追い込まれた。

 国民党の「鉄票区」とされる台北市の第1選挙区。現地メディアによると、民主化で立法院が全面改選される1992年以前からのベテラン立法委員(61)は民進党の新人女性(41)に敗れた。昨年3月に国民党から分裂した民国党も候補者を立て、組織票は流出。選対幹部は「馬英九政権への不満に党内抗争への反感もあり、民進党政権下で戦ったときより厳しい」と話した。

 国民党は有力者が出馬を見送った結果、泡(ほう)沫(まつ)視されていた洪秀柱立法院副院長が候補者となった。だが、洪氏が中国との統一を目指すかのような発言で支持率を落とすと、党内からの反発を受け投票の3カ月前に朱立倫主席に差し替えた。

 政治大学選挙研究センターの兪振華准教授は、党内対立の背景に、洪氏ら戦後中国から来た外省人系と、台湾出身の本省人系との対立があると指摘する。本省人系の政党である民進党は有権者の「台湾人意識」の高まりを受けて優勢だが、国民党は「現在では利益でつながっただけの政党で核心となる理念がなく、長期的にみて不利になるのは必然だ」と話す。

 このため、「中国人意識」を持つ外省人系は洪氏や国民党から派生し統一色の強い「新党」などを支持。経済的利益を期待して馬英九政権を支持した人々も離れた。兪氏は「国民党は新たな理念を探さなければ分裂するだろう」と指摘している。


台湾 高雄、恒春半島の旅 (番外編) 総統選挙

2015年12月21日 12時04分39秒 | 台湾

 台湾総統選挙は12月18日に告示され、来年1月16日に投票予定。
 
 私たちが高雄滞在中(12月12~15日)、TVでは総統候補者の名簿登載順のくじ引きを報道していた。最有力の蔡英文候補(民主進歩党)は二番目を引き、「真ん中で、左右を見渡せる蔡英文にふさわしい」とか、もっともらしい説明が付けられていた。
 公示前だったので、旅行中に見たのは、こんな垂れ幕のようなものだった。


蔡英文候補(右)

 
台湾南部は民進党(民主進歩党)の支持基盤。台南や高雄、さらには屏東県などの台湾南部には、中国国民党の支持者である外省人は少ない。おそらく、このまま順調に選挙運動が進めば、蔡英文候補が圧勝し、中国国民党政権を終わらせることだろう。

 日本人である私が、蔡英文氏を支持すると言ったところで、何ほどの意味もないのだが、この総統選挙の結果は、日本社会のこれからにとっても、とても重要な意味を持つ、そのことだけは考えておきたい。

 東日本大震災に際しては、中華民国(台湾)政府は真っ先に救援隊を組織し派遣、国中で義援金キャンペーンがおこなわれ、二百六十億円もの義援金が日本に贈られた。一方、韓国のネット上では、義援金どころか、「ざまあみろ、日本」「日本沈没」という嘲りが飛び交った。

 「台湾は親日国」と漠然とは知りながらも、台湾が「」であるのか「地域」なのか、「中国」の一部であるのか否か、このことをはっきりと意識する日本人は少ないのではないか。日本のマスメディアは、中国に媚びて、意図的に台湾報道を制限しているのだから、やむを得ない面もあるのだが…。

 台湾の日本語世代(日本統治時代に日本語で学校教育を受けた世代)はもはや80歳半ば以上になった。この世代が、日本統治時代(1895-1945年)を肯定的に評価していたからこそ、今日まで「親日感情」が続いてきたのだ。そのことを忘れ、「日本に憧れているから親日なんだ」と思うような、的外れの思い上がりは慎むべきだろう。
 
 台湾総統選で蔡英文候補が勝利すれば、馬英九のような一方的な中国への傾斜は止められるだろう。このままいけば、台湾は「ひとつの中国」(大一統)という強迫観念的イデオロギーに絡めとられてしまうところだった。

 鵝鑾鼻(がらんび)灯台から、「慟哭の海峡」と呼ばれるバシー(巴士)海峡を臨んだ今回の旅行は、かつて「大日本帝国」の一部であった台湾の光と影に少しだけ触れた旅でもあった。
 
 
 
 

 


 


台湾 高雄、恒春半島の旅 (4)墾丁・鵝鑾鼻

2015年12月19日 21時05分20秒 | 台湾

 いよいよ恒春から墾丁、鵝鑾鼻(がらんび)へ。

 

 恒春のバス停で待っていると、鵝鑾鼻(がらんび)の岬まで行くバスは、一時間に一本だという。タクシーの運転手に交渉したら、二人で600元という返事。迷っているところに鵝鑾鼻行きのバスが到着。しかも、そのことをタクシー運転手仲間が教えてくれて、バスに「早く乗れ」と言う、何と親切で気のいい人たちなんだろうと思った。
 
1 墾丁(こんてい)
 バスは墾丁の街を通り過ぎていく。午後2時半を過ぎていたから、墾丁で途中下車して、ビーチを楽しむ余裕はなかった。車窓から、墾丁の街のシンボルのような岩山が見えた。台湾TVドラマ「墾丁は今日も晴れ」の画面にも登場した、既知感のある光景。








台湾TV映画「墾丁は今日も晴れ」

帰路、私がバスの車窓から墾丁の街を撮った動画が次の通り。




2 鵝鑾鼻(がらんび)
 恒春から墾丁の街を経て40分ほどで鵝鑾鼻(がらんび)に到着。台湾本島最南端の岬。


鵝鑾鼻(がらんび)灯台は、東に太平洋、前面にバシー海峡、西に台湾海峡を臨む

 
バスの終点から、灯台に向かって小道を登っていくと、屋台の店にいた老女が「没有路(メイヨールー)」と大きな声で話しかけた。友人に「この道じゃあないらしい」と話していたら、そのお婆さんは「戻って、すぐそこの道を左に曲って、駐車場から入る」といきなり流暢な日本語で教えてくれた。私たちが日本語でしゃべったから、そうしてくれたのだろう。このように、日本語の達者な、台湾のいわゆる「日本語世代」は、もはや八十歳半ばになってしまった。この十年間を思い起こしても、台湾旅行で「日本語世代」の台湾人に出会う機会は、だんだんと少なくなっていた。まさか、この最南端の街でそのご老人に出会えるとは思えなかった。写真を撮ろうかと迷ったが、失礼かとも思い遠慮したが、今思うと残念だ…。

 鵝鑾鼻(がらんび)灯台は、次のような歴史を持つ。

「…航海上の難所であることから、日本イギリスアメリカの要望により1882年が建設した世界でも珍しい武装灯台である。清国は撤退時に、この灯台を破壊したが1898年に日本政府により再建された。しかし、太平洋戦争でアメリカ軍の空襲により再度破壊され、現在の灯台は戦後に再建されたものである。「古蹟の灯台」や「東亜の光」と呼称される台湾で最大出力の灯台で、保存史跡に指定されている。」
                   (ウィキペディアより)


「古写真が語る台湾 日本統治時代の50年」(片倉佳史著 祥伝社 2015年)より

 鵝鑾鼻の岬は、太平洋、バシー海峡、台湾海峡という三つの海に面する交通の要衝。戦時中は、米軍機の格好の標的となり、鵝鑾鼻灯台は再度破壊された。同時に、バシー海峡を航行する日本艦船は、民間船、病院船を問わず、その多くが米国潜水艦の餌食となった。
慟哭の海峡」(門田 隆将著 2014年) によれば、バシー海峡は「輸送船の墓場」と呼ばれ、十万人以上の将兵が亡くなったとされる。「…この美しいビーチには哀しい歴史がある。太平洋戦争末期、バシー海峡で撃沈され、溺死した日本軍兵士たちの無残な遺体が、この湾のあちこちに打ち寄せられたのである。」(同書 p.10-11)

 折しも、戦後70年の節目の今年に、バシー海峡で亡くなった戦没者の慰霊式典が、墾丁で開かれたという。


 さまざまな歴史を背負った鵝鑾鼻(がらんび)だが、灯台のある広大な公園は、とてもよく整備され美しい。好天に恵まれ、気温が28度ほど、東側の太平洋、正面のバシー海峡、そして内湾の向こうの台湾海峡方面まではっきりと見渡せて、またとない幸運だった。

 南湾を臨む
友人と記念撮影
鵝鑾鼻灯台 
鵝鑾鼻灯台 バシー海峡を臨む
南湾の小尖山
バシー海峡
 南湾から台湾海峡方面

 帰りのバス停前には、涼を求めてか、犬が道路に横たわっていた。よく轢かれないものだと感心した。
 

 復路は、左営ではなく、高雄駅行きの高速バスに乗った。夕方の交通渋滞に巻き込まれて、3時間以上かかった。途中、トイレ休憩などはないから、二時間という思い込みで乗るとしんどいかもしれない。
 バスは無事、高雄駅の北口に。南口のホテルに戻るのもおっくうなので、MRTに乗って繁華街で夕食を摂ることに。
 友人とタイ料理店に入る。タイ式チャーハン、春巻き、豚肉の辛炒め、トムヤンクンスープ、そして台湾ビールで乾杯。台湾のタイ料理は、日本のよりずっと美味しい。タイ料理の素材は台湾料理と共通するからだろう。

 心に残る楽しい旅だった。



 蛇足だが、新春公開される映画「路線バスの旅 in 台湾」は、台北から路線バスに乗り、三泊四日で「台湾最南端」を目指すという。
 この「台湾最南端」が文字通り鵝鑾鼻(がらんび)岬と灯台を目指すのであれば、灯台に着いた三人が何というのか、ちょっと気になる。
 と言うわけで、映画の映像も貼り付けておく。

 

 

 

 





 

   

   


台湾 高雄、恒春半島の旅 (3) 恒春

2015年12月19日 09時58分56秒 | 台湾

 旅行三日目は、高雄・左営から高速バスで恒春半島への旅。

 まず、高雄駅からMRTで左営へ十分ほど。地上に出ると、墾丁行きの高速バスが何台もスタンバイしている。その横に新幹線(高鐡)ホームが入るビルがあるので、エスカレータで二階へ。そこにある切符売り場でチケットを購入。


高雄の左営→恒春の高速バス切符。先の墾丁、鵝鑾鼻に行くには別途購入が必要。

 左営から恒春までは、352元。インターネットの旅行記を見ると、「高速バス(墾丁快線)は、目的地まで往復で買うこと」というアドバイスが書かれていたが、往復切符は若干割引になるメリットがあるという意味で、「途中下車」はできない。バスの経路は、高雄(左営)→恒春→墾丁→鵝鑾鼻(がらんび)の順。そこに注意したい。

 恒春には、清朝時代に築かれた恒春鎮の城壁が残っていて、観光名所になっている。また、近くには台湾映画「海角七号」のロケ地があり、見どころになっている。墾丁(こんてい)は台湾有数のリゾート地。TV映画「墾丁は今日も晴れ」で日本でも有名になった。さらに、鵝鑾鼻(がらんび)は、台湾本島最南端の岬で、日本統治時代に建てられた白く美しい灯台が、バシー海峡を臨んでたたずんでいる。
 往復切符を買ってしまうと、途中で降りることはできない(前途無効)だから注意が必要だ。


恒春→墾丁→鵝鑾鼻への観光地図

 
左営から恒春までの所要時間は、およそ2時間。バスが南下するほど、檳榔樹(びんろうじゅ)の美しい林が続き、エキゾチックな雰囲気が漂う。ちなみに、台湾の気候は、台南、高雄などの南部が「亜熱帯」に区分されるが、恒春半島に限っては「熱帯」なのだという。

1 恒春
   
恒春に着いたとたん、空は真っ青、風もなく、日差しが強い。気温は28度くらいだったろうか。12月14日なのに、まさに夏景色。半袖シャツを持ってきてよかったと思う。ただし、バス(交通機関)の車内は冷房をガンガンと効かせているので、上着は持っていくべきだ。
 話は逸れてしまうが、この季節、台湾人の多くは信じられないような冬の服装をしている。ダウンジャケットや冬のコートを着る一方、いたるところで冷房がガンガン。季節感がわからなくなってしまう。

 城壁に囲まれた恒春の旧市街は、極めて小さい。清朝時代の鎮(町)が遺されているという点で、歴史的価値は高い。台湾海峡側(西台湾)が大陸からの移民によって次第に開拓されていき、行き着いた最南端の場所がこの町ではないだろうか。鵝鑾鼻の岬を超えると、海は太平洋に変わり、海岸線まで迫った中央山脈の偉容が目に入る。太平洋側の東台湾は、清朝の手に及ばない原住民の領域だったに違いない。


 恒春の警察署前。ここがバス停。
 

清朝・光緒帝年間に建てられた恒春城市の南門


横から見た南門


恒春鎮の西門 


西門から南門へ城壁を歩く




恒春城壁内の公園の椰子の木 


恒春の公園に咲く花


城壁内にある公園の椰子の木


恒春鎮石碑公園

2 映画「海角七号」ロケ地
 
台湾映画史上最大ヒットを記録した「海角七号」(2008年)は、この恒春が舞台だった。日本と台湾の歴史的絆を描いたこの作品を見るまで、私はほとんど台湾を知らなかったのだから、ぜひとも訪れてみたい場所だった。
 恒春の老街(旧市街)はとても狭いので、映画の主人公・阿嘉の家はすぐに見つかった。入場料は50元。



「阿嘉の家」の二階 ベッドには范逸臣のサインが…

 映画を見ていない人は、「なんじゃこれ?」という感じだと思うので、映画の予告編を貼り付けておこう。この予告編には上の部屋のベッド座る阿嘉(アガ=范逸臣(ファン・イーチェン))が映る。私は同じポーズで写真を撮ろうと思い、「ベッドに腰かけていいか?」と訊いたら、しっかりと断られた。

 


台湾 高雄、恒春半島の旅 (2)屏東 竹田 潮州

2015年12月17日 10時15分05秒 | 台湾

  いよいよ、①屏東(へいとう)市、竹田駅、潮州を臺鐡(台湾鉄道)で回り、高雄に戻ってMRT(地下鉄)とフェリーで高雄港・旗津のコースを出発。コースと言っても、勝手に自分で決めた気まま旅。ただし、夜、ホテルに帰って万歩計を見たら、3万6千歩だったから、よく歩いたことは確か。

 屏東線

  
高雄駅
 
屏東駅(白い建物が旧駅、後ろの大きな屋根が新駅)

1 屏東市
 台湾鉄道屏東線で高雄から屏東までは、急行で20分くらい。だが、高雄市街を出て、二つほど川を渡ると、あたりは田園地帯。檳榔樹の林が延々と続き、池には多数のアヒルが飼われているという亜熱帯的景観。
 屏東駅を降りて、5~6分歩くと、旧・日本人街がある。そこには、今でも朽ちかけた和風の木造家屋や、歴史を感じさせる洋館が遺されている。



屏東市街地に遺る日本統治時代の建物

 
さらに歩いて、中山公園へ。ここは、日本統治時代に都市計画に基づいて作られた立派な公園。日曜日なので、多くの人で賑わう。ガジュマルの根元にはリスも遊んでいた。



屏東・中山公園のタイワンリス


台湾銀行中屏分行の庁舎は日本統治時代の建物。入り口には、この紋章が…。


潮州駅前には、檳榔樹の林が…。檳榔樹と交互にバナナの木が植えられている。

2 竹田駅
 
屏東から竹田までは4駅。屏東線は高架線になっているので、この区間に檳榔樹林が広がっているのが見て取れる。
 竹田駅は、日本統治時代の駅舎が保存されていて、旧駅構内は公園になっている。そこには屏東で医療の発展に寄与した池上一郎博士の蔵書を集めた「池上文庫」が設けられている。
 私たちは、おばちゃんに勧められて竹田駅弁を購入。駅舎の前のベンチで昼食。デザートに「愛玉子ゼリー」を食べた。
 



竹田駅舎と池上文庫 池上駅の駅弁


屏東線竹田駅(新しい高架線ホーム)から見た竹田の街並みと中央山脈

3 高雄港・旗津
 潮州駅から屏東線を引き返して高雄へ。ホテルで休息した後、MRT高雄港へ。さらにフェリーで旗津に。日曜日の夕方だったので、旗津の海鮮料理店と夜市は大賑わい。有名な夕陽にも巡り会うことができた。

 旗津の夕陽

高雄港に停泊していた中華民国=台湾海軍の艦船
 
旗津の海鮮料理店で食べた揚げた蟹。蒸した蟹の方がよかった…。 カラスミを買った店
 
旗津の夜市

 

 





 
 

 


台湾 高雄、恒春半島の旅 (1)

2015年12月17日 01時53分30秒 | 台湾

 先週末から火曜日まで、台湾旅行にでかけた。中華航空の高雄直行便に乗り、高雄市内で三泊。その間に①屏東(へいとう)市、竹田駅、潮州を臺鐡(台湾鉄道)で回り、高雄に戻ってMRT(地下鉄)とフェリーで高雄港・旗津へ、②高雄・左営から高速バスで恒春半島へ出かけた。


 恒春半島の観光地図

  今回の旅行でまず特筆すべきは、「iPASS」カード(日本のSUICAに相当)がとても便利だったこと。空港内のファミリーマートで購入し、400元ほどチャージした。私が買ったのはこんなカード。


 iPASSカード (iPASS)

 以前、台北から十分(じゅうふん)にでかけたとき、臺鐡(台湾鉄道)の自動販売機の切符が買えずに困ったことがあった。このカードを使えば、臺鐡、MRT、バス、フェリーがすべてOKだったので、これから高雄方面に旅行するときは、必携アイテムとなるだろう。なお、台北の同種カードとは、今のところ互換性がないそうだ。

 高雄駅(高雄車站)の後站(南口)の目の前にある「京城大飯店」に宿泊。ここは以前にも泊まって、その利便性が気に入っていた。


 京城大飯店~高雄駅南口から撮影

 というわけで、旅行が始まる…。

 

 
 
   


来日の李登輝氏「ひとつの中国、決して同意できない」 

2015年07月23日 03時29分49秒 | 台湾

  李登輝氏が来日、衆院議員会館で講演を行った。一時重病説が伝えられたが、ここまで回復されたとは。喜ばしい限りだ。
 以前、日比谷公会堂での講演会を聴いた私は、坂本龍馬の「船中八策」をたとえにして、日本の若者に奮起を促す李登輝氏に、日本の古き良き時代の「教養人」の典型を見た思いがした。

 「ひとつの中国」は決して同意できない、という今回の李登輝氏の講演は、特に「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ない」という認識が前提となっている。
 中国に対する安易な親近感、日中友好談義は、もはや影をひそめた昨今だが、「中国市場」への誘惑、自虐史観に基づく中国への贖罪意識は、いまだ根強く残っている。李登輝氏の認識は、中国に幻想を持ち続ける日本人に警鐘を鳴らすとともに、中共(=中国共産党)と国民党(=中国国民党)がともに抱く「ひとつの中国」を改めて否定した。

 李登輝氏と親交のある井尻秀憲・東京外国語大学教授(国際関係論)は、この10年以内に中共政権は崩壊し、中国は連邦制国家に移行していくと予測している。そのとき、台湾は連邦制国家に組み入れられる可能性があるという。
 92歳になった李登輝氏がその日を見届けられることを願わずにはいられない。

 李登輝氏の存在自体が、今や自虐史観に呪縛された日本人へのアンチテーゼ。
 それにしても、日本のマスメディアの腑抜けぶりにはあきれ果てる。李登輝氏の訪日を報じたのは「産経新聞」のみ。他のメディアは、中国筋の目を憚って、すべて尻込みした。

 中国メディアは、氏の来日を口を極めて罵っている。それは李登輝氏の発言が「中国問題」の核心を衝いているからにほかならない。

 

来日の李登輝氏「ひとつの中国、決して同意できない」 衆院議員会館で初講演 

 来日中の台湾の李登輝10+ 件元総統(92)は22日、東京都内の衆院第一議員会館で、国会議員有志らを前に台湾の民主化をテーマに講演した。総統退任後、李氏の訪日10+ 件は7回目だが、国会施設での講演はこれが初めて。

 「台湾パラダイムの変遷」と題した日本語による講演で、李氏は戦後台湾を統治した中国国民党政権を「外来政権」だと指摘。同党の長期支配を受けたことで、「独立した台湾人」という意識が台湾に確立されたと語った。

 李氏は、戒厳令解除から2000年の政権交代までを台湾の「第1次民主改革」として成果を強調する一方、現職の馬英九総統が進めた対中政策が批判を浴びたとして、総統権限の制限を含む新たな民主改革が必要だと述べた。

 中国に関しては、在任中に制定した「国家統一綱領」を例に「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ないと思っていた」と発言。「ひとつの中国」との原則について、「われわれは決して同意できない」と拒絶した。

 講演に先立ち、下村博文文部科学相が超党派議員の発起人を代表してあいさつ。講演会には議員ら約300人が出席した。