澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「昭和天皇の戦後日本」(豊下楢彦著)を読む

2016年04月04日 11時01分31秒 | 

 「昭和天皇の戦後日本~《憲法・安保体制》にいたる道」(豊下楢彦著 岩波書店2015年)を読む。
 これは、実に刺激的で、目から鱗の本だった。


昭和天皇の戦後日本~《憲法・安保体制》にいたる道」(豊下楢彦著) 

 著者・豊下楢彦は、京大卒の政治学者で、外交史・国際政治論が専門。昭和天皇実録や日米安保体制の成立過程に関する分析には定評がある。

 このブログには何度も書いたのだが、昨年7月、成蹊大学法学部の 井上正也准教授(日本政治外交史)が「1971年、昭和天皇は佐藤栄作首相に中国国連代表権問題に関して”蒋介石を支持するように指示”した」とする外交文書資料を発掘して公表した。日本国憲法下で政治的発言を禁じられているはずの天皇が、かくもあからさまにこのような発言をしていたと知り、これまでの昭和天皇像が完全に覆された。

 昨年夏には、「日本のいちばん長い日」という映画が公開され、「いまの平和はあの”聖断”から始まった」というキャッチコピーが喧伝された。昭和天皇を戦争終結に反対する勢力と対置することによって、「平和を愛好する天皇」というイメージを流布しようとした映画だった。戦争を知らない世代が絶対多数を占めるようになると、こんなトンデモ映画が通用するのかと不安さえ覚えた。

 本書を読むと、上記のような懸念、疑念を解き明かすような記述に満ちている。私が得心したのは、概ね次のような事柄だった。

① 昭和天皇が「国民」(戦前は「臣民」あるいは「民草」)のことを第一義的に考えたことなど、金輪際なかった。頭の中にあるのは、「国体」(すなわち、御身の生命)と「皇祖皇統」(皇室一族の安寧)の護持だけだった。大空襲、沖縄戦、原爆投下で国土が焦土と化してもなお、「三種の神器」をどう守るか、そのことばかりに拘泥していた。
② 昭和天皇は二度沖縄を見捨てた。沖縄戦の強行、戦後には戦争責任を免れるために、米国に沖縄統治を懇願した。「沖縄戦で民草(=国民)は私を守らなかったのだから、米国に統治してもらうのがよい」旨、放言したと伝えられる。
③ 自らの戦争責任を免れるため、連合国に東条英機以下側近を人身御供として差し出した。マッカーサーの回想録などを利用して、史実を改竄し、自己正当化を図った。 
④ 上述の「蒋介石支持」発言のように、日本国憲法下においても、あたかも「皇帝」であるかのように、平然と現実政治に介入した。
⑤ 結論として、昭和天皇は、自らの戦争責任を免れるため、本書のサブタイトルでもある《憲法・安保体制》を受け入れ、米国への従属、属国化を積極的にすすめた。戦争責任を免れた後においても、共産主義勢力による「革命」を恐れ、自らの保身のために、米国にへつらい続けた。


 ちょっと前だったら、本書のような内容は、さまざまな「物議」を醸し出したはず。そんな話を聞かないのは、やはり昭和という時代が遠ざかってしまったためか。個人的には、昭和天皇を、「公家」の血筋を引くM小路K秀という国際政治学者の軌跡と重ね合わせてしまった。そのココロは、「公家」という人たちは、極めて自己チューで、容易に変節し、人の痛みなど歯牙にもかけないということだ。そもそも公家、皇室は酷薄、非情な方々なのだろう。
 
 天皇礼賛のウヨク本は論外としても、「昭和天皇実録」を分析した研究書でさえ、いくら読んでも昭和天皇の人となり(というか本性)を知ることなどできない。それは、暗黙のタブーには決して触れないように書かれているためだ。しかし、本書は、公になったいくつもの記録を当時の状況と照らし合わせて、極めて穏当で説得力のある分析をしている。