「昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦著 岩波現代文庫 2008年)を読む。
「昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦著 岩波現代文庫 2008年)
このブログで再三採りあげた「1971年中国国連代表権問題で、昭和天皇 蒋介石支持を佐藤栄作に指示」というニュースは、「平和を愛好した昭和天皇」という作為的なイメージをぶち壊すのに十分なほどの衝撃があった。
本書において豊下楢彦氏は、昭和天皇関連の複数の第一次資料を突き合わせ、当時の国際環境を考慮しつつ、昭和天皇の実像を描き出している。
敗戦国日本の主権回復(1952.4)に先立ち、吉田茂首相や外務官僚は、より対等な日米関係を築こうとしていた。朝鮮戦争(1950.6-1953.7)の勃発が、その絶好のチャンスとなるはずだった。しかし、結果として、日米安保条約は著しい不平等条約となり、無条件的な米軍駐留が認められた。その理由を著者は、「天皇外交」の存在に求める。「天皇外交」は吉田外交に並行して、天皇の意向を口頭あるいは文書によって米国側に伝える形で行われた。まさに二重外交である。
吉田茂及び外務官僚は、朝鮮戦争を次のようにとらえた。
「在日米軍基地は(朝鮮)戦争を戦うにあたって、戦略的に不可欠の最重要拠点となったのである。このことは逆に言えば、日本にとって基地の”プライス”が上昇し、基地提供が重要な外交カードに浮上したことを意味した」(同書P.156)
一方、天皇およびその側近は次のように考えた。
「朝鮮戦争において仮に米軍の側が負けるようなことがあれば、側近たちの全員が”首切り”にあうのではないかという恐怖感にさいなまれていた」(p.163)
つまり、昭和天皇は、共産主義勢力の浸透によって、日本に「革命」が起こり、「天皇制」そのものが瓦解することを恐れた。ポツダム宣言受諾の決断を躊躇したのは、「国体」と「三種の神器」を守らななければならないという、昭和天皇の意思だったが、戦後においてもなお、昭和天皇及びその側近は、御身大事が第一で、国家・国民の行く末など二の次だったという事実が、ここに示されている。
現実の政治過程は、「天皇外交」の通りに進んだ。要するに、昭和天皇は戦後の「平和憲法」下においてさえ、実質上の政治権力を行使してきたことが見て取れる。そうであれば、上述の「蒋介石支持」発言も「さもありなん」と理解できる。
本書が「岩波書店」刊であることもあいまって、著者・豊下楢彦氏を「左翼学者」だと誤解する向きもあるかもしれない。もちろん、そうではなく、公開された外交文書を丹念に分析した実証的な研究成果が、本書である。勇ましいネトウヨの方々や、「天皇」を無条件に肯定する、評論家・青山繁晴のような人はぜひこの本を手に取ってみてほしいと思う。
なお、付け加えておくと、著者の昭和天皇を見る目は厳しいが、今上天皇に対しては、日本国憲法の理念を守る存在として、より高い評価を与えている。