澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「英霊の聲」(三島由紀夫)と金王朝

2017年11月14日 11時55分49秒 | 

 あの三島由紀夫が自決した日、私はたまたま1km未満の場所にいてその騒ぎを知った。同時に、大学紛争の渦中、図らずも入学してしまった大学の同じクラスには、三島由紀夫が主宰する「盾の会」の会員であるIという人物がいた。私には、三島由紀夫の存在そのものがおぞましく思われた。それ以来、三島の小説を手にすることはなかった。

 最近、「新大東亜戦争肯定論」(富岡浩一郎著 2006年)の中で、三島由紀夫が短編小説「英霊の聲」で二二六事件と太平洋戦争末期の特攻で散った英霊たちの声を借りて、天皇制、あるいは天皇とは何かを問うていることを知った、そこでこの本を手にしてみた。



  三島は鋭く問いかける。昭和天皇は、二二六事件の兵士たち、「特攻」で散った兵士の前でだけは「現人神」であられるべきだった、と言う。

 「陛下がただ人間と仰せ出されしとき、神のために死したる霊は名を剥奪せられ。祭らるべき社もなく、今もなおうつろなる胸より血潮を流し、神界にありながら安らいはあらず。…などですめろぎは人間(ひと)となりたまいし」

 三島が単純な昭和天皇崇拝者ではなく、「近代日本」および天皇制の宿命について、深く理解していた。このことだけはよくわかった。

 ひるがえって、私が考えてしまったのは、北朝鮮人民軍の兵士たちのこと。彼らの今の心理状態は、帝国陸海軍兵士に通じるものがあるはずだ。いざ、米国との戦争になれば、特攻精神で史上最強の軍隊に立ち向かうだろう。
 昭和天皇は、戦後、さっさと「人間宣言」をして、英霊たちを裏切った。この小説が示唆することでもある。では、金正恩は朝鮮人民軍の英霊と「正しく向き合える」のか?つまり、「現人神」であることを貫けるのか。

 日米戦争の開戦と終戦の経緯を顧みると、天皇が今少し決断力と指導力を備えていれば、また違った展開もありえたはずだ。北朝鮮は、ある意味では、天皇制国家のコピー。金王朝の「現人神」は、天皇が直面したのと同様の試練に立ち向かわなければならない。孤独な独裁者は、今抜き差しならぬ決断を迫られている。