澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

文科省局長の裏口入学~私立医大の深い闇(やみ)

2018年07月05日 21時00分56秒 | 社会

 文科省局長が自分の息子を東京医大に裏口入学させていたという驚愕のニュース。辻元清美がこの件を採りあげて、安倍内閣の総辞職を要求すると言っているのには、驚きあきれた。確かに、モリカケ問題よりもずっと悪質で深刻な問題だと思うが、それが安倍首相の責任だなどとは到底思えない。

 私はこのニュースを聞いて、「やっぱり」と思ったことがある。現在三十代半ばになる私の親族が、大学受験の時、この東京医科大学を受験した。そのときのこの大学のシステムは、一次試験は学科のみ、一次の合格者が二次の面接試験に臨むという方式だった。私の親族は学科試験に合格し、二次試験を受けた。そのとき、面接官(間違いなく、東京医大教授だったはず)が親族に言ったのは開口一番、「この大学に誰か知り合いがいますか?」だったそうだ。「知り合いはいません」と正直に応えたそうだが、受験生として釈然としない気持ちだった、と親族は言う。結果は不合格で、親族は某国立大学の工学部に進んだ。

 身近な者にこのような実体験があるから、この東京医大や他の私立医大に対する胡散臭さや不信感は、今でも拭い去ることができない。今回のように、職務権限を問われる文科省の高級官僚なら刑事責任にまで発展するが、「母校OB」開業医の子弟の裏口入学など、こうした大学では日常茶飯事ではないのか。

 早大理工出身で旧・科学技術庁に入庁したという、この文科省局長。大学受験や、学歴社会の裏の裏まで「業務を通じて」知り尽くしていたのだろう。バカ息子を私立医大に入れれば、一生食いはぐれがないと考えた。これは、開業医と同じ「勝ち組」の思考様式だ。同時に、私立医大がいかに常識とかけ離れた組織であるかが、図らずも明るみに出た。

 繰り返すが、この事件は、モリカケ問題などよりずっと重大だ。入試の公平性(それも幻想かも知れないが)を揺るがすと同時に、階層が固定化しつつある、日本社会の裏面を露呈した。
 元首相の次男で、Fラン私大出身の男が、コロンビア大学大学院を修了し「政治学修士」号を取得する。これと比べれば、この度の事件など可愛いものなのかも知れないが…。

 

医大、局長への便宜依頼は理事長 学長も入試不正に関与

 文部科学省の大学支援事業をめぐり、東京医科大学(東京都新宿区)に便宜を図る見返りに、受験した息子を合格させてもらったとして受託収賄容疑で前科学技術・学術政策局長、佐野太(ふとし)容疑者(58)が逮捕された事件で、佐野容疑者に便宜を依頼したのは同大の臼井正彦理事長(77)だったことが5日、関係者への取材で分かった。鈴木衛学長(69)も関与したといい、2人はいずれも東京地検特捜部の調べに容疑を認めているという。特捜部は捜査に協力していることや高齢などを考慮し在宅で調べている。

 関係者によると、臼井理事長は昨年5月、東京医科大を私立大学支援事業の対象とするよう当時、官房長だった佐野容疑者に依頼したという。謝礼として、今年2月に入試を受験した佐野容疑者の息子の点数を加算し、不正に合格させた疑いがあるという。

 点数加算などの不正行為には、鈴木学長ら複数の幹部が関与していたという。特捜部は今後、同大での入試の経緯や文科省の支援事業の選定過程について実態解明を進める。

 今年2月の同大医学科の一般入試では3535人が受験し214人が合格。倍率は16・5倍だった。

 問題の支援事業は「私立大学研究ブランディング事業」。大学の看板となる研究の推進に必要な費用を国が助成し、施設の新築や機器の購入などに充てられるもので、東京医科大は、がんや生活習慣病の早期発見を推進するとの計画書を提出した。同事業には全体で188校が申請。同じ申請区分の65校のなかから、昨年11月に27校が選ばれた。事業期間は5年間で最大約1億5千万円が助成され、東京医科大は1年分の助成金として3500万円の交付を受けている。

 事件では、佐野容疑者の他に、受託収賄幇助(ほうじょ)容疑で会社役員、谷口浩司容疑者(47)が逮捕された。谷口容疑者は佐野容疑者を男性幹部に紹介するなどして受託収賄を手助けした疑いがある。

 文部科学省は、佐野容疑者(58)を大臣官房付に異動。戸谷一夫事務次官(61)を同局長事務取扱として兼務させた。


裏口入学は不公平」 学生憤り 東京医科大 

 逮捕された文部科学省局長の佐野太容疑者(58)が子どもを大学入試に合格させてもらう見返りに、私大支援事業で便宜を図ったとされる東京医科大(東京都新宿区)では、職員が対応に追われ、「裏口入学は不公平だ」と憤る声が学生から聞こえた。

 4日夕、大学の正門前に集まった報道陣に、大学職員が「捜査を受けていることは事実。全面的に協力する」などとするコメントを配布した。職員は「こちらで説明できることはありません」と話し、足早に学内に戻っていった。

 医学科4年の男子学生は「親の力で入れるなんてうらやましい。平等じゃない」。同学科4年の別の男子学生によると、大学側から事件に関する説明はなく「もし事実なら、さまざまな支援事業が取りやめになるなど、自分たちの教育にも影響が出るのではないか」と不安げだった。

 一方、佐野容疑者の子どもを気遣う学生も。医学科2年の男子学生は「そのことを知らずに一生懸命勉強しているとしたら、かわいそうだ」と話した。


桐朋学園オーケストラ演奏会 2018.7

2018年07月05日 11時24分44秒 | 音楽・映画

 桐朋学園オーケストラ演奏会に行く。桐朋学園大学音楽学部の学生を主体とするアマチュア・オーケストラだが、他のアマチュア・オケとは実力が全く違う。

 プログラムは次のとおり、

1 歌劇「オベロン」序曲(ウェーバー)

2 ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 (シューマン)

3 交響曲第八番 op.88(ドヴォルザーク)

4 アンコール; スラブ舞曲第一番(ドヴォルザーク)

 ピアノ:守永由香

 指揮 :中田延亮

 オーケストラ : 桐朋学園オーケストラ

 どの曲も大熱演だったが、特にピアノ協奏曲には感銘を受けた。実は、この曲はあまり聴いたことがなかったので、エラそうな感想は書けない。だが、学内オーディションで選抜されたという、守永由香のピアノは、晴れの場という高揚も伴ってか、実に素晴らしかった。指揮者とオケの友人たちのサポートも絶妙だったと思う。弱音のオケで始まるこの曲は、結構、オケの実力も試される曲だと思うのだが、さすが桐朋学園オケだなあ、と思った次第。

 交響曲第八番は、レコード、CDでは飽きるほど、演奏会でも何度も聴いたことがある曲。第二楽章あたりのドボルザーク特有のけばけばしい(?)音響を、ウンザリさせることもなく、弾きこなし、有名な第三楽章は、抒情たっぷりに歌い上げた。とかなんとか書くと、エラそうだが、私の愛聴盤がジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団なので、無意識に比較してしまう。桐朋の皆さん、ご容赦を。

 通常の定期演奏会ではありえないアンコール曲として、「スラブ舞曲第一番」(ドボルザーク)が最後に演奏された。これはなかなか生では聴けないので、ラッキーだった。「土俗的な香りを引き出した名演奏だった」なんて書くと叱られそうだが、実に素晴らしい演奏だった。

 この定期演奏会、実はチケットが千円均一で自由席。地元のジジババばかりが目立ち、会場は六分程度の入り。これはもったいない。次の演奏会は、2019年1月らしいので、興味がある方はぜひお奨めしたい。

 
 
 
 

 

 

Martha Argerich plays Schumann's Piano Concerto in A minor (cond. Pappano) - Rome, 19 Nov 2012


シルクロード上空を飛ぶ

2018年07月05日 10時34分54秒 | 散歩

 6月26日15時45分、仁川(インチョン)からタシケント行きの大韓航空機(KE941便)が飛び立つ。飛行時間は8時間。この航空機は、一昔前だったら考えられないような航路を飛行する。それは、ほぼ「シルクロード」の上空、タクラマカン砂漠天山山脈を沿って飛ぶ。


 フホホト(中国・内モンゴル自治区)近くでは、荒涼たる砂漠地帯の中に、灌漑の形跡が見られる。だが、さらに西に進むと、人跡など見られない砂漠が続く。タクラマカン砂漠(中国・新彊ウイグル自治区)だろう。


           フホホト南部の砂漠地帯



          天山山脈の威容

 こうしてシルクロード上空を飛んでみると、「中国」の広大さを改めて実感する。だがしかし、その「広大さ」の大部分は、モンゴル人、チベット人、ウイグル人などの少数民族が居住する領域だ。しかも、中共独裁政権は、その領域に漢族を移住させ、少数民族に「中華民族」の欺瞞を強要している。

 ウズベキスタン人のガイド氏によれば、かつてウズベキスタンは「西トルキスタン」であり、天山山脈の反対側にある「新彊」ウイグル自治区は「東トルキスタン」と呼ばれるくらいで、両者に言語的、宗教的、民族的にも大きな差異はないという。まあ、わたしでもおおよそそのことは知っていたのだが、実際に広大な「西域」を見て、ウズベキスタンに着くと、中共政権が宣伝する「偉大な中華民族」(漢族も少数民族もひとつの中華民族であるというデマゴーグ)が空虚に響いてくる。

 いずれ将来、中共政権は新疆ウイグルを手放さざるを得ない日が来るだろう。「それが「中華帝国」の崩壊の日ともなる、そんな実感が…。次の世代なら、それを見届けることができそうだが。