2018年7月にウズベキスタンを旅行した私。このブログにも旅行の感想文を書いた。
ウズベキスタンは首都のタシケントと古都サマルカンドを訪れた。タシケントでは、「ナボイ劇場」というオペラハウスを案内された。
「ナボイ劇場」は、ソ連に「抑留」された日本軍人によって建設されたと言われる。1969年のタシケント大地震においても倒壊せず、今では日本とウズベキスタンの友好の証となっているそうだ。
第二次大戦終了後、満蒙や樺太にいた日本軍兵士は武装解除され、その多くがシベリアに「抑留」され、強制労働に従事させられた。その過酷な体験はすでに知れ渡っていたから、はるかかなたのウズベキスタンに抑留された日本兵士だけが、何か特別な「体験」をしたかのような説明には、私が実際に「ナボイ劇場」の前に立ったときでも、若干の違和感を感じた。
ナボイ劇場(2018.7撮影)
最近になって、一冊の本を手にした。「ウズベキスタン ”ナボイ劇場”建設の真実」(胡口靖夫著 同時代社 2019年)だ。
著者は、オペラハウスは日本人兵士によって建てられたものではないことをウズベキスタン側も明言しており、「美談」を広めた張本人は嶌信彦(ジャーナリスト)だったと指摘する。嶌信彦は、十五年ほど前まではTVに頻繁に出ていたから、覚えてる人も多いだろう。彼は、日本ウズベキスタン協会の会長だったとき、ナボイ劇場の日本人建設説を流布して、次のように書いた。
「現ウズベキスタン共和国の首都タシケント市に建つナボイ劇場は、旧ソ連抑留者のうち、タシケントまで強制連行された日本人捕虜450人の手によって建設され、1947年に完成した。1960年代の大地震の際、他の多くの公共建築物が倒壊したにもかかわらず、ナボイ劇場だけはビクともしなかったため、これを建設した日本人の働きぶりがいつしか”伝説”となり、ウズベキスタンが日本に敬意を持つ大きな背景となった。」(同書 p.11)
この 「日本人説」をバックアップしたのが、駐ウズベキスタン大使を務め、その後国会議員に転身した人だと言う。これは、中山恭子・元衆議院議員に間違いない。
ウズベキスタンがソ連邦の崩壊に伴い「独立」を果たしたのが、1991年。このころ、日本は「経済大国」であったから、ウズベキスタン側としては、日本とのつながりを模索したはずだ。そこに持ち出されたのが「ナボイ劇場」物語で、中山恭子・駐ウズベキスタン大使が飛びついた。
歴史上の美談には気をつけねば。杉原千畝さえも、疑わしく思えないこともない。まさか、八田與一まで‥? まさかとは思うが。