都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
私は、30歳のときに禁煙して以来30年間煙草を吸っていません。それまでは、1日3箱ほど吸うヘビースモーカーでした。
禁煙できたきっかけは、子供が喘息だったこと、自分が急性胃炎で1週間ほど煙草が吸えなかったことです。それまでも何度も禁煙しましたが、直ぐに復煙していました。
禁煙の秘訣は、誰にも言わないことです。休煙するつもりで、気楽にすることです。ガムなどの代替品を使用しないことです。それは、自分自身禁煙を意識していることになるからです。
私も急性胃炎で1週間ほど煙草が吸えなかったことをきっかけに、休煙しているのです。それが30年間続いているということです。
こんな噺があります。「禁煙なんて簡単なもんよ。何でそんなに禁煙、禁煙て大騒ぎするんだよ。俺なんか、もう50回以上は禁煙したよ。」
おそまつ・・・
都月満夫
駅前の風景はすっかり変わっていた。私が育った土の見える風景、鉄南地区は、そこにはなかった。木工場の丸太置き場も、石炭の貯炭場も追憶の底に沈んでいた。しかし、駅前食堂の豚丼、電信通りの饅頭屋の大判焼きは、昔のままの味であった。それだけで、目頭が熱くなる自分が可笑しかった。
父の葬儀があって以来、二十一年ぶりであった。勤務している大手スーパーの店長として、私は思いもよらず、帯広に帰ってきた。
私の父は市内で、食品卸の小さな会社を経営していた。父は接待と称する、飲み会やゴルフに明け暮れ、夜も日曜日も家にはいなかった。外に女性もいて、帰宅しない日も多かった。私たち、男ばかりの三人兄弟は、母子家庭のように育った。子供のころ父に遊んでもらった記憶はない。
母は私たちに寂しい思いをさせまいと、明るく私たちに接してくれた。私たちは、幼いながらも、母を守ることで結束していた。当然、母に辛い思いをさせている父に対して、憎しみさえ抱いていた。夫に愛人がいるという、女としての屈辱に耐えながら、私たちを育ててくれた母に感謝している。その母は、桜が満開の五月に散って逝った。私が大学四年、弟が大学二年と高校三年の春であった。
翌年、一番下の弟も東京の大学に入学し、私は東京で就職した。
その年、父は母の一周忌が明けて間もなく、以前からの愛人であった女と再婚した。
その後、弟たちも大学を卒業すると帯広には帰らず、道外の企業に就職した。やがて、母も弟たちもいない帯広は、モノクロの記憶として閉じ込められ、色彩を失っていった。
着任の仕事が一段落して、高校時代の同級生の沢木と酒を飲んだ。彼は高校を卒業して地元に就職していた。彼とは今でも年賀状のやり取りがある友人である。彼は母の葬儀にも父の葬儀にも参列してくれた。
彼には二人の娘と息子が一人いる。上の娘は結婚していて、もう孫もいるという。息子は今年大学生になったという。酒を飲みながら、彼は楽しそうに話した。私は一度も結婚をしないで、もうオジイチャンと呼ばれる歳になったことに一抹の寂しさを感じた。
沢木は「十時を過ぎると、明日が辛くなるから…。」と、笑顔で帰って行った。
後、三年で、私は定年になる。転勤を繰り返し、マンション暮らしをしてきた独身の私には、帰るべき家庭はない。家庭を持たない私は、弟たちとの付き合いさえ、今では殆んどなくなってしまった。
好きになった女性がいなかったわけではない。私は今でも、その女性のことを想うだけで、脱力感を覚えるほど後悔している。仕事が大好きだった自分は、母のような女性を見るのが怖かった。父のようになるのが怖かった。結婚に踏み切る勇気がなかった。
春、桜の季節だというのに、私の背中を、冷たい風が吹き抜けた。これからの人生が、枯葉の道を行くように思えた。
沢木と別れた私はフラフラと歩き、帯広の名所となった「屋台村」の入り口にいた。奥を覗き込んで、一軒の行灯に目を奪われた。「小料理桜子」と書かれた文字は、まさに桜色に輝き、私の目に飛び込んできた。
「桜子」高校生のときに付き合っていた女性の名前である。彼女は私が高校三年の時に入学してきた、二年後輩であった。彼女は、文芸部に所属していた私が書いた小説を読んで、入部してきた。私たちはすぐに惹かれあい付き合うようになった。それから、ひと月後の放課後であった。学校の向かいの神社の境内であった。満開の桜の下で、私は始めてのキスを体験した。文芸部の部室で部員たちと、雑談をした学校帰りのことであった。
「桜が綺麗だから…、神社、歩こうよ。」
桜子が私を誘った。一番大きな桜の下で、彼女がぴょんと私の正面に立った。
「ねえ、桜があんなに綺麗に咲いて、自分を見て欲しいって、言ってるみたい。目をつぶって…。桜の声が聞こえるかも…。」
私が目を閉じると、桜子の唇が微かに私の唇に触れた。桜の花びらがひらひらと触れた程の、柔らかな感触であった。
「私たち…、結婚するかもね…。」
夕日が彼女の顔を赤く染めていた。彼女の満面の笑顔に、私は耳まで真っ赤になり、小さく頷いたのを覚えている。
大学に行ってからは、地理的距離が桜子との仲を遠ざけていった。それでも、彼女が大学に入った時とか、保育士になって帯広の幼稚園に就職した時などは手紙が来ていた。
その後、桜子と会ったのは、父の葬儀で帯広に滞在した最後の夜であった。葬儀の後、ホテルに宿泊していた私は、彼女に電話をして、食事に誘った。その頃、三十半ばであった彼女はまだ独身であった。高校生の幼い恋の思い出を話しながら、二人の心は時を駆け戻っていった。その夜、私たちは、初めて男女の関係となった。桜の花の下のキス以来、十八年の歳月が流れていた。
「大学を卒業以来、子供ばっかり相手にしてきたから、年の割に、子供っぽいって言われるの…。大人の男の人と付き合ったこともないし…。私、今夜やっと…、女になれたわ。」
恥じらいながら、初体験を告白した桜子は少女のようであった。
翌日、私は桜子に想いを告げぬまま、東京に戻った。私は今でも、あの時の桜子の温もりを覚えている。桜子の瞳の輝き、桜色に上気した肌は、今も色あせることはない。彼女の笑顔は、私のモノクロの記憶の隙間で、鮮やかに咲き誇っている帯広であった。
桜子の文字は、私の記憶に血流を蘇らせ、想いは鼓動が脈打つ現実のものとなった。懐かしさのあまり、躊躇なく暖簾をくぐった。
カウンターの向こうに、一人の女性が立っていた。客が入店して振り向いた彼女は、間違いなく桜子であった。白いブラウスに、ピンクのエプロン姿の桜子であった。小料理屋の女将というよりは、スナックのママのようであった。二人は見つめ合い、言葉を失っていた。あまりに突然の再会であった。二人の視線は、頭から足の先まで、スローモーションのように往復し、互いを確認した。
「エエーッ、坂田君?どしたの…」
彼女は、驚きのあまり、突拍子もない声を発した。
「桜子、君こそ何をしてるのさ。」
二人は顔を見合わせた。数十秒の沈黙の後に、二人は、やっと笑顔になった。
「ママ、どうしたの。昔の彼氏に突然出会ったような顔してるけど…」客が話しかけた。
「そう、昔の彼氏が飛び込んできたの。悪いけど今夜はもう閉店。お勘定はいただかないから…。ゴメンナサイ。」
桜子は客を追い出し、暖簾を下ろした。
「どしたの?」
「うん、四月に転勤で帯広に来たのさ。」
「どして、教えてくれなかったの?」
「いや、着任早々で何かと忙しかったもんだからさ。そのうちと思ってたんだけどね。」
「何でここが分かったの?」
「偶然だよ。実は今まで沢木と飲んでて、今別れたところさ。君も知ってるだろう。」
「ああ、沢木さん。よく坂田君と一緒に部室に来てた人でしょ。」
「帯広で連絡の取れる友人はあいつだけだから…。あいつ幸せらしく、さっさとカミサンのもとへ帰って行ったよ。もう孫がいるって言ってたな。でも、君が店をやってるなんて言ってなかったぞ。」
「当たり前じゃない…。沢木さんとは、直接のお付き合いはないもの。」
「ところで、何で君がお店をやってるの?幼稚園の先生は…?」
「女が独りで生きていくのは大変なのよ。これでも苦労してるのよ。いろいろあってね。」
「そうか…。まだ独りだったんだよナ…。」
「そうよ。坂田君こそ、ご結婚なさってるんでしょ。今回は単身赴任なの?」
「いや、私も独身なんで、ずうっと一人暮らしのマンション住まいさ。」
「そう、どうして結婚しなかったの?」
「分かんないよ。仕事が忙しかったからかもしれないな。桜子、君こそ何故…?」
今でも「桜子、君への想いは、思い出ではなく、現実なんだ。」とは言えなかった。
「それも…、いろいろあってね。」
「いろいろねぇ…。私なんか仕事ばかりで、色々さえもなかったよ。その仕事も、あと三年で定年さ。帯広が最後になるなんて、不思議だねぇ。」
「定年?そうか…、そんな歳になっちゃったのね、私たちも…。」
「沢木のヤツ、孫がいるって嬉しそうだったけど、私には孫どころか、子供もいない。当たり前だよな。嫁さんもいないんだから…。」
「どうするの?」
「どうするって、何が…」
「定年になったらよ。東京に戻るの?」
「まだ決めてないよ。でも…、そろそろ考えておかないと…」
「帯広に残りなさいよ。そうしなさいよ。」
桜子はとても嬉しそうであった。
「あら、ごめんなさい。私、お飲み物も出さないで、話し込んじゃった。冷酒でいい?」
「ああ、いいよ。」
桜子は、ピンクの冷酒と突き出しを運んできて、私の隣に腰掛けた。
「このお酒、美味しいのよ。色も名前も気に入ってるの。綺麗でしょう。」
「ああ、本当に綺麗だよ。」
私は、お酒ではなく、笑顔がハジケル、君が綺麗だと言いたかった。
「これ、行者ニンニクの酢味噌和え。ちょっと臭いけど…。大丈夫?でも…、美味しいから食べてみて。」
「もう出てるんだ。懐かしいな。」
「もう少ししたら、タランボが出て、ウドが出て、ワラビが出て…。都会で暮らしていると、季節が分からないでしょう。いいわよ、帯広は…。」
「いいよなァ、帯広は…。桜子がこの街で暮らしているっていうのが、何よりも素晴らしい…。それだけで嬉しい気がする。」
「あら、何よ、それ…。口説いているの?今夜は、私も飲んじゃおうかな…。」
桜子はカウンターの中に入り、グラスを持ってきた。
「はい、注いでちょうだい。」
私は、彼女のグラスに酒を注いだ。
「二人の運命の再会に…、カンパーイッ!」
桜子は、グラスの酒を一気に飲み干した。
「ああ、オイシイッ。桜子の桜は、今夜が満開って感じ…。今夜は二人でお花見気分…。」
「オイオイッ、そんなにテンション上げちゃって、大丈夫?」
「大丈夫?大丈夫よ。今夜は坂田君とお酒を飲んで、楽しく過ごすことに決めたの。まさか、私が相手じゃ…飲めない…?」
「もう酔ってるんじゃないだろうね。」
「酔っちゃいけない?今夜は酔っ払っちゃいます。いいでしょ?二十一年ぶりだもの…。」
「二十一年ぶりだよなあ…。あの夜以来…。」
「そうよね…。あの夜以来よね…。」
二人は、ぎこちなく肌を重ねた夜に、思いを巡らした。あの夜の思い出が、湧き出るように、鮮烈な色彩と共に蘇った。
「あの時、私、とても緊張して…、不安だった。三十過ぎて…、初めてだったんだから。」
「オレだって、緊張して、足が震えてたよ。」
「ウソ、女の人の扱いが慣れてるって感じだったわ。」
「そんなことないよ。」
「いいわ。もう時効ね。許してあげる。」
「許すも何も…、オレは悪いことはしてないよ。」
「悪いことしてるわよ。だって…、私は、あの夜以来…。」
「あの夜以来?何だよ。話せよ。」
「いいの、もういいの。今夜、坂田君が来てくれた。それだけでもういいの…。」
「何があったんだよ?気になるなぁ…。」
「いいの、私が勝手に決めて、勝手に歩いた人生だから。でも私、幸せだった。とても幸せだった。あの夜、坂田君が私を抱いてくれたから…。私は素晴らしい人生を送ってこられた。そう思ってる。ありがとう、坂田君。」
桜子の頬を一滴の涙が流れ落ちた。彼女は、右手の甲で涙を拭い、笑顔をつくった。
「私ったら、何泣いてんだろう。ほら、坂田君、お酒がないぞッ。」
桜子はグラスを、私のほうに差し出した。
「あっ、ゴメン、ゴメン…。」
私は、酒を注ぎながら、彼女の人生が、平坦な道ではなかったことを、容易に推測できた。しかし、今では年に一度、年賀状を書くだけの私に、彼女を慰める言葉は捜しようがなかった。迷子の言葉が見つからないまま、私は唐突に話し出した。
「オレさ、今夜は桜子に逢えて、本当に嬉しいんだから…。高校生の時から、桜子の笑顔が大好きだったんだから…。本当に…。」
「だったら、何で、高校卒業から十八年間、あの夜から二十一年間、三十九年間も私を放ったらかしにしたのよ。」
「放って置いた訳ではないよ。桜子が嫌いだった訳でもないよ。毎年、君に年賀状を書くたびに辛かったよ。二人を繋いでいるのが、この、近況報告さえない、年賀状だけだってことが、とても切なかったよ。どんな女性を見ても、高校生の時の君の笑顔に優る人はいなかったよ。あの夜の君の女らしさに優る人はいなかったよ。でも…、いつも…、今更、今更って…。遠く離れた私に、打ち明ける勇気がなかった。悔やんでいるよ。私は、君に想いを打ち明けなかった、私の人生を悔いているよ。もう遅すぎるよな…。」
「…坂田君、遅いってことはないわよ。」
桜子が小さな声で言った。
「私だって、待ってたんだから…。あなたに、想いを打ち明けられずに、ずうっと、待ってたんだから…。あなたが、いつか私に想いを告げてくれるって…、待ってたんだから…。」
私たちは、見つめあいながら、涙が次から次に溢れてきた。涙を流しながら、微笑みあっていた。言葉は要らなかった。三十九年もの間、密かに想い続けてきた真心が、今夜花開いた。今、互いの想いを確認している悦びが、胸をときめかした。今まで想いを打ち明けられなかった悔しさが、胸を締め付けた。青春であった。まさに、青春であった。二人は五十歳半ばを過ぎて青春を取り戻した。
「私たち…、結婚するかもね…。」神社の境内でそう言った桜子がそこにいた。
「母さん、迎えに来たよ。」
二十歳前後の青年が、店に入ってきた。
「えっ…!母さん?」
私は、桜子が母親であったことに驚いた。
「そう、私の息子。私の宝物…。」
「私の息子って…。まさか…?」
「そうよ。坂田君、そうよっ…。」
私は言葉を失った。桜子は、たった一夜の愛を、黙々と育てていた。熱い涙が溢れた。
「母さん、この人…、僕の父さんなの?母さんがいつも話している、僕の父さんなの?」
桜子は無言で、頷くばかりであった。
「父さん…」
その青年が呟いたとき、三人の二十一年間の空白は、涙と笑顔で塗りつぶされた。
喜びが芽を吹いた。笑顔は満開となった。桜子が私を見ている。息子が私を見ている。そして、私は二人を見ている。