都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
師匠は「サンタクロース」を描いてきました。
師匠! もうクリスマスですね。
あっと言う間に一年が終わります。
師匠は血圧が高い日が続いていて、腸の調子も悪いそうです。
もう体調が万全の日はなくなってくるのだろうと言っています。
師匠! そんなことはありません。
血圧が高いのは寒いからです、温かくして過ごせば大丈夫です。
腸も温かい食べ物を中心にして労わりましょう。
「赤い衣装のサンタクロース」はコカ・コーラ社のキャンペーンがルーツだった!? コカ・コーラとサンタクロースのポスターの前でボトルを持つサンタクロース
大きな身体に真っ赤な衣装をまとい、白いあご髭をたくわえた陽気で楽しいサンタクロース。世界中の人々が知っているだろうこのイメージのルーツは、何と、「コカ・コーラ」にありました。 1931年、コカ・コーラ社とアメリカ人画家が「真っ赤な衣装と白いあご髭」のサンタクロースをつくりあげたのです。 クリスマスシーズンの風物詩になった赤いサンタクロースとコカ・コーラ社の深い関係。その知られざる物語をご紹介しましょう。
今から1700年ほど前の4世紀の初め頃、ローマ帝国の時代に、小アジア半島、現在のトルコにあたる場所に、セント・ニコラス(Saint Nicholas)というカトリックの司教が住んでいました。彼はその生涯を慈善事業に尽くし、人一倍の子ども好きとしても知られていました。このセント・ニコラスが子どもの守護聖人として崇められるようになり、後に伝説となり、貧しい子どもたちにプレゼントを贈るという彼の行動がそのまま習慣化、発展していったのがクリスマス・プレゼントの始まりだと言われています。
この伝説は、時間をかけてヨーロッパ各国へさまざまなイメージとともに語り伝えられていきました。たとえば中世のオランダでは、サンタクロースではなく“シンタークラウス”(Sinterklaas)と呼ばれていたそうです。オランダ人の思い描いたシンタークラウスはパイプをくわえ、煙突から家の中に入ってきていたそうで、いまに繋がるサンタクロースのイメージは、オランダ人のものだったというわけです。トナカイが引くソリに乗って現れて、毛皮に縁取られた衣装を身につけ......という風貌はどこか北欧的ですから、北方の風土から生まれたということも暗示しています。サンタクロースの伝説は、セント・ニコラスが生きた時代から1000年以上の時を経た17世紀になって、オランダ人の入植者たちとともにアメリカへ渡りました。先ほど述べた“シンタークラウス”を英語風に読むと“サンタクロース”になります。こうして、“サンタクロース”(Santa Claus)という言葉が誕生したと言われています。 |
師匠! 今回は「サンタクロース」ですね。
私も「サンタクロース」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。