団塊オヤジの短編小説goo

Since 11.20.2008・時事ニュース・雑学・うんちく・豆知識・写真・動画・似顔絵師。雑学は、責任を持てません。

「徐福伝説・日本各地に残る謎・・・?」について考える

2013-03-10 10:39:55 | 地理

紀元前219、「秦の始皇帝」が探索を命じた「不老長寿の仙薬」を「徐福」は見つけることができたのでしょうか。

Photo_6 秦の時代に、一人の男が始皇帝の命を受け、東方海上に浮かぶ「蓬莱の島」をめざして出航しまた。目的の島は仙人が住み、不老不死の霊薬が実る楽園です。その島は日本であったかどうかは分からりません。中国の史書は、徐福がその島で「平原広沢(へいげんこうたく/広い平野と湿地)」を手に入れ、そこに留まって王となったと記すのみで、それ以上のことは何も語るものはありません。

日本で「王」といえば「天皇」です。祖先は「徐福」なのでしょうか?

和歌山県新宮市に「徐福公園」があります。

新宮に伝わる「徐福渡来伝説」では、徐福たちの一行は熊野川の河口で上陸したことになっています。その上陸地点に現在記念碑が建っている。

Photo_7 そして、一行は上陸地点から北西約100mのところにある「蓬莱山(ほうらいさん)」の麓に住み着いたとされている。蓬莱山は熊野川河口に位置するお椀を伏せたような小山である。

蓬莱山の南麓には、熊野三神を祀る阿須賀神社が鎮座している。その境内には、徐福の宮が祀られている。徐福はこの地で薬草「天台烏薬」を見つけたと伝えられ、また医術や捕鯨・農耕など、さまざまな大陸の先進技術を伝えたといわれている。

興味深いのは蓬莱山の南麓から弥生式土器や祭祀遺物が出土していることだ。

『史記』の記述が史実ならば、徐福がこの地にやってきたのは紀元前210年。日本の歴史で言えば、まさに弥生時代の始まるころである。

徐福渡来伝説では、徐福はこの地で亡くなったことになっている。

徐福公園の楼門をくぐると、正面に御影石に刻まれた徐福の像と不老の池がある。

池の傍らには7本の「天台烏薬」が植えられている。「天台烏薬」は徐福が求めた不老長寿の霊薬とされているクスノキ科の常緑灌木である。

Photo_8 徐福の墓は天台烏薬の陰になっていて、正面からは見にくいが、横に回れば簡単にアクセスできる。

この徐福の墓は紀伊藩の初代藩主である徳川頼宣公が熊野を訪れた時、阿須賀神社に祀られた徐福の話を聞いて建てさせたもので、儒臣の李梅渓に書かせた碑は二段の台石の上に建っている。

墓の左には、昭和15年(1940)に建立された徐福顕彰碑が、右には大正4年(1915)に建立された徐福の重臣7人を祀る七塚の碑がある。

高知県県立牧野植物園の薬用樹木園に「天台烏薬」の木が十数本植えられている。

約二千二百年前、中国・秦の始皇帝の命を受けた「徐福一行」が、不老長寿の薬を求めて日本にやって来た。

各地を探索して回った折、土佐の須崎海岸に漂着した話も伝えられている。背後にそびえる山が薬のある「蓬来山」ではないかと、早速一行は山に登った。これが、佐川町から土佐市にまたがる「虚空蔵山(こくぞうさん)」(標高674.9メートル)である。夜になり、木々の葉を折り敷いて寝床としたので、そこが後に「柴折峠」と呼ばれるようになったという。夜が明け、大海原に上る日の出の光景に感激した一行は、鉾を高くかざして喜んだ。ここが「鉾ガ峯」と呼ばれている。

 <msnctyst w:st="on" addresslist="30:和歌山県新宮市;" address="和歌山県新宮市">

和歌山県新宮市

</msnctyst>で亡くなったとされる。

徐福伝説がある県

青森:津軽半島の西側、日本海に面して小泊岬があります。標高299mの権現崎に尾崎神社があり、徐福は航海の神として祀られています。

秋田県:秋田県の男鹿半島は対馬海流のぶつかるところです。なまはげで有名なこの地域にも徐福にかかわる伝承があります。

京都:北部にある丹後半島は日本海に面しています。丹後半島には浦島太郎伝説があることでも有名ですが、紀元前3世紀、対馬海流にのってやってきた徐福が上陸した地としての伝承があります。

佐賀県:金立山、浮盃、竜王崎など徐福に関係のある伝承地が数多くあります。また、吉野ヶ里遺跡からは当時の中国の人たちの特徴を示す人骨が発見されているとのことです。これらから、徐福は伝説上の人物ではなく、九州佐賀県に確かに足跡を残した実在の人物と言えるのではないでしょうか。

コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「徐福伝説・天台烏薬とは・... | トップ | 「一票の格差・票の字源」に... »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
北から南にこんなに足跡を残してるんですね。 (きままなマーシャ)
2013-03-10 14:37:00
北から南にこんなに足跡を残してるんですね。
確か、ペテン師などと表現した本もあったような^^
そうなんですか。
中国を脱出した説もあるんですね。
真実はどこを安住の地にしてどんな最期を迎えたんでしょう。
知りたくなりました^^
不老不死の妙薬?
どんな効果があるのかちょっとだけ飲んでみたいです^^
返信する
うーん・・・ (ひいち)
2013-03-10 14:37:02
うーん・・・
不死はいらないなぁ~。
不老の部分はちょっと欲しいですね!
返信する
★きまななマーシャさん★ (都月満夫)
2013-03-10 15:40:58
★きまななマーシャさん★
ペテン師?
秦から弥生時代の日本に来てもペテン師としては利益がなかったと思いますよ。
これだけたくさんの伝説が日本各地にあるのは不思議ですね^^
したっけ。
返信する
★ひいちさん★ (都月満夫)
2013-03-10 15:43:55
★ひいちさん★
アンチエイジング。普段からブログで拝見してます。
その努力は不要になりますね^^
したっけ。
返信する
不死山? (みゆきん)
2013-03-10 21:11:42
不死山?
んなの?だから死にたくなる樹海があるのか・・・・(-_-;)
不死山の夢を見たら,気をつけないとだね[E:typhoon]
返信する
不老不死の温泉はおもしろそうなので行ってみたい... (ヒカリ)
2013-03-10 23:04:36
不老不死の温泉はおもしろそうなので行ってみたいですが、不老不死の妙薬は、悩みますね。
不死ということは、これから先、何千年、いや何万年も
生きるのでしょうか?
やっぱり禁断の薬だから怖いかも。。。(´Д`;) 
返信する
★みゆきんさん★ (都月満夫)
2013-03-11 07:13:26
★みゆきんさん★
不死山だから、死なないはずなんだけど死にに行くのは何故^^
したっけ。
返信する
★ヒカリさん★ (都月満夫)
2013-03-11 07:23:01
★ヒカリさん★
「不老ふ死温泉」。ひらがながひとつ入ってるのです。
考えましたね。
不老不死の薬。平安時代の貴族の平均寿命が27歳だったそうですから、そこから見ると今は「不老不死」に見えるかも・・・^^
したっけ。
返信する
こんにちは~ (haru)
2013-03-11 17:14:56
こんにちは~

途中で切れちゃったぁ~
北部九州か芦原の国って言われてた湿地帯の大阪を含む奈良あたりですね。
ちょうど邪馬台国候補地と重なってて面白いです。

でも、私なら始皇帝の報復を恐れて、一時は北部九州に住んで、それから九州に前線基地を置いてぇ~
自分は侵略されないようにね、海岸からは遠ざかって盆地の奈良あたり、もしくは九州中西部に拠点を置きたいですね。
返信する
★hatuさん★ (都月満夫)
2013-03-11 20:40:47
★hatuさん★
こういう話って、面白いですね。
調べると何ぼでも出てくる。想像力もどんどん膨らむ。
日本の原点「邪馬台国」となんとなく重なるってのも不思議ですね^^
したっけ。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

地理」カテゴリの最新記事