民主党の代表になった野田佳彦氏の「どじょう」発言で「どじょう」の人気は鰻上りだそうです。
「どじょうなのに鰻上りとはこれ如何に?
赤いのに金魚というが如し」
私もあやかって、「どじょう」について書いてみたいと思います。
「どじょう(泥鰌・鰌)」の語源ですが、「どじょう」は泥の中に生まれるので、「泥生(どろしょう)」が転訛して「どじょう」と呼ばれるようになったとする説と、「どじょう」が土の中でも成長することから、「土長(どちょう)」が転訛したとする説とがあるようです。歴史的仮名遣いが「どぢゃう」であることから、後者の説が有力だとされています。
北海道では殆ど見かけませんが、どじょう屋さんの看板は「どぜう」となっているのが一般的だそうです。
室町期に「土長(どちょう)」などの表現があり、元来の仮名遣いは「どぢゃう」とされていることは前述の通りです。
「どぜう」の表記は、江戸期の「駒形どぜう」に由来する仮名遣いだそうです。
仮名遣いでは「どじょう」。もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記です。
それを「どぜう」としたのは「駒形どぜう」の「初代越後屋助七(えちごやすけしち)」の発案だそうです。
「駒形どぜう」の創業は1801年、徳川11代将軍家斉の時代だそうです。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。
当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣道(さんけいみち)であり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大繁盛したそうです。
ところが、文化3年(1806年)の江戸の大火によってこの店が類焼にあったそうです。
そのときの看板は「駒形どぢやう」だったそうです。この「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「初代撞木屋仙吉(しゅもくやせんきち)」に奇数文字の「どぜう」と暖簾(のれん)に書くように頼み込んだといいます。
注文された仙吉さん、「旦那、字が間違いですぜ・・・」と言ったとか言わないとか・・・。とにかく、そのまま書かせました。
これが「なんだ?なんだ?」と一躍有名になったとか・・・。今でいうとキャッチコピーの効果があったようです。これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も真似て、看板を「どぜう」に書き換えたといいます。
初代越後屋助七が始めた「どぜう鍋」、「どぜう汁」に加え、二代目助七が「くじら鍋」を売り出すなど、商売はその後も順調に続きました。嘉永元年(1848年)に出された当時の美食家の手引書『江戸名物酒飯手引草(嘉永元(1848)年刊)』には、「駒形どぜう」の名が記されているそうです。
「駒形どぜう」は200年余りたった今も、営業しています。
したっけ。
どうしませう・・・
こんなので宜しいでせうか?
始めは、何?って思ったけど、"せ"は"しょ"だと気づいた。
そして古文と漢文に興味を持った私でした。
成績はともかく(≧ω≦)b
野田首相のお話、
間合いの取り方と滑舌の良さに
ついつい聞き入ってしまいます。
上に立つ方には大切なポイントなのでしょうね。
どじょう、まだ見たことないと思います。
たぶん(*^。^*)
古文と漢文に興味を持った?
私は珍文漢文でした。
成績はそれなり・・・。
したっけ。
野田首相は今まで地味~な人だと思っていましたが、なかなかな人でしたね。チョッと期待してもいいのかな?
そちらでは「どぜう」食べないのですか?
北海道では食べません。少なくともウチでは食べません。
したっけ。
むかーしうなぎやさんでバイトしてた時、食べさせてもらった。
親子丼みたいでおいしかったよ。
そうですよ。柳川鍋はどじょうのことです。江戸時代に「柳川」という料理屋が始めたとか・・・。
どじょうとネギを卵でとじるってことは知っているが、食べたことはない。
ウナギ屋なのにどじょう?
美味しいのか・・・。でも、見た目が・・・。
したっけ。
でお、金魚のマネはできます。
ナイス突っ込みです。
あ、どうも・・・。
したっけ。
食えんぜよ。。
孤立している集落があるのに国のアピールだけだぁ。
どぜうは泥水被ったところが好きだから・・・。
したっけ。