年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治密偵史 宮武外骨著から

2011年09月09日 | 福神漬
明治密偵史 宮武外骨著から
明治15年1月1日から施行した刑法126条に「内乱の予備又は陰謀をなすといえどもまだその事を行わざる前において官に自首したるものは本刑を免じ、6ヶ月以上3年以下の監視に付す」
この条文は明治政府の密偵政策を露骨に表示した法文であると宮武は主張している。政府は密偵を反逆書と共に行動させ、時には扇動まで行い、反逆者を作り上げた。明治10年の警視局の文献では「秘密警察は言論の自由の国は小さく,専制国家には大きい。言論自由の国は人の行動が秘密にならない。専制国家は法律が厳しいので、人は言論で行動を予知することは出来ず,従って秘密警察を使って行動を探ることとなる。この密偵を多用したのが福島で自由民権運動を弾圧したのが福島県令三島通庸である。
明治になって警察組織を作った川路利良は犬(密偵)を使う名人であったが伝記にはない。大久保利通も三島通庸も犬をつかったが少しも書いていない。警視庁沿革史にもないと宮武外骨は書き記している。福沢諭吉の慶応大学。大隈重信の早稲田大学、明治大学にも政府の密偵が入っていた。(明治大学20年史)。政府の予算のなかに官房機密費と言う使途の不明な金がある。これが宮武のいう密偵費と同様な金だろうか。
 長々と福神漬の歴史の中で密偵のことを書いたが團團珍聞に入った長井少年が優遇されたのは彼の才能だけでなく、それとなく密偵から知らされた花香恭次郎との関係ではないのだろうか。
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