年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

缶詰の始まりの史料の考察5

2018年12月14日 | 福神漬

石井研堂の(明治事物起源)と日置昌一の(もののはじまり)には缶詰の始まりの記述にほぼ同じ内容だが一部に異なる点がある。両方とも明治3年工部大学とあり、これは誤りである。四谷津の守に住んでいた雇米国人教師については石井は名前を出していないが日置はライマンとなっている。この時期の雇米国人の中で該当する人物は開拓使関係のライマンしかいない。この人は明治5年に来日しているので缶詰の始まりの明治3年は誤りである。そうなると四谷津の守に住んでいた外国人は誰なのだろうか。

 今の新宿御苑が皇室の管理になるまで一時開拓使の試験農場となっていた時期があった。このときに指導した教官から山田箕之助が缶詰を試作したと思われる。ただライマンになったの何か理由があったと思われる。世田谷にある都立公文書館にあるライマンの住居史料では津の守に住んでいた記録ではないようだ。

 ベンジャミン・スミス・ライマンは北海道で地質調査をし、夕張炭鉱などを発見した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする