三菱.l岩崎弥太郎と二本松少年隊。
意外と思うが以前NHKが(竜馬伝)を放映していたとき、二本松の菊祭り(日本最大級)で岩崎弥太郎と二本松の関係を知った。明治維新後、二本松藩は財政の足しになるよう殖産興業を推進するため明治3年5月貿易商社を作り、岩崎の力を借りようとした。三菱から買った中古の蒸気船がすぐに大破し借金だけが残ってしまった。困った二本松県(廃藩置県のため)は山田脩を三菱に派遣し、借金の減額を申し出たが、岩崎から拒否された。間も無く、二本松県が無くなり、福島県が誕生するという情報を得た。二本松県の負債も福島県が引き継ぐという。と同時に二本松で養蚕が盛んなのを推進し、海外に販路を設けるように指導された。
岩崎に二本松へ温情のある情報を知らせたのは戊辰戦争で二本松で西軍として板垣退助(当時は乾退助)の指揮で戦った土佐藩の士族だった。二本松藩の武士の子(少年隊)が戦死する間際に介抱した状況を思い出し岩崎に進言したようだ。負債を値切ることも出来ず、逆に今後の二本松の方向を知ることとなった。
二本松城の前に建つ銅像はわが国最初の民間機械製糸工場の創始者・山田脩で岩崎弥太郎と交渉した人である。わが国の近代的な製糸工場は東京.築地から始まり、官営工場として群馬.富岡、民間工場として福島.二本松から始まった。両方とも周囲で養蚕が盛んな地域だった。
二本松市史1巻825ペ-ジ