年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

石井研堂の缶詰のはじまり3

2018年12月21日 | 福神漬

石井の明治事物起源の初版本に缶詰の始まりと書いてあるタイトルの下に小さい文字で米国人四季の果物・山田箕之助・溜漬・紋別漬・輸出とある。この小文字は何を意味するのだろうか。

 この紋別漬に関して、北海道紋別市に問い合わせ、戻ってきた回答では紋別と言う言葉はアイヌ語で北海道には何箇所かモンベツという地名があるという。近藤重蔵のモンベツは石狩の方だろうという回答が来た。

 米国人四季の果物とはライマンなら明治3年が誤りとなる。従って他の米国人か明治3年が誤りとなる。ライマンの来日が明治5年なので長崎の松田雅典の方(明治4年)が日本人による缶詰の始まりとなる。四季の果物だが今の新宿御苑で開拓使の試験農場があって、果物の試験栽培を行っていたようだ。誰が山田箕之助に缶詰製造を教えたのだろう。山田は果物の缶詰より野菜の溜漬から醤油漬に変えたと思われる。福神漬の酒悦さんの言い伝えでは使用したのは銚子の醤油だという。千葉行徳は江戸川水運の一つの拠点で小名木川を利用して東京中心へ安価大量に醤油が運搬されていた。

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