年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

缶詰の始まりの史料の考察6

2018年12月15日 | 福神漬

日置昌一は1904(明治37)-1960(昭和35) 大正-昭和時代の民間の日本文化の研究者で日本の学者世界から軽視されていた。小学校卒業後東京にでてはたらきながら,17年間上野の帝国図書館にかよいつづけて膨大な書物を読破。その博覧強記ぶりから「ものしり博士」といわれ,「国史大年表」「日本系譜綜覧」「ものしり事典」などおおくの著書を刊行する。「ものしり事典」の日本の缶詰の始まりに(ライマン)の名前が出てくる。

 石井研堂は日置と同じように小学校しか学歴は無いが交流した人物に学者が多く、日置のように無視されることも無く石井の著作物は引用されている。石井の明治事物起源は明治41年に初版されている。この初版本は国会図書館のデジタル本で読むことが出来る。

 石井と日置の差は石井は根岸に住んでいた文化人と交流があり、幸田露伴とは釣り仲間でもあった。

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