年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

缶詰の始まりの史料の考察

2018年12月08日 | 福神漬

缶詰の史料を読んでいると日露戦争・関東大震災は缶詰普及への転換点となっている。石井研堂の明治事物起源の出版時期は日露戦争後でもう少し史料的な価値があってもよさそうだが日本缶詰協会とか長崎市ではこの史料の扱いは無視されている。石井の本の中でも記述の矛盾が目立つ。明治3年工部大学はまだ存在しないし、四谷津の守には東京都の公文書館の史料では別のところに住所の届け出があるようだ。北海道開拓使関連の記述があるのになぜ缶詰の始まりに津の守の地名が出るのだろうか。ここには幕末の歴史に登場する高須四兄弟がこの屋敷で生まれたのだが石井研堂が福島県郡山出身なので何か深い意味があると思われる。福島県郡山市は福島県の中心にあるにもかかわらず県庁は北に寄っていて今でも郡山に県庁を移転させようとする看板がある。二本松市と郡山市は複雑な過去を持っていると福神漬の歴史を調べているうちに気がつく。

今日の日本経済新聞には缶詰生産が円高・食生活の変化で大幅に減っているという。福神漬が普及した過程には缶詰に入れたことがあったことを知る人は少ない。

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