石井研堂の明治事物起源という本は多くの学者に文献として引用されているが(缶詰の始まり)に関しては缶詰業界から史料としての扱いは無い。
石井の生まれた福島県郡山は戊辰戦争で被災した後、明治政府の大規模な安積原野の開拓事業という公共工事で潤った。その推進者は旧米沢藩士中条政恒であった。中条は郡山商人による開拓を熱心に説いた。明治7年開成館が完成した。明治6年征韓論争決裂後、西南各地の反政府運動の高まっていた。また東北の地では戊辰戦争後の賊地であったため、東北と西南が立てば基盤が確立されていない明治政府が苦境になる恐れがあったため、明治天皇が東北巡幸と言うイベントが大久保利通によって計画された。大久保は中条の陳情で国による大規模な財政援助を決断したと言われる。殖産振興と失業士族救済(開拓事業)を目的としていた。明治12年から安積疏水工事が始まり明治15年10月に用水路が完成した。日本各地から新開拓地へ移住した。この不慣れな移住者の惨状を小説に書いたのが、中条政恒の孫娘の中条百合子(後に宮本百合子)(貧しき人々の群れ)だった。
郡山の人たちは大久保利通の顕彰し、大久保神社を作ったという。(郡山市安積・大久保公園内)戊辰の敵地であったところに大久保利通を記憶する記念碑が建っている。郡山市民の福島県内の複雑な心情を表している。