年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高輪台の味の素食の文化センタ-図書館のリニュ-アルで

2025年02月20日 | 宅老のグチ
休館中だった高輪台の味の素食の文化センタ-に行って見た。味の素の発足時は、食の衛生問題でピンチだったことはあまり知られていない。一応味の素の社史には古い社史には記述があるのだが会社の歴史で不都合なことは徐々に消えていて(記述があってもさりげなく)、自分が福神漬を調べていると味の素の発展史と整合性がとれないところに気がついて尋ねたこともあった。これが展示物から消えたかの確認もある。日本郵船の横浜にある歴史博物館の図書室があって、そこには場違いのカレ―ライスの本がかなり多く所蔵されている。多くは福神漬伝説から集めたと思われる。その日本郵船の伝説で長谷川伸の小説にもなったインド洋の常陸丸が郵船会議室の壁に戦前の郵船が所有している船舶が描かれていて、説明には常陸丸一世と書いてあった。常陸丸の一世は靖国神社の入り口と言うべき大鳥居の右に常陸丸殉難碑があって、この悲劇は後の旅順港閉塞作戦・203高地の戦いの動機となった。いわば日露戦争の話で常陸丸二世は第一次大戦において、戦時協力の問題と戦時海上保険と言う保険金の問題でもあった。(出典神戸大学図書館新聞切り抜き・海上保険)
 味の素の展示物に
 鈴木三郎助・鈴木藤三郎・岩下清周・岩下によって金融支援を受けた会社、そしてキリスト教、神山福生病院(ハンセン氏病)、井深八重・有馬頼寧等々の複雑な人間関係をほぐすのが福神漬だった。
 リニュ-アルされた味の素の発展を展示してある2階へ早速向かった。殆ど内容は一新されていないと見えた。やはり味の素の安全宣言の証明書があって、検査時が明治時代で、証明書の再発行が昭和だった。この昭和の時期になぜ再発行したのかを尋ねたところ、誰も知らないようだった。昭和の初めに何か味の素の安全証明が必要だったかまだ解明できない。今はSNSの時代で不適切な書き込みも検索すると出てくる時代で、どうも時効と言う言葉が消えている。
コメント
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