品川区と大田区の境にあって、ほんのちょっと品川区寄りの場所に品川区の歴史館がある。歩いて行くとJR大井町駅より、はるかに大田区のJR大森駅の方が近い。シルバ-パス利用で行くと変わらない。この地の歴史2館は大森貝塚を発見したお雇い外国人でそこから日本の文献の無い時代の研究が始まった。日本考古学の発祥地。
大森駅は新橋と横浜(桜木町駅)の中間停車場で、お雇い外国人の住いがあった。後に大森にはドイツ人学校(大田区山王2丁目)があって、今でもジャ―マン通りと言う名称が残っている。ドイツ人学校は1925年から1991年まで大森にあって、横浜に移転した。
多くの郷土史の歴史館は都区内では小学生の授業のために、交通の便が良い所が選ばれているように見える。団体行動の訓練も兼ねて、まるで護送車で送迎されていると見ていたこともあった。
品川歴史館では常設展示と図書室が無料地域でいつも誰も図書室にいない。開架の本を眺めて、適当に自分の関心外の本を手に取り、いつものように書き出しと、終わりの部分を読んでから書庫に戻す。自宅が狭く、汚しそうなので出来るだけ、記憶に残すが再度読みたい時のためのメモをする。ついでに引用の部分をコピ-して著者の頭脳の中身をみる。
品が歴史館で品川区の観光地図を頂いた。そこからJR西大井地域を散歩計画を立てる。そも前に大井・大崎地域の大名屋敷を本を眺めていて、伊達騒動と松平不昧(ふまい)関係する屋敷があって、詳細な分析で驚く。伊達騒動は歌舞伎にも取り上げられていて、不祥事の内容が自分には理解しがたい。は江戸時代後期の松江藩主だった松平不昧は藩の財政再建をした後自分の茶道を極める茶室を品川区に集めた土地に建てた。この土地取引の様子が江戸時代の土地取引の複雑さを知ることとなる。幕府の拝領地なので表向きは金銭の絡まない取引の様に見えていて、損したり抱き合わせで購入し、不要な土地を外すというテクニックがあった様子が見える。土地の持ち主の移動は記録が残るので日本は土地本位制の国と思える。
歴史館を出て、大井警察署に向かい、西大井駅付近にあるカメラのニコンミュ-ジアムに向かう。ニコンの発展史を見ていると、映像業界の浮き沈みが激しいことが理解できる。ニコンは何処に向かうのだろうか。先の見えない展示がミュ-ジアムに見えていた。ニコンを出てJR西大井駅伊藤博文の墓を見て、立教系の女子高校を通り過ぎ、都営浅草線馬込駅で散歩が終わる。風が強かった。
大森駅は新橋と横浜(桜木町駅)の中間停車場で、お雇い外国人の住いがあった。後に大森にはドイツ人学校(大田区山王2丁目)があって、今でもジャ―マン通りと言う名称が残っている。ドイツ人学校は1925年から1991年まで大森にあって、横浜に移転した。
多くの郷土史の歴史館は都区内では小学生の授業のために、交通の便が良い所が選ばれているように見える。団体行動の訓練も兼ねて、まるで護送車で送迎されていると見ていたこともあった。
品川歴史館では常設展示と図書室が無料地域でいつも誰も図書室にいない。開架の本を眺めて、適当に自分の関心外の本を手に取り、いつものように書き出しと、終わりの部分を読んでから書庫に戻す。自宅が狭く、汚しそうなので出来るだけ、記憶に残すが再度読みたい時のためのメモをする。ついでに引用の部分をコピ-して著者の頭脳の中身をみる。
品が歴史館で品川区の観光地図を頂いた。そこからJR西大井地域を散歩計画を立てる。そも前に大井・大崎地域の大名屋敷を本を眺めていて、伊達騒動と松平不昧(ふまい)関係する屋敷があって、詳細な分析で驚く。伊達騒動は歌舞伎にも取り上げられていて、不祥事の内容が自分には理解しがたい。は江戸時代後期の松江藩主だった松平不昧は藩の財政再建をした後自分の茶道を極める茶室を品川区に集めた土地に建てた。この土地取引の様子が江戸時代の土地取引の複雑さを知ることとなる。幕府の拝領地なので表向きは金銭の絡まない取引の様に見えていて、損したり抱き合わせで購入し、不要な土地を外すというテクニックがあった様子が見える。土地の持ち主の移動は記録が残るので日本は土地本位制の国と思える。
歴史館を出て、大井警察署に向かい、西大井駅付近にあるカメラのニコンミュ-ジアムに向かう。ニコンの発展史を見ていると、映像業界の浮き沈みが激しいことが理解できる。ニコンは何処に向かうのだろうか。先の見えない展示がミュ-ジアムに見えていた。ニコンを出てJR西大井駅伊藤博文の墓を見て、立教系の女子高校を通り過ぎ、都営浅草線馬込駅で散歩が終わる。風が強かった。