年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

皇族軍人で

2025年02月12日 | 福神漬
2月11日、建国記念の祝日で都営新宿線九段下駅で降りる予定でうとうとしていたら、通過して市ヶ谷駅で降りた。そこで戻ろうとしたが、駅構内の付近の地図を見ていると、九段下駅と市ヶ谷駅の中間に靖国神社があって、市谷駅で降りて、混雑具合を見ていたら、ガラガラで本当に建国記念日なのだろうかと思った。拝殿前の行列も、警備の人が広がって参拝してくださいと言っていたが、三列の行列が参拝後に見ると、3Mの長さしかない。普段より少ない。靖国神社をあとにして、九段下駅に隣接する昭和館図書室で能久親王御事蹟の本を読む。この本はもう数回借り出して読んでいるが、だいぶ劣化した。すでに刊行後から100年以上経っている。
 本文の書き出しは皇族である事蹟から書かれている。この本の編纂者は森鴎外である。しかし森の関与の部分が自分にはまだ察知できない。
 同時に借りだした本で皇族軍人という言葉が気になった。男性皇族が明治の初めに軍人になることになって、最初の皇族が上野動物園の正門前の銅像と知られている小松宮彰仁親王だった。ところが台東区の教育委員会の銅像の設立位置の経緯がはっきりとしない書き方で暗に台東区としては北白川宮の銅像の方が良いと思っていた様だ。福神漬はこの上野公園の成立時期に上野戦争で荒廃し復興してきた時に創製された。上野の地の手土産を下谷の意地で観光客用の持ち帰ることのできる缶詰入りの食開発だった。福神漬には維新の時に抵抗した旧幕臣の武士の意地が商材に比喩として入れてある。その代表がナタマメで漢字で書くと刀豆と書き、刀の形をしている豆である。日本刀は江戸時代には弓なりで、聖徳太子の絵などを見ている直刀であることが解かる。本当に食用のナタマメは弓なりの刀に似ている。日本に伝来したのが文献では江戸時代初めとなる。
 従って福神漬の伝説と言うか創作された物語は江戸時代の話となる。
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