大里地区にある玉石垣の続く馬路散策路へ。
一つの石を六個の石が取り囲み、六方積みとも言われる。
漆喰など使わずに積まれた高度な技は、築城の経験者が積んだものかもしれないらしい。
室町時代には北条早雲他が八丈島を統治しており、この近くには良い水源もあったため、有力者が多く住んだようで陣屋跡もある。
一つの石を流人が運び、おむすび1個と交換した・・・という話はあるが、コメなどとれなかった八丈島では、それはないらしい。
海の向こうに八丈小島が見える。
小高い所から八丈小島を写そうとするが、どうしても茶色の建物が入り込む。
この建物は廃業している八丈国際観光ホテルだろうか?
営業中のホテルなら申し訳ありません。
車を停めた駐車場に石碑が建っていた。
島木赤彦の歌碑。
多感な人で島の女性ともいい仲になったが、東京へ戻ってしまう。
歌の世界から八丈島を広く全国に紹介した業績をほめたたえている。
満天望をチェックアウトし、玉石がとれた横間海岸へ行ってみたが、石垣に使われているような丸い石はほとんどない。
とりつくされた?
八丈島歴史民俗資料館で伺った話では、宇喜多秀家が上陸した前崎海岸で玉石がとれた・・・と、いう事だったが。
その八丈島歴史民俗資料館は引っ越して、今は八丈支庁の中にあるが、以前はこの建物だった。
そこに置かれていた石製くりぬき井戸。