この日の徳島は気温30℃であったが、川や山や緑を通り抜ける風のおかげで東京のような「酷暑」では無かった。
吉野川大橋を越える。吉野川は古来、坂東太郎(利根川)・筑紫次郎(筑後川)と並んで「四国三郎」と呼ばれた大河であるが、それに相応しい立派な川幅であった。橋の全長は約1kmもあり先端が見えない。橋を渡る前に音楽を「埠頭を渡る風」にセットし、ユーミンに気分を盛り上げて貰いながら漕ぐ漕ぐ漕ぐ・・・でも橋の先端が見えて来ない・・・気が付けば曲は橋の途中で次の曲に変わっていた。

橋を渡り切り、振り返ると吉野川越しに出発地点の眉山が遠くに見える。海側には24年完成予定の徳島東環状大橋が見える。徳島に縁もゆかりもない東京人が吉野川沿いを自転車でひたすら走っている光景は自分でも可笑しかった。

目的地は人形浄瑠璃芝居「傾城阿波の鳴門」の主人公板東十郎兵衛の屋敷跡である「阿波十郎兵衛屋敷」だった。国の重要無形民俗文化財である「阿波人形浄瑠璃」を見学したかったのだが、道に迷ったせいで上映時間には間に合わず、館内の展示品をフラフラと見学した。

いつか「農村舞台」と「襖からくり」や徳島県の正月儀礼である「三番叟まわし」は拝見したいものだ。(ちなみにここも映画「眉山」のロケ地である)

そして先程来たばかりの吉野川大橋を再び渡る。自転車のバッテリーがもう半分しか残っていない。間に合うのだろうか?とにかく広大な徳島城跡地に着く頃には1/4に減っている・・・心配だ・・・


徳島駅付近を抜ける。ポストの上から至る所に「阿波踊り」のオブジェが飾られている。それらを見物しながら、阿波おどり会館には約束の30分前の13時30分頃に到着。走行時間合計約三時間半、バッテリーはもう点滅し始め、顔はヒリヒリしていてかなり焼けていた。そう言えば昼食をまだ食べていないや・・・(つづく)
有限会社やな瀬不動産
吉野川大橋を越える。吉野川は古来、坂東太郎(利根川)・筑紫次郎(筑後川)と並んで「四国三郎」と呼ばれた大河であるが、それに相応しい立派な川幅であった。橋の全長は約1kmもあり先端が見えない。橋を渡る前に音楽を「埠頭を渡る風」にセットし、ユーミンに気分を盛り上げて貰いながら漕ぐ漕ぐ漕ぐ・・・でも橋の先端が見えて来ない・・・気が付けば曲は橋の途中で次の曲に変わっていた。

橋を渡り切り、振り返ると吉野川越しに出発地点の眉山が遠くに見える。海側には24年完成予定の徳島東環状大橋が見える。徳島に縁もゆかりもない東京人が吉野川沿いを自転車でひたすら走っている光景は自分でも可笑しかった。

目的地は人形浄瑠璃芝居「傾城阿波の鳴門」の主人公板東十郎兵衛の屋敷跡である「阿波十郎兵衛屋敷」だった。国の重要無形民俗文化財である「阿波人形浄瑠璃」を見学したかったのだが、道に迷ったせいで上映時間には間に合わず、館内の展示品をフラフラと見学した。

いつか「農村舞台」と「襖からくり」や徳島県の正月儀礼である「三番叟まわし」は拝見したいものだ。(ちなみにここも映画「眉山」のロケ地である)

そして先程来たばかりの吉野川大橋を再び渡る。自転車のバッテリーがもう半分しか残っていない。間に合うのだろうか?とにかく広大な徳島城跡地に着く頃には1/4に減っている・・・心配だ・・・


徳島駅付近を抜ける。ポストの上から至る所に「阿波踊り」のオブジェが飾られている。それらを見物しながら、阿波おどり会館には約束の30分前の13時30分頃に到着。走行時間合計約三時間半、バッテリーはもう点滅し始め、顔はヒリヒリしていてかなり焼けていた。そう言えば昼食をまだ食べていないや・・・(つづく)

