MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

旧東海道・戸塚宿歴史散歩

2020年02月19日 | まち歩き

戸塚区役所の戸塚宿案内を見て懐かしい旧東海道の戸塚宿を戸塚駅から江戸見附方面を歴史散策してみました。

戸塚駅から柏尾川沿いの矢部町では、「善了寺」というモダンな石造りお寺があり、本堂前には浄土真宗開祖の親鸞聖人像が立ち、江戸時代には問屋場となっていたそうです。

その先の柏尾川に架かる吉田大橋は、広重の浮世絵「東海道五十三次之内戸塚」に描かれた名所で、欄干に浮世絵が多く飾られていました。

また、橋には大名行列の毛やりを連想する街灯が立っています。

歩道には、箱根駅伝を連想するマンホールも設置されています。

大橋の先には、江戸日本橋から十里目の「吉田一里塚」があります

旧東海道から歴史の道の脇道に入ります。コースには、「妙秀寺」があり境内には、吉田大橋の浮世絵に描かれた「かまくらの道」の道標が移設されていました。

妙秀寺から道に迷いながら急坂を上り、吉田町の鎮守様の「東峰神社(八幡大神)」へ向かいます。

鎌倉の段葛のような長い参道の先の高台に鎮座する「東峰神社」では、巨大なご神木の椎の木「白旗の椎」や石仏・石塔が見られます

旧東海道(国道1号線)に戻ると、宿場の入口だった江戸方見附跡の道標が立てられています。

江戸見附の先には、「宝蔵院」があり、本尊は不動明王で戸塚不動尊とも言われている名寺です。

宝蔵院から舞岡川に架かる「五太夫橋」に着きます。この場所は、北条氏の家臣だった石巻五大夫が北条氏滅亡後に徳川家康をこの辺りで出迎えた場所だったようです。

五大夫橋から国道を離れて舞岡川沿いに進み元舞橋から旧東海道へ入ります。

国産ハム「鎌倉ハム」の発祥の地のとしてレンガ造りの旧社屋が保存されています

不動坂の手前の歴史の道の「史蹟の小径」へ入ると、暗殺された護良親王の首を洗った「護良親王首洗井戸」が保存されています。

その先の住宅地の路地裏の浄土真宗の「成正寺」です

さらに成正寺の裏山にある護良親王を祀る「王子神社」へ向かいます。境内は鬱蒼とした樹林に覆われてパワーを感じる雰囲気となっています。境内には、柏尾稲荷や子の神社、豊受大神宮の摂社も鎮座していました。

可愛い狛犬のような岩犬も見られます(笑)

王子神社から旧東海道へ戻り、永谷川に架かる赤関橋から海道橋を経て平戸地区へ向かいます。

国道平戸の源頼朝を祀る「白旗神社」は、平戸村の鎮守様のようで、隣接する「東福寺」の鎮守として創建され、拝殿には笹竜胆の家紋が見られます。

隣接する「東福寺」も鎌倉の建長寺と縁のあるお寺のようです。

平戸か急階段を上り丘の上にある以前に住んでいた港南区の芹が谷タウンに入り、川上公園や桜道をぶらついて想い出を振り返っていました。

芹が谷から東海道へ戻り、環状二号線沿いの信濃坂を上り東戸塚へ向かうと、坂上から西の空に沈むサンセットシーンと富士山が望めました。信濃坂は、江戸時代に朝早く江戸を発し、戸塚宿へ向かう旅人にとってあと一息の上り坂だったようで、海や富士を望みながらの旅人気分になっていました。

信濃坂上からオーロラモールを経て東戸塚駅に到着。

江戸から約十里の戸塚宿までは、権田坂や大坂など難所も多く、さらに賑わいの藤澤宿へ向かう大名気分を満喫していました。

帰路に、藤沢の辻堂駅からも雄大な富士山も望め疲労も無く癒されていました。

 

 


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