「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「三回忌法要」

2010年11月01日 | 家族・孫話
        

母が逝ってまる2年になる。
子ども一同、孫、ひ孫が集まって三回忌法要を営んだ。

回忌法要とは、故人にまつわる親戚縁者が一堂に集まって、親しく顔を合わせ、消息を確かめ合うよう、故人が取り計らう気配りに他ならない。と言う話しを聞いたことがある。
まさにその通りかなと思う。
一周忌法要から1年。何事も無ければ疎遠になりがちな姉・弟達を、母の力で呼び集めて仲良く仏壇に手を合わせ、酒食を共にして、益々絆を深めさせる粋な役割を果たしてくれているのだろう。

住職さんにおいでを願い、ねんごろなる読経の中、みんなが順番にお焼香をする。
このような姿を、母からいえばひ孫となる幼い3人にしかと見せておきたいし、このような儀式をすることが、亡きバァバァに対する感謝の気持ちを表すのだ、と言うことを暗黙の内に教えておきたい。

若い独身の住職さんではあるが、「御仏のお姿をよくご覧いただきたい。あの細い目は、優しい慈悲の目で私たちを見守っていて下さる。あの大きな耳は、私たち生きている人間の苦しいこと悲しいこと楽しいことなど、全てをしっかり聞いていて下さる。だから世の中決して独りなどではなく、御仏はちゃんと見て、聞いて下さっている・・・」と話された。
生前の母が、柔和な笑顔で背中を丸めながらお寺参りしていた様子もよく観察されていた。

亡くなってからの2年間が早かったのか遅かったのか、なんとも言い難い。が、こうして三回忌法要を営むとなると、また新たな感慨が湧いてくる。思い出もひとしお。

母が逝って半年後に生まれた悠雅くんが、読経のときも、食事会になっても、我が物顔で大声を出しながらはしゃぐ。
ひょっとしたら母の命を受け継いで、この世に新たな生命を誕生させたのかと勝手に想像する。
なんとも不思議な縁を感じずにはいられない。
コメント (6)
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