ネット徘徊していたらこんな広告にいくらでも出くわす。
だからいつの間にか馴らされてしまったというのだろうか。目パチクリのお嬢さんを見ても、あまり感動しなくなった。単に年を取ったから・・・だけではない。
ア~ア~な~るほど、ああやってやれば、あの娘がこんなに変わるのか・・・という実態を目の前で見せられることがある。電車の中、どうかすると向かい合ったシートで。
ああやって マツゲ巻くのか 知る電車 鴻巣 雷作
毎日新聞、万能川柳を引用させて頂いた。たまに乗る電車の中で見かける。
ちょうど私が利用する電車の時間帯が、夕方の仕事帰りや学校帰りの女性と重なるからかもしれないが、ものの見事に“ へんしーん ”する姿を見せて頂ける。
夢が壊されてあまり有り難くない。
それほどまでに、私自身をはじめ、男だろうと女だろうと、周囲の人間の眼など気にもかからないのだろう。己を美しく飾りたい欲望の前には盲目になるのかもしれない。
その美しさは残念ながら上辺だけの物で、内面的美しさ、奥ゆかしさなどのかけらも見られない。確かに目の前でまつ毛を巻き上げようと、パタパタはたこうと、紅を引こうと、直接的な迷惑を被るわけではない。それにしても、私の電車乗車時間はものの13分である。その間に見事生まれ変わる。神業に近い。
個があって、私があって、肝心な公が失われている。
これを若さの特権などと正当化せれることに、何の抵抗も出来ないのだろうか。
それより若さの本当の特権は、何にもしなくてもはち切れる素肌の美しさにあるような気がするけどね~~。