「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「続投」

2010年06月02日 | ニュース・世相
 大竹 寛

プロ野球はセパ交流戦の真っ最中。各チーム6月戦線に向けて、開幕からこれまでの経過を踏まえて、修正や微調整に入るところである。
本来なら、今年はプロ野球の話題はこのブログには一切アップしないつもりでいた。
あまりにも不甲斐ない広島カープの闘いに、4月の時点でペナントレース脱落という強い印象を持った。

ところが、チームは弱くてだらしなくても、個々には特筆すべき選手がいる。
マエケンこと前田健太。彼は応援したい。誰が何と言おうと声援を惜しまない。
そしてここにきて、昨年の勝ちがしら大竹寛が戦列復帰した。少しは体裁が整うのかと思いたい。
そんな希望的観測も含めて、初めてカープの登場となった。

と思いきや、どっこいそう簡単にはいかない。
今、世の中というか我が国の政治を巡って、続投か退陣かという対立軸で、永田町が揺れている。
つまり、続投という言葉に焦点を当ててみたくなった。

野球の世界では、監督・投手専門コーチなどがいて、試合の流れ、投手の出来不出来を綿密にチェック、捕手の意見を聞き、相手打者との噛み合いなど、総合的に確立の高い判断を下して、続投か降板かを決める。決まったらそれに従うのみである。

ところが政治の世界では、どれほどの失態を演じ、不協和音を煽り立て、退陣・降板を声高に叫ばれても、なおかつ本人が「続投する」と言い張れば、たとえ完敗が予測されても、それを擁護する集団がいる限り降板には至らない。これで本当に勝負出来るのだろうか。

そこには、監督という絶対的指揮官や専門のコーチ不在という致命的欠陥が見え隠れする。
つまり国民の意識・目線といったものを感じ取る神経がマヒしてしまっては、次に登板する投手までダメにしかねない。
勝敗を左右する一大要素、投手の継投策。監督する立場にある我々国民が選択を誤ってはならない。

・・・・と、ここまで書いたところでニュースが飛び込んできた。
エッ! ナヌッ? ついに自らマウンドを降りる?それも似たような疑惑のバッテリー二人とも?!。
そりゃー結構。 ただしこのブログの努力はどうしてくれる?? まあいいか、世の中がよくなるなら。
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「風の画家 中島 潔」

2010年06月01日 | 趣味・・エッセイ
風の画家と称される、叙情的な画風が人気の日本画家「中島潔さん」が、先般清水寺塔頭成就院(京都市東山区)に、4部屋46面のふすま絵を奉納し好評を博したことを、NHK5月31日の放送で知った。

ふすま絵は、詩人金子みすゞの「大漁」をモデルに鰮(いわし)の大群を、1尾ずつ丁寧に描き込んだ力作に「かぐや姫」「風の故郷」で構成されていた。

      朝焼け子焼けだ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ
       
          浜はまつりの ようだけど 海のなかでは 何万の
                
                        鰮のとむらい するだろう
                                    (金子みすゞ)

この詩の通り、「大漁」にはイワシの大群が描かれ、中島さんは「弱い命ほど一番輝く。それを表現した」と説明。
「ふすま絵には生きる姿を描いており、悲しいこと苦しいことがあっても、絵を見て一瞬それを忘れてもらえればうれしい」とも話されていた。

                              
柔らかな筆使いで描き出される幼子のあどけない様子。風にひよる髪の毛一本までを鮮明にこの目に焼き付かせる絵は、1歳の孫悠雅君を思わせて気持ちが和む。

18歳で母との死別。67歳になった今も母への特別な思いは変わらないという。
そんな心の奥底に秘めた優しさが、このように多くの人を惹きつける表現力となるのだろう。
到底足元にも及ばないが、気持ちの持ち方くらいは近づきたいと思う。
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