「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「どうなる!明日の日本!!」

2012年12月15日 | ニュース・世相

       

3年3ヶ月の政権を担った民主党に退場を願うのか、新たな政権の枠組みが誕生するのか、いよいよ国民が選択する日は明日となった。

原発の存廃など争点にも上がらなかった前回の選挙。
コンクリートから人へ、というキャッチフレーズの下、あれこれ口角泡を飛ばした議論もいつの間にか空中分解。中止を叫んだダム工事は再開。あの鬼の如き事業仕分けの勢いは何だったのか。我々の目をそらすパフォーマンスだったのか、などとジャーナリズムは声を大きく上げない。子ども手当も学費の無償化も高速道路無料化も、霞ヶ関の埋蔵金で全てまかなえるように聞こえたのは、小生の耳が悪かったのかも知れない。

今回は耳の調子もまずまずのようだ。
しっかり聞いたことをもとに選択したい。などと粋がってもたかが一票。されど一票。
この一票の積み重ねが政権を動かし、国家の行方を方向付けることになる。
幸い明日はお天気もよさそう。投票所までウオーキングで颯爽と・・・??
後24時間もすれば、日本国の舵取りも決まり、面舵なのか取り舵なのか判明する。

お金を出すから我が家の安泰を守っておくれ、隣の家が境界線を曲げてくるような理不尽なことをするなら、何とかして守っておくれ、我が家には守るべき腕力も道具もないのだから、と、三軒先のお金持ちで腕力もある仲良しさんに哀願する憐れな姿がいつまで世間に通用するのだろうか。
いつかは、境界線も自分の力で守り、難癖付けられない実力を備えて堂々と一本立ちするのか、お互いが寄り添って、遠い昔の線引きや法務省の登記簿謄本を見つめ直し、権利の主張による嫌がらせを収束するのか、ここんところは見逃せない。

正常な日本、枕を高くして寝られる日本の姿を夢見ながら明日を待とう。

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「12月14日はやっぱり・・・」

2012年12月14日 | 季節の移ろい・出来事

            

12月14日。どうしてもあの、江戸庶民を湧き上がらせた痛快劇に思いが及ぶ。
江戸封建時代の理不尽を象徴する「忠臣蔵」という歴史物語には、日本人の倫理観というか、弱きを助け強きをくじく人間らしいバランス感覚が透けて見える。だからいつまでたっても人々の歓迎を受け、拍手喝采で迎えられるのだろう。

今ひとつ、鎌倉幕府、いわゆる武家政治を築き挙げる言動力となった源義経の物語り。これもまた憐れな方に味方する日本人のDNAとも言うべき、義理と人情、それにある種の正義感みたいなものが根底に流れている。
判官贔屓(ほうがんびいき)と言うことわざさえ生まれている。

この赤穂浪士という長編小説を最初に手にして、なるほど、などと得心したのは中学校の終わりから高校の初め頃だったと思う。確か「大佛次郎」だった。
もっとも、小説を手にする前に親父さんからの口伝で、おぼろげながらの筋道は飲み込んでいた。親父さんはもっぱら、浪曲や講談など、観てきたような説得力のあるしゃべりで聴衆を魅了する講釈師から仕入れたネタだったような。 

いずれにしても、幼い頃から、義理や人情を日常的に教わる社会が出来上がっていた。つまり周りの大人達が、子ども達に教える小さな教室がそこにもここにもあったような気がする。少なくとも現代のように、どうかすると弱きをくじき強きを助ける理不尽さがまかり通ることはなかったと思う。そんな我が国の社会観の変遷が現在の陰湿な「いじめ問題」の根源の一つになってはいないだろうか。などと勝手に思いを膨らませたりする。

忠臣蔵にしても義経にしても、色々新しい見方や新たな歴史観が生まれてきて、何が本当で本質はどこにあるのか、また奥行きの深い人間の持つ深層心理に迫る解釈がおろそかになったり、いたずらに興味本位になったりする一抹の淋しさもある。

色々考えるところはあるが、人間の感情の歴史の一つして、娯楽的に楽しめればそれでいいじゃ・・・という声も聞こえそうである。

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「一番機、飛翔!!」

2012年12月13日 | ニュース・世相

       
       青空に吸い込まれるように、岩国錦帯橋空港を飛び立つ一番機

多くの市民や、周辺住民の期待を乗せて、真っ青な空に吸い込まれるように、岩国錦帯橋空港を飛び立った一番機が、満潮の海を越えて東京に向かった。

何でもかんでも計画が発表されるとたちまち反対運動が展開される岩国市にあって、比較的穏やかな反対運動の中、産業振興や観光客誘致という、豊かな都市作りを目指すこのたびの民間空港開港。いよいよ岩国市も空の門戸を開いたことになる。

2012年12月13日。岩国錦帯橋空港が開港した。
7時30分、第1便出発に合わせて、滑走路南側の門前川を隔てた瀬戸内海堤防道路に三脚を立てた。かじかみそうな指に息を吹きかけ300㍉望遠レンズ装着。
米軍岩国基地滑走路を供用するという、珍しい民間空港。カメラの位置からは、米軍の建物に阻まれて滑走路は見えない。もちろん機体も見えない。

耳を澄ませ、スタートエンジン音の轟きを待つ。今か今か息を潜めるようにひたすら待つ。雲一つない快晴の日差しが海面を輝かせ、待つ身を慰めてくれる。
待つこと24分。7時54分、ジェットエンジン音が一気に高まった。辛うじて垂直尾翼の移動が目に入る。必死にカメラで追いかけるが建物の陰に隠れ、一瞬見失う。次に機体を見つけたときは地上数十㍍であったろうか。
それでも間違いなく、開港一番機飛翔の機影をこのカメラに納めた。やったぜ!!

何はともあれ東京が近くなった。我が家からクルマで30分もあれば充分に空港に行かれる。羽田から浜松町へでる煩わしさなど合わせると、さて新幹線とどちらが・・・。
などと今、思案するのは辞めよう。産業、観光など市の活性化に素直に期待しよう。

午前7時54分、第1便となる全日空機が乗客150人を乗せて羽田空港へ向けて離陸し、48年ぶりとなる民間空港定期便が就航した。
新規開港は2010年3月の茨城空港以来で、運用中の空港では国内98か所目。米軍との軍民共用は三沢空港(青森県三沢市)に次いで2か所目で、既存の滑走路や管制施設を使うため、低コストで整備できるのが特徴だ。国管理空港で、国が約46億円(当初見込み)で駐機場などを整備。管制業務は米軍が行う。
全日空が羽田線を1日4往復運航。山口県東部や広島県西部からの利用が見込まれ、国の需要予測は年間35万人。岩国―東京を1時間30~40分で結ぶ。(この項はネット拝借)

 
 機首を上げたと思ったら、あっという間に遙か青空の彼方へ消えていった。

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「枇杷の花咲く頃」

2012年12月12日 | 季節の移ろい・出来事

   

          枇杷の花 健羨に堪えぬ 恋観たし       中村草田男

今を盛りと咲き始めた枇杷の花。
この頃から花開き、やがて実を付け、梅雨から梅雨明けに黄色い実が熟す。
そんな枇杷の花は葉陰にあって、遠くからは見えにくいが近づくと芳香を放っている。

そんな枇杷の花のような、羨ましくてたまらない恋を観てみたい・・・と。
確かに今どきでは、この句のように羨望の的になるような、ひっそりとしたきれいな恋にはなかなか巡り会えなくなったのかな。
この句は1959年の作品だと聞かされると、エッ?その当時からこういった枇杷の花のような恋は滅多に観られない状況だったということだろうか。

いつの世でも恋とは美しいものであって欲しい、と思っていたのは、本当の恋というものを知らない若気の至りだと、今頃になって分かるようになってきのかな。

『恋は忍ぶが楽しみ 人に悟られぬ内が命ぞかし』 と言ったのは、今からおよそ300年前を生きた戯作者、西沢一風の言葉である。
初めて恋をして、戸惑いながらも熱く胸を焦がし、いうにいわれぬ思いにため息ついたりほおづえついたりしていたころ。また、思いが通じたけれどまだ恋の行方が見えずに人には秘密にしているあいだ。思いを忍び、逢瀬を忍んでいる時のときめきは、オープンな恋の朗らかな情熱とは違った、何とも言えぬ情念をかきたてるものだそうな。
ましてやわけあって公にできない、人目を忍ばねばならぬ恋となればなおさらである。恋は秘密にしているうちが楽しいもの、人に知られないうちが命だという。

その辺の感覚は、江戸時代の庶民も現代の庶民もそう変わらぬものらしい。という注釈がついている。これは個人の考えのみではなく、おおよそこのようなものだとという、一般的なお話しとしてうかがうのは楽しいものである。
近くに枇杷の木があったら、花の位置や形をいちど覗き込んでみるのもいいかもね。

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「贈り物」

2012年12月11日 | 季節の移ろい・出来事

       
                  岡山名産、あたご梨 

時節柄贈り物が届けられる。こちらからも発信する。
お歳暮という贈り物の習慣は、佳き日本の伝統文化か、悪しき慣例か、議論は別れるのだろう。もう一つお中元という贈り物が交錯する時期がある。

宅急便をはじめ、日本郵便など運送屋さん挙げての稼ぎ時。ということは商品が日本全国を駆け巡る。ということは商店が活気づく、一時的ではあってもお金が動く。景気をちょっとだけ刺激すると言う図式が成り立つ。

ちなみにお歳暮に対する意識や動向をちょっと並べてみるとこんな感じである。
今年“お歳暮”を贈る予定は約4割。 贈らない予定は若干多く45,6%
“お歳暮という風習”に「賛成」は約3割 
「賛成」の理由:「普段の欠礼を補う機会にするため」(93,3%)
「反対」の理由:「お金がかかる」(70,5%)、「面倒だから」(53,3%)

今後も“お歳暮”を贈る予定は3割以上。
ただし、男女共に30代は「今後、贈りたいと思う」が3割を切る。

今年“お歳暮”を贈る予定の最多件数は2~3件。 50~60代は贈る件数が4~5件

ざ~っとこのような意識が働いて、お歳暮という習慣が成り立っている部分がある。
どのように捉えるか、どう判断するか、あなた任せの年の暮れ・・・というところか。

とてつもない大型の梨が届けられた。岡山県が生産日本一を誇っているジャンボ梨。
一玉900㌘もある。直径で言えば15~18㎝、図体の割りに繊細な味でジューシー。
その名を「あたご梨」という。なにもここで宣伝するつもりはないが、交配に交配を重ねてここまで作り上げた農家の努力に、賞賛の拍手を贈りたい。

ひとつだけ、あたご梨の間に“ま”の字を入れると“あたまごなし”になる。
いくら甘くて美味しくても、あたまごなしに押しつけられると、ちょっとね~。(余談)

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「色づいて」

2012年12月10日 | 季節の移ろい・出来事

        
             色づいた万両。右は必死に伸びるイトスイセン

暦が大雪に入ったとたんに、早くも真冬が来たような凍える寒さ。
ひょっとしたら暖冬か、などという期待を見事に裏切っている。寒い、実に寒い毎日。

それでも、白いサザンカは咲き乱れ、紅サザンカもツボミを大きく膨らませている。
庭の万両が3年ぶりに見事な実を付け色づいてきた。
水不足で弱ったところへ虫が付いて、あわや瀕死というめに遭わせてしまった。

消毒・水遣り・肥やし少々。手厚い看護でようやく元気回復。2年間は真っ赤な実を楽しむどころか、木そのものが枯れそうであった。助けたのである。
こぼれるほどの赤い実を付けて復活を遂げた。気持ちが弾む真っ赤な万両。

勝手な話ながら、この我が家の万両に景気の先行きを占ったことがある。
どのように期待しても、上向く元気を見せなかった。それどころか、昨年一昨年と枯れかけていた。この冬の総選挙に向けて一気に回復、元気旺盛に実を付けている。
ひょっとしたら、景気回復の前兆を示してくれているのだろうか。
ということは、国内景気も、外交安全保障も好転の兆しありということか。

東証平均株価1万円台。1ドル85円。せめてこの水準にもどらないかな~。
ヨーロッパの信用不安、アジアの足踏み景気、アメリカの低迷・・・。
どっちを見ても株価上昇・円安傾向など期待薄ではあるが、せめてお正月に向けて、マイナス分を少しでも取り戻す景気回復を望みたいものである。

赤いダイヤと呼ばれる山形地方のサクランボをちょっと小振りにしたような、ツヤツヤの真っ赤な万両の実。なんとかその赤で景気回復をもたらしてよ。
何の根拠があるわけではないが、苦しいときのなんとやら。
万両頼み。柏手シャンシャン!!

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「本音がポロッ!!」

2012年12月08日 | ニュース・世相

            

衆議院解散、16日の投票に向けて舌戦最高潮に・・・。
各候補、地元選挙区に帰って票集めに余念がない。当たり前の事である。議席を失えばただの人。ましてや現役の先生にとっては議席確保のためならなりふり構わず・・・。

と言うわけでもないのかもしれないが、とんでもない「これだけは口に出したらおしまいよ」と言った発言が飛び出してくる。こともあろうに、一国の内閣を背負って立つ人の口から。
ようやく自らの選挙区に帰って選挙運動に精を出す官房長官に「次回はいつ選挙区に帰られますか?」という記者が質問する。「北朝鮮がさっさとミサイルを発射すれば早く帰って来られる」とのたまったそうな。これが現政権の本音なのだろうか。

いくら屋台骨がボロボロになった政権とは言え、一応日本国の防衛を預かり、北朝鮮が計画しているミサイル発射阻止に奔走するのが建て前であろうに。
それより何より自分の議席確保を最優先に、北朝鮮ミサイル発射がさっさと終われば、永田町を留守にして思いっきり地元での選挙活動が出来る・・・という発言。

正直な方だね~。呆れかえってものも言えないが、これが政治屋さんの本音なのかもね。そうであるなら本当に哀れで可哀想な職業だと同情したくなる。
ただね、思ったことを口にするのは、よほどの偉人かよほどの・・・か。
我々取るに足らない凡人でも、自分の言ったこと、口に出したことは責任があると思っているのにね~。すぐに釈明したり訂正したりする発言を、政治家たる者がね~。

それでも地元に帰れば「おらがの先生」なのだ。これはこのお方に限ったことではない。多かれ少なかれ、地元選挙民にそういう意識が働いているのだから。
それにしても人間の心の片隅には、思いも寄らぬ鬼面が潜んでいるのだろうか。
本当に、井戸と塀しか残らないほど私財を投げ打ってでも、庶民のため、国家のため、ひいては自分自身の信念のためなどという政治家は望む方が無理ですな。
今どき何を寝呆けたことを・・・とお叱りあるな!!

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「季節の使者」

2012年12月06日 | 季節の移ろい・出来事

  
 二階の窓から5mのヒノキ、向こうに海が       ヒノキの実をついばむヒヨドリ

昨年の冬の初め、キーキー甲高い声で鳴くヒヨドリの姿が見られなかった。
大好物のクロガネモチの実を食べにやってきたのは3月に入ってからだった。
スズメだって同じように、姿を見せたのは梅の見ごろが終わりに近いころだった。
たかが野鳥の動向に大騒ぎなどしたくはないが、何か自然の異変、天地の営みに狂いが生じたのではないか、と疑ってみたくなるほどの異常な気配があった。

今年は少し様子が違う。というか、例年並に季節の使者がそれなりにやってきた。
まだあまり大きな声でさえずる様子はないが、間違いなく普通どおりにやってきた。
二階の窓から5mと離れていない、幼いヒノキの天辺にヒヨドリが止まっている。静かに静かに、カーテンを揺らさないよう望遠レンズを向ける。

明らかにヒノキの実を口に入れた、ここぞというシャッターチャンスをくれた。
あの警戒心の強いヒヨドリが、よほど空腹だったと見えて、餌の前には警戒心もゆるんだのだろうか。何枚かシャッターを切る間、悠然と餌をついばんだ。

なにがどうというわけでもないが、毎年繰り返される季節に毎年同じ光景を目にすると、やはりホッとする。突然現れる自然の異常現象には何故か過敏に反応する自分がいる。
あの3,11や、ささやかれる南海トラフ地震など、心胆寒からしめる現実や予測が気持ちの奥底に根付いているからだろうか。

それでなくとも、相次ぐ電気料金値上げ申請、消費税税率アップなど、ただただ反対だけしていればいいという問題ではない現実が身近に迫っている。
こういった閉塞感を少しでも和らげる意味でも、身の回りの自然くらいは、おおらかに鳥謳い華やいでいて欲しいな、などと欲張ってみたくなる。

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「海花火」

2012年12月04日 | つれづれ噺

     
               小春日和の太陽を吸い込む瀬戸の海  

第2回岩国検定試験という一つの仕事をやり終えた安堵感がある。
昨日まで抱えていた荷物を一気に下ろして、気持ちが軽くなった思いである。
振り返ってみて、本当にそれほどのことをしたのか、自分の役割を全うしたか、問い質す自分がいる。終えて見て、気持ちが軽くなるほどの事をしたのだろうか?と。
まあそれほど神経質にならなくてもいいのかな。全部でも10人しかいないメンバーの一人であったということは確かなのである。10分の1は受け持ったということにしよう。
いくつかの残務処理はあるものの、兎に角終わった。

山の木々を揺らすほどの大風が吹いてはいるが、見事な小春日和のお日様が誘う。
軽い気持ちのまま、クルマではなく歩いて海の公園に足が向く。
風に揺られて騒ぐ海面を、まばゆいばかりのお日様が照らす。
キラキラ輝く。サングラスが欲しくなるほど。まるで海面のすぐ下で、大きなダイヤモンドが光っているのだろうか。いやいやそれよりもっと華やかに、この目を引き付ける輝き。

そうだ、花火だ!海の底から打ち上げられた花火が海面で炸裂し、尽きることなく輝きを放ち続ける。ひと仕事終えてうつろになりかけた気持ちを潤してくれる。
「海花火」と勝手に命名しよう。近寄れば火傷しそうな光彩を放つ。またひとつ新たな表情を見せてくれる海。やっぱりここはいい。誰もいないが話ができる。

ころあいよく騒ぐ海面、真上から降り注ぐお日様、それなりの条件が揃わなければこのような光景にも出会えないのだろう。ラッキーとグッドタイミング!!
今年も残りわずか。ささやかながら目標もある。軽くなった身辺をグッドタイミングと受け止め、ラッキーカムカムを夢見てちょっとだけリキ入れてみよう。
誰と競うわけでもなければ闘うわけでもない。もしも闘いがあるとすれば自分自身か。

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「枕を高く・・・」

2012年12月02日 | 岩国検定

      
          第2回、岩国検定試験会場風景  2012.12.2 AM10:15  

かれこれ4年の歳月をかけてこぎつけた、第2回岩国検定試験。
受験応募者76人に対して実質受験者71人という結果であった。
この数字が多いとか少ないとか、自慢をするつもりないし、嘆くつもりもさらさらない。
ただ水の如く、淡く清く、静かに現実を受け止めている。

第1回目より受験者数は減った。それはそれで致し方なし。
初物に弱い人間心理と、野次馬根性が相乗りして、初めて試みた第1回目は相応の話題として取り上げられた部分はある。好奇心を刺激した部分もある。
これは一番煎じと二番煎じのお茶の味にも似て、やはり一番最初めというのは魅力があるものだ。その点からいうと、岩国検定はそこそこに魅力を保ち続けたと言えるだろう。

裸の大将にも似た、全くの組織もバックボーンも持たない、小さな小さな市民グループが、丸腰でぶつかった感じのある岩国検定というご当地検定。
こちらが一方的に始めたグループ活動なのだから、誰に頼るわけでもない。ましてや行政や大きな組織を動かそうなどという大胆な働きかけもしないまま今日まで来た。

それでも、第2回検定試験の参考書として発行したテキストブックは、それこそ引く手あまたのままあっという間に品切れ。そんな実績も残した。
これから先の市民感情の動向が気にかかるところではあるが、さてどうする。
やっと肩の荷を下ろし、今夜から検定のケの字が夢枕に立たなくなるだろうという安堵感に浸ろうとしている今、そんなことまで考えなくてもいいか。

第2回検定試験が、まずまずで終えられたことに肩の荷をおろし、満足感に浸ろう。
たとえそれが自己満足の世界であろうと、10人のメンバーの10分の1のノルマは果たせたのだろうと思うから。

何よりも、応募してもらった76人、そして実際に受験してくれた71人の方々に感謝したい。そして、目に見えないところで常に水かきをして、仲間を励まし沈没を防いできた、水面下の強力な水かき力に脱帽、そして感謝、さらに大きなねぎらいを贈りたい。

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