浴室の天井はごくごく淡いレモンイエロ―
壁のタイルはそれよりやや濃いレモン色
床のタイルは壁のタイルを更に濃くした色だった
コーナーには鏡つきの収納棚があり 浴槽からだと 壁のタイルが映って見える
何事もなければ
大体 浴室の鏡は余り見ることがない
出た所の脱衣室に洗面台の大きな鏡があるのだから
ばしゃばしゃと顔を洗って シャワーかけて少し体を冷やしてから上がる
その夜 浴槽に浸かっていて 何かが注意をひいたのだ
鏡の中に動く点があった
見ていると その点は じわじわ大きくなってくる
女が湯に浸かっているのだった
樽の・・・木の風呂である
寿司桶の深いもののような形の
あれは桶風呂というものだったか
絵か写真でしか 見られなくなってきた風呂桶にいる女の髪は崩したような日本髪
向こうむきなので 後ろ姿しか見えぬ
―惜しい
と思ううちに鏡の中から女の姿はかき消えた
―夢でも見ていたのか 俺は―
その後 幾ら待っても女は姿を見せず 些か残念に思いながら風呂を上がった
家族の誰も不思議を言い立てないことを見れば 彼が夢でも見たのか
急な転勤で会社が借りて用意してくれた半ば社宅のような家
ばたばた家移りしてきて 慌ただしく取り敢えず荷物片付け 最初の夜
子供の世話とで疲れていた妻は 先に休ませた
寝室と続きの和室で 子供達に添い寝したまま 布団も被らずに眠っている
学生時代からの付き合いで 就職して半年で結婚
翌年 娘が生まれ 二年おいて息子が生まれた
幼稚園と保育園
来年の春には娘が小学生になる
前の保育園から紹介された保育園への転入の手続き
―大変だったろう― おかしな姿勢で疲れが残っては可哀相なので 抱き上げてベッドに運ぶ
それでも起きないほど深く眠っているのだった
布団をかけ エアコンの設定を少し変えて眠る
夢を見ていた
女が言う 「お待ちしていたんで ございますよ
やっと お帰りに 」
さあて夢の内容はどんなものだったか 起きれば忘れてしまっていた
翌日は会社へ挨拶に行き 住む家の世話など担当してくれた人へも礼に行く
妻から頼まれた品や道具を買って帰り
そんな事などしていると じき一日終わった
「ご飯食べに行こうか?
帰りに食料品買い込もう
拓也 荷物持てるか 」
「うん ボク力持ちだもん」
「お父さん あたしも 美結(みゆ)も 力持ちだよ ティッシュもトイレットペーパーも二つずつ持てるの」
「お父さんも力持ちだから 今日は好きなだけ買っちゃおうか」
「いいぞ まずは腹拵えからだ」
俺たちは幸せな家族だったと思う
家の近所で出前もしてくれる食堂を見つけた
昔ながらの大衆食堂
越してきたんだーと言うと 店の主人は 引越し祝いだと子供達にプリンをオマケにつけてくれた
主人の奥さんらしい人は 遅くまで開いてる薬屋や往診もしてくれる病院の名前など 近所のあれこれを教えてくれる
親切な夫婦だった
教えられたスーパーに買い物へ行き 野菜やアイス 子供達のおやつ 冷凍食品 ずしりと重たい調味料類も買う
そして風呂 妻が子供達の着替えを用意し 俺が子供達を風呂に入れる
今日は・・・鏡の女は出てこないようだった
後から風呂に入った妻も何も言わない
あれは 昨夜のあれは・・・俺の気の迷いだったに違いない
「いいえ いいえ お待ちしていたのですもの」
眠ると夢の中に誰かがいる・・・・
しかし夢のこと 思い出せない
仕事で遅くなった夜は 妻はもう子供達を風呂に入れ 自分も入ってしまっている
一人では大変だろうに器用なものだ 感心する
レンジで温めればいいだけにした皿がラップに包まれテーブルの上にある
「その おにぎりはね 美結が作ったの」
「トマトを洗ったのはボク」
「有難う 美味しいよ」
二人は満足して歯磨きに行く 磨き終わると 両手で歯を指差し「ぴっかぴか」と見せる
「お父さん おやすみなさい」「おやすみなさい」
「ああ おやすみ」
妻に連れられ子供達は眠りに行く
子供達を寝かせて戻ってきた妻に「先に眠っているといい 風呂に入ってくるよ」
食器を片付けながら言う
「有難う もうくったくたです おやすみなさい」
笑顔の妻に 軽く手を振る
乱れ籠の中に妻が着替えを用意してくれていた
風呂 気になるのは あの鏡
見ないようにして体を洗いシャワーで上がる・・・・上がろうとした
足を掴まれた 鏡の中から白い手が出ている
よろめき・・・引き込まれる
見上げた女の顔は半分無かった
「あたしは ここで殺されたのでございます」
顔半分でにたりと笑う
「ずうっと待っておりました 長いこと ここは暗いだけでしたが・・・・細く光がさしてきて 見れば・・・・広がり そこに貴方がおりました」
女の着ている白い着物は経帷子か
「覚えておいでではないですか 貴方は あたしを殺したのでございます
こう くっと首を絞め・・・・・苦しゅうございましたよ
それでも 会いたかったのです
怨んでおりますとも いえ殺されたことでは ございません
どうして忘れてしまえたのでしょう
覚えていてほしかったのです
こうして捕まえたからには もう離しは致しません
ずうっと一緒にいていただきます」
女が嬉しげに笑う
僅かに見えていた・・・・浴室は・・・・見えなくなり 世界は閉ざされた
ただ 暗い
その世界に女の笑い声が響く
「これで貴方は未来永劫 あたしのもの」
妻は子供達はどうなるんだ?!
しかし もうどうしようもない
前世の俺の罪の報いだと・・・女が言うのだから・・・・・