ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

時間の流れと精神的な距離の違いを感じた日帰り行

2011-05-21 21:58:45 | 生き方
義父母の墓参り。
といっても、その土地は埼玉県内。
新潟の方に両親の墓があるので、盆や彼岸などの際にはこちらを優先し、義父母の方はごめんなさいしていた。
違う時期に行ければいいのだが、なかなか予定が立たない。
でも、今日は、夫婦と子ども二人の一家4人で、車で日帰りで墓参りをしてきた。
こうして一家そろってそちらまで行くなんて、いったい何年ぶりだろう。
10年以上前に、法事で行って以来かもしれない。

車を走らせながら、かつて何度も往復した関越自動車道について思う。
高速道路は便利なものだ。
かつては、7,8時間は要した距離を、現在は半分以下の時間で行ってしまう。
わが妻は、結婚する時には車に乗って新潟まで来たが、あの頃は、関越自動車道はまだ全線開通に至ってはいなかった。
そうそう、上越新幹線も開通していなかった。
距離の感じ方は、昔の人と現在の人では精神的な部分でずいぶん違うだろうなあと思ってしまう。
40年も前の名曲になってしまうが、「花嫁」(北山修:作詞)という歌があった。
 
 花嫁は 夜汽車に乗って 嫁いでいくの
 あの人の写真を胸に 海辺の街へ
 命かけて 燃えた 恋が結ばれる
 帰れない 何があっても 
 心に誓うの

この歌の感覚は、私が結婚した頃にはまだ残っていた。
しかし、私たちが結婚した数年後、上越新幹線や関越自動車道が開通した後、結婚はこの歌詞ほど大げさなことではなくなったような感もある。

結婚して、妻にとっては「里帰り」となるこの距離の往復。
きっと、当初はとても遠く長いものであっただろう。
今は日帰りが簡単にできる。
簡単にできない頃には、義父も義母も元気だったのに。
簡単にできる今は、二人ともこの世にいない。
娘や息子の年齢も、私が妻と結婚した年齢には到達済みである。

時間の流れと精神的な距離の違いを改めて感じた、今回の日帰り行であった。
コメント
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