ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

若さの持つ感性

2015-01-18 20:57:51 | 読む

【あかね色の風/ラブ・レター】(幻冬舎文庫)

前回のエントリーに、蜂さんから亜土夢選手の決断は、「若さの証明」だという内容の意見をいただいた。
最近読んだ本でも、若さについて考えたことがあったので、「重なるなあ」と思ったしだい。
その本とは、あさのあつこさんの「あかね色の風/ラブ・レター」(幻冬舎文庫)である。

あさのあつこさんの作品と言ったら、なんと言っても「バッテリー」が有名だ。
青春小説が多く、若者の心のありようの表現がうまいなあと感心することが多い。
そして、人はここまで考えて生きているのかな、などということも思ったりする。
周囲の風景の描写と人の心情とが、きらきらと輝くように実にうまく表現できているのだなあと思うのだ。
先日、BOOKOFFで、「あかね色の風/ラブ・レター」を108円で見つけ、この前読んだ。
それぞれの話で、主人公は、小学6年生と小学5年生の少女である。
小学生高学年の女子の感じ方って、こんなかなあ…と多少の不思議さも感じながら、登場する少女たちの心情の表現に感じるものが多かった。
その感情のみずみずしさに、大人とは違う心のあり方を感じた。
そういう感性は、かつての自分も持っていたはずなのに、失ってしまったということなのだな、そういうものがたくさんあるのだな、と思ったのだ。

読後面白いなと思ったのが、作者あさのさん自身のあとがきだ。


 そんな少女の凛々しさをなぜ、忘れていたのだろう。忘れていた自分と凛々しいまで息づく少女たちの間に横たわる距離の果てなさに唖然とする。
 歳をとっちゃったな。
 そう思う。思いながら、しかし、少女たちに揺さぶられる心がまだ、わたしにも残っていると、息をつく。


作者自身が、自分が書いた少女たちに、未熟な若さのもつ鋭さを改めて教えられているのだ。
そうなのだよなあ。
自分なんかも、若い頃には持っていた感性が、いつの間にかなくなってしまったり色の薄いものになってしまったりしている。
でも、あさのさんではないけれども、そういう自分に気がついたり、錆びついていわいるけれどもまだまだ昔ながらの自分が残っていることを感じていたりもできる自分もいるのだ。
見た目にも歳はとってしまっているとわかる自分。
体のあちこちにガタがきている自分。
そんな自分だとは知っているけれども、自分だけが持っている、若い頃からの感性はまだ残っているものがある(はず)。
そして、それを、これからも大切にしていきたいものだ。

改めてそんなことを感じさせてもらった一冊であった。
コメント
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