総身に知恵が回りかねる私が、おこがましくも人を育てる仕事を、およそ40年もすることができた。
その大きな理由は、なあに、教え育てられたのは、目の前の子どもたちでなく、ほかならない私自身が子どもたちからいろいろと教えられ人間的に成長することができたから、というのが一番だったかもしれない。
子どもの頃、ひ弱だった私。
だから、大人になっても、様々な点で力のない私ということを自覚していた、
その分、目の前の子どもたち一人一人にたくましく生きていく力を育てたいと思っていた。
特に、個々が自信をもって生きていけるように、ということについてはこだわって力を入れてきたつもりでもあった。
だから、子どもたちと別れてから、何年も何十年もたってから再会したときには、
おお、ここまで死なずに、ちゃんと生きていてくれてうれしい、と思う。
成長して大人になって、自分の力でたくましく生きているのが分かって、感激する。
…こんな気持ちになる。
昨日、今日とそんな気持ちを味わうことができた。
30数年前にかかわった方2人との「再会」があったのだ。
1人目の彼とは、正直言って、会ってはいない。
なぜかというと、私だけが会った気になっているからだ。
その理由は、見たのは、昨夜テレビ画面の中にいる彼だったからだ。
40代の彼の子どもが仕事の都合で日本を出て遠いところに行くという。
帰ってくるのは半年後。
責任ある仕事についている息子と、それを見守る彼とその奥さんが映ったりした。
TVは、それを扱い放送していたのだった。
とてもいい雰囲気の家族だった。
若くても責任ある仕事につくことができるほどの息子を育てた彼らに拍手だった。
ところで、彼が結婚するときに、その報告に来て、その時のお願いがふるっていた。
「結婚式には招待しないけど、先生、俺に祝電送ってくれませんか?」
だもん。
ちゃんと贈ってあげたら、数日後、その奥さんと一緒に礼を言いに来たのはさすが。
「お前らしいな」と笑って、2人を迎えたけどね。
あれから20年くらいたっているというわけか。
彼らの息子だってこうして働いているんだものなあ。
いい大人になっているなあ、と思いながら、テレビ画面の彼ら一家を見ていた。
2人目、今日会った女性は、昔、隣のクラスにいた子だった。
年末年始の贈り物を買うために店に行って、品物を選び放送を頼んで十数分後、それを取りに行った。
すると、「やっぱり先生だ」という声を上げて、1人の店員が近寄ってきた。
他の店員さんがギフト包装をしているのを見たら、のし紙に私の名前が書いてあったから、もしやと思っていたら、そうだったというのだ。
名札を見て、苗字を確かめたら、すぐに下の名前を思い出した。
「Fさんだよね。」
「そうです。覚えていてもらってうれしいです。」
「いやあ、うれしいのはこっちだよ。声をかけてくれてありがとう。」
「私ね、もう孫もいるんですよ。」
「へえ~、そうかあ。すこしふっくらしていると思ったら、幸せ太りかい?」
「いえ、私バツイチなんです。でも20代の子どもが2人いて、上の子は結婚して子どもが生まれているから、私、おばあちゃんなんですよ。」
…こんなふうに、話が弾んだ。
バツイチと言いながら、孫がいると話す彼女に、今を堂々と生きている自信を感じた。
子どもの頃はエモーショナルな部分が多かった彼女だし、隣のクラスということもあって私に話しかけてきたことなどなかったはずだ。
それが、今はこうして積極的に話しかけてきたし、すっかりたくましく生きているのが分かってうれしかった。
それも伝えた。
「また来てくださいね。お待ちしています。」
別れ際にちゃんと店員らしいその一言を加え、しっかり仕事もしていた彼女だった。
こんなふうに、卒業した後、世に出てしっかり今を生きている姿に会えるのは、至上の喜びだ。
昨日、今日とそんな喜びを味わうことができた私であった。