ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

誕生日に改めて知る「生老病死」

2015-03-01 22:17:22 | 生き方
このブログの名前にあるように、五十路をどんどん駆け上っている。
また新たに歳をとった。
誕生日は、珍しく休日だった。
娘のこともあるし、家庭でゆっくり過ごしたいと思って、出るべき他からの会の誘いも断っていたのだった。
ところが、突然電話が入った。
15年ほど前に、3年間お世話になった方が亡くなったのだという。

その方は、地域の名士でもあり、行動力のある方だった。
だから、地域のためにと、市長や議員などへもよく陳情に行ったりしていた。
その成果があり、その地域には児童館の建設、学校の増築、通行量の多い国道の地下道の建設などが行われたのだった。
5年ほど前に会った時はお元気だったのだが、さすがに80代の後半ともなると、体調不良もあったらしい。
医者嫌いな方で、今回も医者にはいかないと言い張っていたらしいが、本当に悪かったのだろう、即入院となった。
残念ながら、入院5日後に帰らぬ人となった。
通夜に出席するため、高速を使っておよそ100kmの距離を車を走らせ、行って来た。

通夜の経は30分余りで終わりはしたのだが、その後の坊さんの法話が長かった。
やはり30分以上を要した。
ただ、その話は前にも聞いたことがあるような内容ではあったが、私の誕生日にふさわしい話であったと思っている。
話の中心は、「生老病死」についてであった。
仏教では、自分の思いどおりにならないことを、「苦」と言うのだという。
人生の一切が苦であるといい、この世は迷いの世であるという。
生まれてから死ぬまで、人は苦から離れられない。
「生」はおくとして、「老」いていき「病」になり「死」を迎える。
そのどれもが苦の連続であり、人として避けては通れない。
いつまでも若くありたいと思う人が多いが、老いずにいつまでも若かったり、病気にならなかったり死ななかったりするのは、人ではない。
化け物である。
楽であることを人は願うが、決して楽なことばかりが続いたりはしない。
生きていること自体が苦である。
人生は、苦の連続なのが当たり前なのである。
ざっとこんな話だったが、今の自分に合っている話であった。
心の中にスーッと入ってきた。

生老病死。
人はそれを避けられない。
誕生日に知るにふさわしい話であった。

余談:
通夜の後、夜9時、スーパーで弁当の売れ残りを買い、そのスーパーの一角にある電子レンジを使って温め、即いただいた。
自分の誕生日を祝うごちそうは、定価480円から100円引きの「魚介香る漁師の炊き込みごはん弁当」と同じく20円引きのペットボトルのお茶であった。

ありがたいお話の後は、割引でありがたい夕食であった………!?
コメント (2)
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