(なぜか画像が横に倒れる)
4度目となった胎内市ロード大会の参加。
この大会は、新潟県20Kロード大会、県マスターズロード大会と合わせて開かれている。
県陸連が行っている正式な大会。
ということがあって、他の地域のマラソン大会に比べ、完璧に地味。
お祭りの雰囲気が全くない。
来年以降は、県ロード大会とマスターズ大会はやめ、胎内市ロード大会1本にするそうだ。
去年からランネットを通じて公開をはじめ、参加者を募集し始めた。
だから、胎内市ロード大会には、2年前までは参加者が10名前後だったのだが、今年は、42名+女子5名のエントリーがあった。
この42名と、新潟県20Kロード大会の7名+女子1名、県マスターズロード大会の11名+女子3名が20kmを走る
コースは、胎内市陸上競技場から同市村松浜の折り返しになる。
コースは、私にとって故郷の道と言える部分がある。
だから、今回も走ってみたいと思えたのだ。
4回目のこのレース。
最近自信をつけてきた20kmという距離。
練習では、コースは違うが1時間47分台で走っている。
できるなら、1時間45分台くらいで走りたいし、初めて走った時の1時間43分台くらいにはいきたいなあ、と考えていた。
レース直前に行われた3kmや5kmの実施時は大雨であったが、20kmのスタート時には小雨になり、やみそうになっていた。
参加人数が増えたので、私のスタート地点は2列目。
スタートの号砲が鳴ると、みんなすごい速さで私を抜いていった。
がまん、我慢。
前半は、速過ぎない程度に行こう。調子が良いと感じたら、その流れに身を任せてみよう。
そう思ってはいたのだが、最初の2kmは、4分38秒と4分42秒。ちょっと速過ぎるか?
次の2kmは、4分51秒と5分01秒。安定しているが、少し速過ぎたとあとで反省せざるを得ない結果になるのであった。
4km過ぎに給水地点。この大会は、陸連公認ということもあって、水しか置いていない。
ここからも結構安定したタイムで走っていけた。
以降、キロ5分14秒、5分10秒、5分6秒、5分12秒、5分19秒。
途中私より2歳年下だが、今や町議となっている方もランナーを応援してくれていた。
その方に、今日来ているTシャツのロゴを見せ、笑っていただいた。
9kmから10kmの折り返し点手前には、天然ガスを採掘する大手会社JX日鉱日石開発の中条油業所やその社宅がある。
ここに友だちがいた私は、よく遊びに来たものだ。懐かしい。
子どもの頃の自分の思い出に会いに来る。
これが、「故郷路走りタイ」命名の理由ですね。
今年は、折返し点周辺に知っている人の姿はなかったけれども、10kmの近くに、今年も従姉が立って応援してくれていた。
行き、帰りと2度会うことができた。
帰路は、ハイタッチしながら、お礼を言いつつ健闘を誓った。
圧倒的に自分より速いランナーが多くて、自分の後ろに走る人は少ないことを確認しながら、復路を走って行った。
しかし、明らかにスピードは上がらない。
10km以降、キロ5分16秒、5分27秒、5分26秒、5分35秒、5分30秒と、次第に5分台の中盤でしか走れなくなった。
後ろから来た年輩のランナーや女性ランナーにも抜かれていく。
それでも、15kmは1時間18分50秒余りで通過。去年よりは速いことを確認した。
だが、残り5kmはさらにきつかった。
キロ5分33秒で16,17kmをそれぞれ走れたが、そこからの3kmは5分47秒、5分46秒かかり、一向にスピードは上がらない。
最後はスタジアムに入ってからも、きついだけで、ラスト1kmはおよそ6分かかってしまった。
1時間46分41秒でゴール。
昨年より1分は速かったが、1時間45分台には届かず。
やはり、前半少し速過ぎたと反省。
知人が、「前半突っ込むとだめだよ。ネガティブ・スプリットでいかなくちゃ。」と忠告してくれたけど、いくら前半抑えて行っても、後半苦しくなるから前半に少し稼ごう、というポジティブ・スプリットで走ってしまう私である。
その知人は、10kmの部に出場して、私にアンパンや飴を残していってくれた。
感謝。
それにしても、多少のアップダウンに苦しんでしまったようで、去年や一昨年に比べてもきつく感じるゴール後の体であった。
シャツも、汗でぐしゃぐしゃ。
でも、今年も、故郷路を走り切ることができた。
“故郷路走りタイ”。隊長兼隊員1名のみ。
まずは、4年間で、自身2番目によい記録で完走しました!
明けて今日、両太ももが筋肉痛…。
故郷の山は、そんな私をきっと笑っていることだろう。