ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

新潟シティマラソン、予想外の完走を果たす(4;最終)~完走できた理由を探る~

2016-10-10 17:28:44 | RUN
今回の新潟シティマラソンは、うまくは言えないが、楽しいRUNだった。
およそ完走できるとは思っていなかったのに、ゴールにたどり着いた。
走るというイメージとはおよそ違う走りになってしまったが、走り切れた。
なぜ予想外の完走が可能になったのか。
これをちょっぴり考察しておく。
まずは、経験である。
どれだけフルマラソンがつらいのか、どこでどのようにつらくなるのか、の今までの経験が、「こんなものなのだ」と自分を支えてくれた。
つらくなっても、こうなるものだと思うことができた。
給食・給水もそうで、確実にとるようにした。
落としたバナナを拾ってまで食べたけど…。

次に、1km6分30秒という自分に楽なペースを設定して押して行けたこと。
脚の不調が、脚への負担の少ない走りを選択させた。
9月に20kmを走って、その走りで行こうと決めていた。
仮に、30kmまで6分30秒ペースで行ければ、6.5×30=195(分)、つまり3時間15分。
制限時間の5時間まで、残りは1時間45分=105分。
残り12km余りを走るのに、105÷12=8.75(分)、つまり8分45秒。
8分台でも、ギリギリなんとかなりそうなことになる。
これだから、最終盤はキロ8分台にまで落ちたが、制限時間内にゴールまでいけたのだ。


そして、楽しもうと思っていたこと。
息子と話したように、「年に1度の楽しい遠足」だと考えたら、「楽しまなくては!」と思った。
本調子でなくとも、今までの自分のすべてをうまく出し切って走ろうと決めた。
だから、上り下りの走り方の技や「ジャミラ走り」などを試しながら走って行けたのだ。
苦しくとも、腰を落として腕を振って大股で歩くように走ると、7分台で走ることができた。
苦しい終盤も、高校生などの様々な応援に応え、ハイタッチしたりする余裕があった。
これも、「年に1度の楽しい遠足」だと思えたから。
自分が1年間で大会に出て走るのは、10kmが2回、ハーフマラソン等3回、フルマラソンがこの新潟シティマラソンの1回だけなのである。
苦しいのは苦しいが、年にたった1度の挑戦の機会として、楽しまなくてどうする。
だから、土砂降りの雨も、楽しいハプニングの1つとして受け止められた。

最後に言えば、息子から「オレの分まで頼む」と言われたこと。
2人とも途中で投げる、という訳にはいかなくなってしまった。
そうか、じゃあ、自分は自分のペースでさらに楽しまなくては、と思った。
息子とすれ違った時は、まだ20km以上の距離を残していたのだ。
「オレの分まで」は、ちょっと重い言葉であった。
だが、息子と話した「遠足の気分」を心の支えの言葉にして、ゆとりをもって様々なことに対応することができたことも事実である。

マラソンから1日明けて今日は、さすがに全身筋肉痛。
階段昇降がえらくつらい。
十分なウオーミングアップもできずに臨んで、フルマラソンを走り切ったのだから、仕方がないか。
ただ、完走できた気持ちよさは、続いている今日なのであった。
新潟シティマラソン、2年連続の制限時間内完走、バンザイ!\(^o^)/

(今年も記録証と共にNEGICCOのファイルホルダーをいただいた)

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新潟シティマラソン、予想外の完走を果たす(3)

2016-10-10 17:28:29 | RUN
最初にフルマラソンに挑戦した時は走れなくなっていた28km付近だが、5回目の今回は極力楽に走ることようにしてきたので、30kmから先も、なんだか行けそうな気がしてきた。
ただ、30km直前の1kmは上り坂もあり、タイムが悪くなった。
関屋分水の橋を渡り、いよいよここからが厳しくなる。
給食のあるポイントが、31.0km、34.3km、36.4kmと5km余りの間に3か所もある。
バナナをいただこうと皮をむいたら、手が滑って落としてしまった。
だが、3秒ルール発動。もったいないので、道に落ちたのを拾って食べた。

今回の給水、給食はしっかり行った。
給水では、スポーツドリンクも水も両方飲んだ。
スポーツドリンクだけでは、腹がおかしくなるので、水で薄めてやることが大切だ。
また、ポケットに、塩飴、タブレット、粉末アミノ酸などを用意して、ところどころでなめたり飲んだりした。
気温も高くなく、暑くなかったので、無駄に体力を消耗することもなかったのは、よかった。

細かなアップダウンが続く30km以降の海沿いのコース。
あまりよい風は吹かなくなった。
スピードが上がらなくなってしまった。
これは、去年も経験済み。
焦らずに、今までの貯金を少しずつ使うつもりで、動かなくなった足を手を振ることで歩を進めるようにした。

35km付近で、女性が応援の紙を持ちながら立っていた。
「ちち、がんばって」と書いてあった。
父親のことを、「お父さん」とか「パパ」ではなく、「ちち」と書くその言葉に、急に泣けた。
なぜなら、うちの娘は、私のことを、「ちち」と呼ぶからだ。
同じだな、と思ったら、急に娘のことが思い出され、ここ数年の大変だったことが思い出され、涙が出てしまった。
うん、がんばるからな、と改めて心に誓った。

30km以降は、
㉛6分50秒、㉜7分18秒、㉝7分00秒、㉞7分17秒、㉟7分44秒、㊱7分28秒、㊲7分59秒。
37kmの関門までは、1km7分台でなんとか進むことができた。

残り5kmのここから、去年は地獄を見た。
今年は、何としても立ち止まることはないようにしたい。
ラストなので奮起した人々が私を次々に抜いていったが、立ち止まらないというその一心で、腕を振り続けた。
残り4kmとなり、信濃川沿いのコースに出ても、もう余力がなかった。
最後くらいは本来の走りを、と思うのだが、すぐに足が動かなくなる。
悔しいが、残り3kmを8分台で行っても、4時間50分過ぎくらいに着けそうだと思い、とにかく歩かずに進んだ。
㊳7分26秒、㊴8分07秒、㊵8分10秒、㊶7分27秒、㊷8分00秒。
いよいよ1km8分台も普通になった。

道の曲がり角の近くに、高橋尚子さんが選手を迎えてくれていた。


その曲がり角を曲がった時、私の後ろを走っていた若い女性が、急に泣き出した。
嗚咽の声が漏れてくる。
それでもなお彼女は走っている。
きっと、これまでの走りが予想以上に厳しかったのだろう。
ようやくゴールにたどり着けることに安堵の思いが高ぶったのではないだろうか。

今年は、陸上競技場内で応援する日本文理高校のチアガールの皆さんとも、ハイタッチする余裕があった。
去年はもう泣いてしまっていたから、顔を上げることなどできなかった。

待望のゴール!

今年は、まさかこのゴールにたどり着けるとは思っていなかった。
しかし、ここまでたどり着けた。

タイムは、去年より1分程度しか悪くなっていない4時間52分台(グロスタイム)。
ネットタイムなら4時間49分台。
しかし、今年の方が走り続けられたという自負がある。
去年は、何度も歩いてのゴールだった。
今年は、体調不良の続く中、どんなに遅くとも走り続けていたのだから、価値のある完走だと思った。

体育館の床にへたり込んで、汗のかいた体をウエットペーパーで拭いたり、家にメールを送ったりしながら、息子が戻って来るのを待った。
バスに乗って戻ってきた息子であったが、20km地点以後がんばって、37km関門まではたどり着いたのだそうだ。
34km付近の関門では、数秒前に通過したのだとか。
ただ、37km関門では、もう足が限界だったので、関門突破の無理はしなかったのだとのこと。
すれ違った時の様子から、てっきり25km関門でバスに収容されたのかと思ったら、息子は息子で健闘していたのであった。

今年も、サトウ食品ブースの前のNEGICCOのパネルの前で記念写真を撮った。

レース前のハイタッチのご利益で完走できましたよー、ありがとう。

帰路についた。
駅の階段の下りが、もろにきつかったが、心地よくもあった。
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新潟シティマラソン、予想外の完走を果たす(2)

2016-10-10 16:53:12 | RUN
さて、いよいよ海岸沿いの道に出た。
ここまでの12kmは、①6分41秒、②6分22秒、③6分25秒、④6分40秒、⑤6分34秒、⑥6分32秒、⑦6分39秒、⑧6分23秒、⑨6分36秒、⑩6分28秒、⑪6分31秒、⑫6分35秒、とこんな感じ。
6分30秒を基準とすれば、平均して少し上回っているだけ。
時々脚が気になる時があるが、今の走り方なら負担は少ない。
まだいける。順調である。

ここから海岸の国道402号線を20kmポイントまでまっすぐな道である。
正確に言うと、そこを折り返して28km辺りまで、ずっと海岸沿いの単調な道である。
途中から、大粒の雨が落ちてきて、すごい雨降りとなった。
「高橋尚子さーん、雨止んでないよー。」と言う人たちもいた。
すごい土砂降りの雨の中を走るはめとなってしまった。
でも、高橋尚子さんは、雨についてこんなことも言っていた。
「雨が降ると、息がしやすいから、私は梅雨の時期が好き。」
ま、びしょびしょになったが、さほど寒くなく先へ進むのみであった。

やがて雨も上がり、ほどなく、折り返してきた上位ランナーたちが次々に過ぎて行った。
比較的上位に、朝電車で一緒だったSRさんがいた。
さすが10kmの実力派市民ランナーの彼は、フルマラソン初挑戦でも積極的だ。
その後は、ぞろぞろと大勢のランナーが折り返してくるのとすれ違った。
この402号のコースは、まっすぐとはいえ、細かなアップダウンがある。
私は、それに合わせて走り方を変えながら走った。
上りは、目線を下にして、頭を前方に倒しながら進む。
下りは、真下に足を下ろすようにして、心持ち快く足を回転させ進む。
19km辺りで、知り合いの人と次々とすれ違って会う。
私はまだまだ折り返しまで距離があると考えると、もうこの方々とは3~4km離されてしまったということですな。
でも、焦らない、焦らない。
今日の目標は、極力疲れない走りで先に行くことなのだから。
⑬6分34秒、⑭6分33秒、⑮6分33秒、⑯6分29秒、⑰6分23秒、⑱6分26秒、⑲6分31秒、⑳6分37秒、と、折り返しまでは、まず順調に6分30秒台で押して行った。

なんとか新川大橋を渡り、折り返し点を過ぎ、やがて中間点も過ぎた。
驚いたのはその時であった。
私より先に行っていると思っていた息子が、折り返し点方向へ向かっていたからである。
「足がだめだ。オレの分も頼む。」と、彼はそう私に告げて、手をタッチしてすれ違った。
彼は、数週間前に足を痛めていた。
医者に行ったら、腱鞘炎だと言われたとのこと。
今回の出場は決めていたものの、不安なのは私同様だったのである。
ただ、息子は、「走る以上、不安なことは何も考えずにいる。遠足に行くみたいに楽しみに。」と言っていた。
その気持ちはいいなあ、と内心感心していたのであった。
その息子から「あとは頼む」みたいに言われた以上、がんばらないと。
そうは思うが、こっちだってキツイのだ。
現にいっぱいいっぱいの感である。

だが、折り返してからは、風がやや追い風になって楽になった。
追い風の時、私は、新たな楽な走法を見つけた。
頭を前に傾け前傾姿勢を保ったまま、腕を後ろの方に伸ばしたまま振る。
ヒントは、スキージャンプのむささび葛西。
走り方のスタイルを想像して、名付けて「ジャミラ走り」(懐かしきウルトラマン)。
このジャミラ走りで、時々楽をした。

目の前に、同じくらいの年代で、同じくらいの走力のS・Iさんがずっと見えていた。
だけど28km付近まで追いつけずにいた。
やっとのことで抜いて、挨拶の言葉をかけたが、返事が返ってこなかった。
きつくなっていたのかな、と気にせずに先に行くことにした。

この10kmは、㉑6分34秒、㉒6分18秒、㉓6分24秒、㉔6分20秒、㉕6分27秒、㉖6分35秒、㉗6分26秒、㉘6分32秒、㉙6分40秒、㉚6分57秒。
30kmまでの10kmは追い風を利して7分を切って、6分30秒に近いタイムで走れていた。
苦しい走りながら、このことは自信となって働いていた。

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