亡き両親の法事。
亡父の33回忌に合わせ、亡母の13回忌も行うことにした。
今回は、ちょっと急だったが、菩提寺の都合を聞き、今日となった。
父の祥月命日は来月だが、命日としては、今日の日付がぴったりひと月前となる。
急だったこともあり、わが家の4人だけで小ぢんまりと行うことにした。
菩提寺の和尚さんの指定した9時半に遅れないように準備した。
まだまだ行動のスローな娘と、休日は8時半過ぎまで起きてこない息子は、準備に時間を要するのである。
それでも、妻の指定した8時40分までに全員が準備ができ、車に乗って9時過ぎに寺に着くことができた。
菩提寺の和尚さんも高齢となっており、背中も丸くなったし、声もかすれていた。
が、語り口調は元気であった。
9時30分過ぎから、経をよむ準備が始まり、約50分後に読経は終わった。
菩提寺の和尚さんは、結構インテリであり、よろよろと立ち上がりながらも、「何か質問はないですか?」と聞いた。
ここで、「ありません。」と言うと、この和尚さんはむしろ機嫌を損ねることになる。
そこで、私は、「これで33回忌という訳ですが、33回忌の意味を教えてほしい。」と尋ねた。
昔は、33回忌で終わりと言っていたが、それは、人の命の長さを考えると、33年もすると、世代の交代があった。そのくらい生きていれば今度は自分が死んでしまうから、亡くなった人の法要もできなくなってしまう。それで、33回忌でひと区切りとしたのだろう。
だが、そこで終わりにしてよい、という訳ではもちろんない。故人のことはずっと悼み続けなければいけないものだ。
…というような話をいただいた。
他にも、線香を3本立てる理由などについても教えていただいた。
だんだんノッてきた和尚さんは、「しゃべりが止まらなくなってきた。先があまりないと思うと、今のうちにいっぱいしゃべっておきたくてな。」と、いかにも話すのが楽しくてしようがない、という様子を見せた。
このお寺は、学習塾もやっていた。
私や私の弟は、中学時代、英語を習っていた。
和尚さんは、「ヒカルはどうしてる?」と聞いてきた。
私が怪訝そうにしていると、「ヒカルじゃなかったっけ?」と言ったので、意味が分かった。
弟の名前を勘違いしていたのだ。
そこで、「名前は、○○ですが、今、千葉で高校の理科の先生をしています。校長や教頭ではなく、普通の先生としてがんばっています。」と言うと、
「そうか。アイツはその方がいい。」と言って、うなずいていた。
お寺を辞去して(卒塔婆を忘れそうになってあわてて取りに行ってしまったが)、墓参りに行った。
墓場は、彼岸から1か月近くがたち、伸びた草やクモの巣が行く手をふさいでいた。
青空のとてもいい天気で、陽射しが暖かかった。
千葉の弟の分、母関係の親戚の分、いろいろな人のことを考えながら、線香を立てた。
33回忌。
もう32年になるのだなあと思う。
私がまだ20代だった時に亡くなった父だった。
その1年後に生まれた息子も、もうすぐ31歳になる。
確実にひと世代分の年月が経過している。
還暦を間近にしてみると、菩提寺の和尚が言ったように、「先があまりない」という言葉にも、実感として感じるものがある。
ならば、なおのこと、充実感を持って生きていたいな、と改めて思うのであった。