ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「愛しき日々」(堀内孝雄)を聴きながら…

2022-01-25 21:41:19 | うた


NHKの今夜の「うたコン」の最初を飾ったのは、堀内孝雄。
歌は、「愛しき日々」だった。
この歌は、小椋佳の作詞で、作曲は堀内氏本人であった。
学生時代にブレークした「アリス」だったが、私が社会人となった翌年に活動停止となった。
堀内氏はそのメンバーだったわけだが、アリス活動停止以後、ソロで歌手活動を展開した。
この「愛しき日々」がヒットして以降、それを自信にして堀内氏は演歌歌手として活躍したのだった。

この歌は、1986年の年末に放送された時代劇「白虎隊」の主題歌だった。
「白虎隊」のテレビドラマ自体は全く覚えていないが、歌われた「愛しき日々」は、とてもよかったのであった。
この歌を聴くたびに、飯盛山や鶴ヶ城のことが思い出されるのである。

白虎隊といえば、戊辰戦争で悲劇を生んだ、会津藩の少年戦士たちを集めた部隊である。
戦いに敗れて生き残ってなんとか飯盛山まで来た少年たちが、戦火に包まれた鶴ヶ城を見て、城が燃えているから、帰る場所がなくなったと判断して自刃を選んだ、という悲劇が語り継がれている。

その飯盛山や鶴ヶ城があるのは、会津若松市。
歴史上でも明治維新の戦いが行われた地であり、近くには会津磐梯山があってその周辺には檜原湖や五色沼など風光明媚な場所もあるので、会津若松は、新潟県の小学生の修学旅行にもってこいの土地であった。
今から50年以上前に、小学6年の私が行った1泊2日の修学旅行の行先も、この会津若松だったのだ。
当然、白虎隊について、初めて知る機会となったのであった。

そして、自分が働くようになって、いろいろなところに勤務したが、あの当時は小学校高学年を担任すると、子どもたちの修学旅行の引率で2年に1度は会津若松に行くようになっていた。
今は、修学旅行先として県内の佐渡島に行くことが多くなったけれども。

その修学旅行の引率で何度か会津若松に行ったが、2度目の引率をした年に流行っていたのが、「愛しき日々」であった。
その年には、会津若松のあちこちで何度か「愛しき日々」を聴いたのであった。

そんなことがあったものだから、その代の子どもたちの卒業アルバムのタイトルは、よくあるような「想い出」とか「希望」とか「飛翔」などではなく、隣のクラスの担任と相談して、「愛しき日々」としたのであった。

さて、この歌の内容で好きだった部分は、

気まじめ過ぎた まっすぐな愛
不器用者と 笑いますか




愛しき日々の はかなさは
消え残る夢 青春の影


という部分だった。
自分が不器用だという自覚がある私に、合っていると思った。
そして、過ぎてしまえば、様々なことが単に気まずいような、ほろ苦いだけのような思い出だけが残る、若き日の自分。
そんな自分こそ「愛しい」のかもしれない…。

実は、3日くらい前に、この歌を聴きたくなって、昔買ったシングルレコードをかけて録音し、デジタル変換の作業をしたばかりだった。
それが、何日もしないうちにテレビで堀内氏本人の歌唱する姿を久々に見たのだから、不思議な気分になりながら聴いていたのであった。
コメント (2)
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