ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

詩「すきになると」(谷川俊太郎)

2022-01-09 22:12:40 | 読む
谷川俊太郎さんの詩が好きだ。
今回出合ったのは、平仮名ばかりの詩、「すきになると」。


すきになると

すきになるのがぼくはすき
だれかがぼくをきらいでも
ぼくはだれかをすきでいたい
すきなきもちがつよければ
きらわれたってすきでいられる

なにかをすきになるのもぼくはすき
すきになるともっとそれをしりたくなる
しればしるほどおもしろくなる
それがうつくしいとおもえてくる
それがそこにあるのがふしぎなきもち

だれかをなにかをすきになると
こころとからだがあったかくなる
かなしいこともわすれてしまう
だれともけんかをしたくなくなる
すきなきもちがぼくはすき



最初に、引き付けられるのは、第1連。
その終わりの2行。

すきなきもちがつよければ
きらわれたってすきでいられる


この気持ちは、別に恋している相手だけでなく、自分の周囲にいる全ての人たちに対してもちたい気持ちだ。
仮に、自分と合わないと思う人が相手でも、その人の中に好きになれる部分があると、第2連のように、「しればしるほどおもしろくなる」。

「すきなきもち」をもてるときは、心にゆとりも生まれる。
それをシンプルに表してるのが、第3連。

だれかをなにかをすきになると
こころとからだがあったかくなる
かなしいこともわすれてしまう
だれともけんかをしたくなくなる
すきなきもちがぼくはすき


誰かや何かを好きになると、確かに、いやなことは忘れる。
好きな人や好きなことに面していると、つらいことや悲しいことは考えなくなる。

反対に、いやだ、嫌いだと思っていると、よいところなんて見えてこない。
だから、やっぱり「すきなきもち」をもっていたいし、「すきなきもちがすき」でありたいなあ。

平仮名ばかりのこの詩に出合って、「こころとからだがあったかくなった」ような気がしたよ。
コメント
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