誕生日を迎え、また娘が1つ齢を重ねた。
病になってから、3度目の誕生日である。
まだ認識が不十分に感じられるので、誤った情報を流してしまうといけないという理由で、日頃はスマホの使用も制限している。
ただ、この日は、誕生日という特別な日なので、娘のスマホのメールを開くと、いくつかの誕生日おめでとうメールが届いていた。
埼玉の伯父さんからも、メッセージとともにお祝いの花が届けられた。
「先月に、オジさんが新潟に行ったのをおぼえていますか?」と、メッセージの中には書いてあったのだが、娘はそのことを、残念だがすっかり忘れていた。
伯父さんが埼玉に帰ってから、少しの間は覚えていたのだったけどね。
もうひと月もたってしまうと、やはり全く覚えていないのだ。
それは、少々残念である。
この誕生日の夜、娘にとって、とてもうれしい訪問者があった。
3年前の職場で、最も親しくさせていたMさんが、誕生日のプレゼントを持って、訪ねて来てくれたのである。
Mさんは、「道に迷って、20分間ほどぐるぐる近所を回っていました。プレゼントは、袋は大きいけど、大したものは入っていません。」と言って、娘を笑わせてくれた。
娘がMさんと会うのは、本当に久しぶりであった。半年以上会っていなかったはずである。
しかし、かつて同じ職場にいて、一緒によく笑い合っていたのだった。
Mさんの方が人生経験は長いのだが、娘はタメ口をきく。
それは、以前からなのであったが、Mさんとのやりとりを聞いていて、「あれ?ずいぶんいい感じだなあ。」と、娘のことを思った。
以前は、Mさんが話していても、なんとなく娘の耳を話が通過していく感じだった。
だから、私や妻が、娘の代わりにMさんと話を進めるのが普通だった。
それが、今回は、結構話について行けるのである。
ただ相づちを打ったりするだけでなく、ちゃんと言葉で応えようとしていた。
「Aさんって、知ってる?」と、職場で一緒だった人のことを聞かれて、
「ああ、あの○○の席の隣にいた人ね。」
と、的確に答えてみたり、別の人についても、
「待って。聞いたことがある。」
と言って、一生懸命思い出そうとしていたり…。
それらの様子が、退院してから今まで、かなり好ましく思えた。
Mさんも、「前は、思い出せなかったのに、今は思い出せるんだね。」と言って、感心してくれた。
娘が毎日会う人は、少ない。
家族ばかりである。
そんな中で、家族と違う人に会うのは、よい刺激になるものだなあ、と改めて思った。
こうして、以前のことを思い出そうとするのは、よい記憶のトレーニングになるように思う。
以前に比べ、だいぶ反応が良くなっていることを、本当に喜んでくれていた。
「入院している時なんか、私が持って行ってあげたばかりの物を、『いつのまにかこんなものが増えている。誰が持って来たんだろう?』なんて言っちゃうので、驚いたことがありましたよ。それからしたら、すごくよくなりましたね。」
Mさんは、1時間余り滞在し、帰って行った。
私たちは、毎日娘のことを見ているので、どこがどんなふうによくなっているのか、よくわからない時がある。
でも、それを見つけてくれたりするのが、このような訪問者である。
冒頭に述べた伯父さんの件のように、ひと月も前のことは、相変わらず記憶に残らず、忘れてしまっている。
だが、2日たってみると、何を話したかは覚えていないにしても、Mさんが来てくれたことは、とりあえず記憶に残っているようだ。
遅々とした歩みではあるかもしれないが、回復への道を着実に歩んでいると信じられる思いになった、娘の誕生日であった。