代々木競技場から明治神宮へ行きました。
五輪橋
この橋を、例えば「マラソン」「競歩」などの選手が走ったのかもしれないなあ~
とか思いながら歩きました。
五輪橋の下には山手線の電車が走ってました。
沢山の人が歩いておられましたが、電車や五輪橋を写してるのは私くらいなもの(^_^;)
東京都心の路線図、すごいですね。
もうグチャグチャにもつれた毛糸見たいです。
…え?私の人間関係だろうって?
いえいえ、流し素麺ですよ、私(*^^)v
明治神宮はすぐでした。
大きくてとてもきれいな鳥居でした。
明治神宮は、以前から森が見たかったんです。
NHKで、神宮の森の出来るまでをスペシャル番組にして放送してました。
明治神宮がある「代々木」
ここは昔からそう呼ばれていたそうです。
江戸時代は近江彦根藩井伊家の下屋敷であったものが、明治維新後
政府に献上され、南豊島御料地となっていました。
明治神宮が出来る頃、代々木は荒れ果てていました。
大正初期、そこを都会の中に育つ「永遠の森」にしようと、学者さん達が考えました。
到達した理想の森は
「自然林」
100年先を見据えた長期計画でした。
大正時代の東京はすでに公害が出始めて都内の古木は枯れ出していて、
学者さんは100年先には照葉樹しか残らないと結論しました。
公害に加え代々木は関東ローム層で、水気を好む針葉樹は育たないのです。
そのために、幾つかの段階に分けて計画を練り上げました。
第一段階は、明治神宮の周りが枯野ではいけないので、
元々そこに残っていた松などを生かしながら
成長の早い針葉樹(杉、モミ、ヒノキ等)を植え、見た目の体裁を整える。
言わば、仮歯みたいなもんですか、
その間に将来森の主役となるであろう樫、椎、楠の常緑広葉樹を植えました。
第二段階 : 成長の早い針葉樹が元々あった松を追い抜き、松は枯れて減っていきます。
第三段階 : 樫や椎などの常緑広葉樹が増え、松や針葉樹は僅かとなる。
第四段階 : 広葉樹がどんどん成長して主木となり大きく育ち、その二代目も育って行く。
春には芽吹き、夏には青葉が茂り、秋は紅葉、
そして冬、葉を落としてじっと春を待つ。
大きく育った木々に、昆虫や鳥が来て、小動物が住んで豊かな森となる。
そんな神宮の森が見たくて
参道
代々この地にモミの巨木があったので、「代々木」という地名になったというその巨木
今の木は数代目の木だそうです。
本殿
近くからの撮影は禁止でした。
この日、結婚式がある様で、神殿へ向かうところを見ることが出来ました。
なんと、お嫁さんは金髪の外人さんで、観光の外人さんも見とれておられました。
それから、参道に珍しいものを見ました。
ワインの樽が献上されています。
明治天皇がワインをたしなまれるのを聞いたブルゴーニュの醸造元各社より
献上されるそうです。
それにもちろん、
日本酒の酒樽もありましたよ♪
どちらもいいですね(^^♪
大正時代に100年先を見据えて、人工的に作られた「神宮の森」は
今は「自然林」の姿を成し、ほぼ自力で育っているそうです。
そして、今、森の有り方が見直されているとか。
適材適所、森の木々も生き物もあるべき所にあってこそ ということなのですね。
で、人間も。
(追記 : 森作りの計画が持ち上がった時、当時の総理大臣大隈重信は、
伊勢神宮や日光東照宮のように杉木立の荘厳な森を作るようにと
言ったのですが、学者さん達は断固、聞き入れず、
「自然の森」への道を押し通したということです。)