kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

広島

2016-11-15 18:16:06 | 旅行

 

10月末、コンサートで広島へ行って、少し観光をすることが出来ました。

 

思い出は薄らいできていますが、シナプスを必死で繫いでみます。

 

10月30日の朝、家を出て広島へ。

 

前日、日本シリーズ戦で、広島は日本ハムに敗れ、優勝が決まっていました。

 

薄情ですが、私としてはこれで多分新幹線は混雑しない!

 

と踏んで、自由席のまま乗りました。

 

ありがたいですね、一人座るのに迷うくらいの空席。

 

お昼には駅に着きました。

 

広島駅

 

どうも、最近は駅といい、神社仏閣といい、ただ今改修中の文字が目立ちます。

 

2020東京オリンピック効果でしょうか?

 

広島駅は若い人も多く、活気があります。

 

いつもそうなのかもしれませんし、日本シリーズのせいかもしれません。

 

さて、 

 

コンサート会場と平和記念公園は歩いて15分位の所にありますので、

その日は、平和記念公園に行きました。

 

以前見ていない広島平和記念資料館に入りました。

 

広島平和記念資料館

 

入り口には修学旅行生らしき団体さんが列をなしています。

 

意外や意外、その横をスイーッと進んでいいと係りの方に勧められ、ラッキー♪

 

でも中はいっぱいの人で、結局芋の子を洗うような状態の中、芋の婆です。

 

学生さんは、メモを取っています。

 

撮影がOKでしたので、少し写してきました。

 

 

爆心地から600m、中学一年生の滋君が、このお弁当を抱えたまま被爆し亡くなりました。

弁当の中身は炭化して真っ黒になっていますが、入っていたのは

●米、麦、大豆をまぜて炊いた混ぜごはん

●ジャガイモと千切りダイコンの油いため

食糧難の中、畑で作った野菜を初めて食べることが出来ると

喜んで出かけたのに、とお母さんが語っていたそうです。

 

 

爆心地から1500m

3歳11か月の伸一君は自宅前で被爆し『水…水…』と言いながら亡くなりました。

その時乗っていた三輪車です。

 

父親は、その時遊んでいた女の子と伸一君を三輪車と共に庭に埋葬しました。

その後、被爆40年目におに移す決心をして堀り起こし、葬式をしました。

 

 

 広島に投下された原子爆弾 3m、約4t (実寸模型)

 

この爆弾には50kgのウランが詰められていましたが、

そのうち核分裂したのは1kgだけなのです。

 

爆発により発生したエネルギーの15%が放射線でした。

放射線は原子爆弾の核分裂と同時に瞬間的に放出されました。

 

これが 「初期放射線」

 

爆発後、当分の間地上には大量の 「残留放射線」 がありました。

 

爆弾投下の8月6日、広島に居なくて放射線汚染を免れたのに、

後日、広島に入ったために放射能に侵されてしまった人も多かったのです。

  

爆弾の中のウランが100%爆発していたなら、どれほど被害は拡大していただろうか…

 

 

 

オバマ大統領が広島を訪れたのは、記憶に新しいです。

 

この原爆資料館にも沢山の外国の方が訪れていましたし、熱心に見ておられました。

 

 

 元安川

 

暑くて暑くて、水を求め、川に飛び込んだ人のほとんどが亡くなっていった…これがその川

 

 

 原爆ドーム

 

全国から届いた千羽鶴がいっぱいありました。

 

  平和の灯

 

昭和39年8月1日

核兵器が地球上から完全に姿を消す日まで燃やし続けよう

と、12宗派の火、溶鉱炉など工場から届いた産業の火を

原爆投下の日に生まれた7人の女性により点火されました。

 

 

 

原爆死没者慰霊碑

 

 

原爆の子の像

 

 

 

平和の像 若葉

 

子鹿と少女の像です。 台座には


「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」


と 湯川秀樹氏 の銘文が彫られています。

(まがつび、火災や凶事をおこす神の事)



広島平和記念資料館 

 

 

 

カワウ?

 

 

 

 

穏やかな一日でした。

 

 

コメント