岩国錦帯橋です。
広島観光2日目
当初予定していたのは、安芸の宮島、弥山(みせん) でした。
ところが11月1日、あのタイミングでの広島観光。
安芸の宮島はきっと、鯉鯉鯉…と思いました。
30日のお昼なんぞは、広島名物お好み焼きを食べようと、
駅のお好み焼き屋さんが数軒集まっている所へ行ったところ、
どの店もこの店も、長蛇の列で断念していたのです。
翌日も観光客が多いだろうな~、自分もそのひとりで(^_^;)
広島と言えば、安芸の宮島は外さない…
宮島口に行くJRに乗り合わせた人達、何となく宮島観光の気配を、醸し出しています。
やっぱり私の乗った車両に座ってた人も立ってた人も宮島口で降りました。
直前で、行き先を変更しました。
車両には、私とあと5人位しか残っていません。
想像以上に見事に宮島口で降りてしまわれました。
弥山に未練はあったけど…
そうだ、錦帯橋に行こう。
ということで。
広島駅から小一時間乗ったJRは岩国駅終点でした。
宮島口までの切符でしたので
岩国駅で、のりこし精算をして、観光案内所で訪ねて、
錦帯橋行きのバス往復、錦帯橋渡賃、ロープウエイ往復、岩国城入場、
これだけできるチケットを買ってバスに乗りました。
ここで、大失敗発覚!
カメラをチェックしてみたら、電源が入りません。
あれま、電池入れ忘れ…
乾電池ではないので、その辺では…、ヨドバシカメラも見当たらないし
仕方なく、スマホ頼みです。
ま、スマホ自身はいい仕事してくれますけど
ハサミもスマホも使い様…(ーー;)
使えそうにないけれど、仕方がない。
バスを降りて道路を渡ると錦川に架かる 「錦帯橋」
* 延宝元年(1673) 吉川広嘉(きっかわひろよし)により架けられた。
(歴史があるんですね~)
* 関ヶ原の合戦の後、吉川家が岩国を守ることになった。
(毛利氏の家来としてですが、
色々事情があったみたい)
* 戦後間もないので、藩は「防御」を重要視していた。
(また戦になるかと思いますよね)
* 城は海抜200mの 「横山」 の山頂に、麓の 「錦川」 を天然の外堀にする。
(自然の地形を利用した要塞は、
あちこちにあったのですね)
このことで、山側と川向こうに別れる城下町を結ぶ橋が必要。
* 吉川広嘉は明から帰化した僧の独立(どくりゅう)の見せた
「西湖遊覧志」に描かれた、いくつかの小島を結ぶ橋を見て心動いた。
* 延宝元年(1673)10月 五連アーチの橋が完成
ただ、錦帯橋という名は付いていなかった。
* この橋は翌年、降水で流されてしまったが、その年のうちに再建
(家来は近江の穴太衆から石垣の技術を学んでいる。
穴太衆積みの技術は有名だったんですね、ビックリ)
* 創建の翌年、再建されて以来276年間補修などを続けながら不落を誇る。
* しかし昭和25年、ギジア台風により流失。
* 昭和28年、市民の熱意により再建される。
* 平成16年、架け替え工事完成、今に至る。
という歴史をもっているとのことです。
川幅は広いですが、今見るとさほど水害など起こすようには見えないのですが、
かなり増水することがあったのですね。
横山の山頂の岩国城が錦帯橋から見えます。
アーチを5つ越え、横山地区に入り、ロープウエイを目指しました。
ロープウエイから錦帯橋全体が見えました。