kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕二十三

2016-11-27 17:54:46 | 真田丸

 

豊臣時代(1583~1615)の大坂城

 

 

↓こちらは、徳川時代の大坂城

 

 

並べますと、豊臣の大坂城の上に盛り土をし、徳川の大坂城を築いています。

 

 

 

最初の絵図の丸印のついている石垣が、昭和時代に発掘作業により見つかりました。

 

今は見学できませんが、先日ブラタモリで撮影されたのを見ました。

 

いずれ公開されるようで、楽しみです。 ハヤクシテクレナイト…

 

「真田丸」

 

砲弾が茶々局の座所目がけて打ち放たれたのが和睦に動いたきっかけとか。

 

大坂城の堀を埋められ、外にある真田丸は壊される。

 

家康にまんまと騙され和議以外の堀まで埋められてしまい…

 

家康はわずか4か月ほどで堀を埋め尽くし、再び征伐すると宣言し

 

夏の陣が始まります。

 

 

 

現在の三光神社に「真田の抜け穴」が残っていますが、

大坂城へと続いていると伝わります。

 

このあと、抜け穴を抜けるシーンはあるのだろうか?


 

 

 

 

夏の陣の結末は、明らかであり覆しようもありませんが、

その過程で、どのようなことを三谷幸喜さんは盛り込まれるのでしょうか?

 

今年の大坂城

 

 

大坂城から南を見ると、通天閣、あべのハルカスが見えます。

 

通天閣の辺りが天王寺で「茶臼山」が近くにあります。

 

冬の陣では家康が陣を敷き、夏の陣では幸村がここまで来ます。

 

更にこの近くには、幸村最期を迎えた「安居神社」もあり、

 

次第に悲しくなってきますが、「真田丸」さいごまでしっかりみ見届けないと。

 

 

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