芭蕉さんの句碑を拝ませていただき、さらに俳句の材料を求め…
ここは、「濠川・ほりかわ」
豊臣秀吉が築いた伏見桃山城の外濠だった所です。
三十石船や十石船が伏見港から大坂を繫ぎ物資が運ばれました。
また、角倉了以が造った高瀬川には高瀬舟が行き交い、京都から伏見へ水運が伸びました。
溯って平安時代、
伏見は貴族の別荘地でした。
中世、武家の台頭しようとする動乱の時、
保元の乱、承久の乱、を経て後鳥羽院を最後に院政が幕を閉じます。
安土桃山時代、
豊臣秀吉はその晩年に伏見城を築城しました。
伏見は関西の中継地にあたり,さらに交通の要衝でした。
築城に先立ち、建築資材を運ぶため伏見港を開きます。
淀城や聚楽第を破棄して伏見は一大拠点となりました。
伏見は 豊臣秀吉により城下町として発展し、
江戸時代へと
徳川幕府が寛永元年(1624年)に伏見奉行所を設置
寺田屋にいた坂本龍馬を襲ったのはこの奉行所の手勢だとか。
鳥羽伏見の戦い
伏見奉行所を拠点に、旧幕府軍
御香宮神社には、新政府軍
両軍による、伏見口の戦いがありました。
まさにここが激戦地だったのです。
奉行所は炎上して旧幕府軍は逃げています。
そんな歴史なんかなかったように、のどかな濠川でした
思いも寄らぬ、桜の満開に句会仲間は俳句のことも忘れ、(^_^;)
花を満喫です
十石船が行きます。
定員は10人ほど、ひとり一石…?
複雑な「伏見であい橋」
なんて、恋とか愛とか想像しますが、残念です。
お出会いになるのは、濠川と宇治川だとか。
でも、
天ケ瀬ダムの放流計画のせいで、宇治川の川の底が下げられて
流れが逆になってしまいました。
それで、以前「合流点」だったものが、今は「分岐点」だそうです。
それなら、「別れ橋」…
それは寂しいですよね。
であい橋のままでよかった♪
ここで、メンバーがもうひとり合流しました。
正に、であい橋
角倉了以水利紀功碑
慶長十六年(1611)、京都中心部の二条より鴨川の水を引き
伏見に達する高瀬川を造り,京都伏見間の水運を開通させた。
この碑は高瀬川を開いた了以の功績を顕彰するために運漕業者有志が建立。
濠川の両岸に雪柳が、満開です♪ 山吹も♪
先程、ここと同じ雰囲気の場所がありましたね。(松本酒造の辺り)
であい橋を離れ、川沿いに月桂冠や黄桜の酒蔵のある方へ。
頭、すれすれ
龍馬とお龍、愛の旅路の像
日本で初めて新婚旅行に行ったおふたりですからね。
この先、寺田屋も行きました。
刀痕はいづこ寺田屋寒柱 野風呂(のぶろ)
意味深…
鈴鹿野風呂は明治20年京都生まれの俳人だそうです。
「金魚」という名前の椿がそばに植えられていました。
大ぶりで下を向いていて、花びらが何となく金魚に見えるような…
午前中の予定を、クリア出来ました。
黄桜カッパカントリーでランチタイムです
ひとやすみ致します