kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

伏見散策

2017-04-25 19:48:11 | 京都

 

 

先日、句材を探して伏見の町を散策の時、

最後に訪れたのは、「月桂冠大倉記念館」 でした。

 

祈念館中庭

 

 

 

伏見城の外堀だった 「濠川・ほりかわ」

のほとりで、

寛永14年(1637) 初代、大倉治右衛門が、「笠置屋」 の名前で

酒造業を始めたのが、今の、「月桂冠株式会社」 始まりです。 

お酒の銘柄は、「玉の泉」から始まりました。

 

 

伏見は、秀吉の築いた伏見城の城下町として栄え、

水運が整備され港町として、また、参勤交代の宿場町として栄えていました。

 

 

 

もうすぐ400年になるんですね~

 

その間には 

慶応4年(1868) 鳥羽伏見の戦いがありましたが、

運よく、大倉家本宅や酒蔵は被災をまぬがれました。

 

近年の発掘で、その時の砲弾や 「笠置屋」の名の入った大徳利が出ています。

 

 

鳥羽伏見の戦いでの砲弾

大きいのが薩摩藩の軍(新政府軍)のもの

小さいのが旧幕府軍のもの

なんだか、これで勝敗も分かるような…

 

京都周辺の兵の数は新政府軍が5、000名で、旧幕府軍が15、000名、アレッ?

 

旧幕府軍は、指揮官が不在、狭い道を縦隊突破、

などで優勢なはずの兵力を生かせ切れてなかったんですね~

そこへ、このデッカイ砲弾ですから…

 

この後、上野戦争、会津戦争、箱館戦争へ

 

明治時代へと続いたという事なのですね。

 

明治に入ると、ハワイ、ホノルルへの輸出を始めます。

 

明治38年(1905) 「月桂冠」 が生まれます。 

 

明治の末には、酒造研究所を創設し

「防腐剤なしの瓶詰清酒」

に、成功します。

 

なんと、今までずっと大倉さんは男系で代々継いでいっておられるとか。

すごいですね。

 

 

柳と桜が、とてもマッチしてました♪

 

 

伏見が酒造りの町としてあるのは、

「伏水」

に尽きますね♪

 


あ~ほろよいの伏見散策

 

 

もう、影も形もございません

 

 

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