第43回 恩賞の彼方に
長篠の戦いの時の留守居の働きは、家康認められ、
万千代と万福は常の小姓となりました
小姓の衣装
しかし、小姓の頭、酒井一門の小五郎のいじめは止まりません
とにかく仕事をくれない
これも、現代にもありますね
逆に、仕事は与えた事しかしない人、多くないですか?
小姓には様々な仕事はあるけれど、どれも入り込む余地はないと踏んだ万千代
身近なことから、し始めるものの、自分の仕事というものを持ちたかった
そこで、思いついたのが殿に薬を出す役目
積極的です
先日、殿に「ひめはぎ」を差し出したとき、養生に興味があると
聞いたことから、井伊の薬草を手に入れればいいと思いついたのでした
後に井伊から絵図を書いた報酬として受け取った薬草の数々
葛根、半夏、芍薬、姫萩、當犠・トウキ?などが見受けられます
この「ひめはぎ・姫萩」 薬草名が「遠志・おんじ」
「おんじ」といえばアルプスの少女ハイジの、おんじしか知らなかった…
イトヒメハギの根もしくは根皮を使うそうで、
薬効は 初心を呼び起こし志を遠くに持つといわれる薬草
激しい労働によるふさぎこみ、意気消沈したときに
この薬を配合した処方が用いられる
とか
なんか、おまじないの様な、そうでないような…?
ちょっとアブナイ薬のような…
でも、記憶のメカニズムに働きかける成分として薬になってるんですね、今
私も、飲もうか?
このひめはぎを持って、寝所に行った時、
ちょうど、戦の手柄改めの最中で、申告された手柄を書いた書状が散乱して、
それぞれの手柄の比較、取りまとめに殿は手を焼いている様でした
様子に驚いている万千代に、家康は言いました
『これは、大きな役目じゃ
報いるところに報いてやらねば、人は働いてくれん』
一緒にテレビを見ていた主人が、テレビに喋ってました
そうや!その通りや、偉い!
この時ぞ、パッと前に出るのは!
と万千代は判断しパッと前に出た訳ですね、ノブさん♪
一晩、明かして戦改めを効率よく、見える化(可視化) しました!
殿が、あやつは使えるぞ、なんて榊原康政さんに笑いながら言ってましたもんね
榊原さんも、酒井さんや本多さんに、我らとは違う道で殿のお心を
つかんでいくのやも知れぬ…って、しみじみしてましたしね
さて、次なるお役が万千代に命じられました
殿は、見える化する過程で、誰が何をしたか理解したであろう万千代に
処遇に対する岡崎の手ごたえを岡崎に出向き見て来てほしいと
大役ではないですか
今川に諏訪原城を与えるなど岡崎はあまり優遇されてないけど
信康は、徳川の後々のために今回は耐えるが、いずれ地味な働きの岡崎にも
直に報いて下され、と言づけて快く万千代を帰したのでした
織田への配慮を忘れずしてくれたからこそ、戦への援軍があった
これは、家康もよくよく承知ですから、この次は良いご沙汰があるとは思うのですが…
岡崎の徳川信康、瀬名といい感じで対面し、万千代は浜松に帰って来ました
この先、主従として年頃も釣り合いがとれていると信康と万千代の未来を
期待する家康でしたね
戦改めも上手く収まり、束の間の安らぎを皆が感じていた頃だったでしょうね
ただ、井伊谷は大変だったんですね
大雨で、山崩れが起き麓に危険が迫っていました
いち早く、危険に気付いたのが村の長である甚平衛
気付かせてくれたのは、竜宮小僧、久しぶり♪
ちりりり~ん
雨の中、甚平衛の家に小石を投げ入れ、山に注意を引かせていました
たくさんの木を伐った山が悲鳴を上げていたんですね
最近の災害も、やっぱり人災
自然をめった切りしているのですから
山崩れを止めるのに土砂止めを直虎は手配しました
傑山さん、昊天さん、と策を練りました
絵図は事の始終はあまりわかって無さそうだけど、万千代が書きました
この時は薬草が欲しかったからです
万千代は絵が上手だったとか
井伊直弼も文化人ですから、血筋かもしれません
”巌石(ガンコク)に松を栽える”
の言葉もあると近藤を説き伏せ、井伊谷の山に松を植えはじめます
ごちゃごちゃと文句を言う村人は、甚平さんが一喝!
『武士であろうと百姓であろうと山は選んでくれん
山の前では、皆、ただの人じゃ』
この木が育つ頃にはこの辺りはどうなっておりますかの~
木を伐ったら植える」を習わしにしてほしい
そんな事を言いながら皆で植えた松に、直虎は
「甚平衛の松」
と名付けました
幾年かが経ち、松は育って行きましたが、甚平衛は
もう帰らぬ人となっていました
おいくつだったんでしょうね…
ところで、植林という事業、いったいいつ頃どこで始まったのかと気になりました
人工造林
これは、室町時代に始まっていました
戦乱の世に、鉄砲・刀剣・槍などの武器製造や、砦、城の建築に大量の木材が使われ、
森林は乱伐されました
増え続ける木材需要に何とか追いつこうと考えたのか?
森林の荒廃による河川の氾濫を防ごうと考えたのか?
両方?
室町時代、1469年に天竜の犬居町秋葉神社でのスギ、ヒノキの植林が
開始されたという記録があります
松とは書いてないですけど、時代といい今の静岡県辺りであることといい、
けっこう、ピンポイントですよ
戦の激しいところが、そうなったという事でしょうか
あの井伊谷で栽培した「綿」も
陣幕、鉄砲、兵の衣服と木綿はどんどん戦のために費やされ
民には高級品で、手に入らなかったのですから
戦が憎い!
この様な光景を見ない日が来るのだろうか…
傑山と直虎は、死者のためにお経を
日本の歴史で戦国時代と呼ばれる時代に生まれたおふたりには
途方もなく遠い日のことに思えたでしょうね
現代の私達は、平和ボケと呼ばれます
もちろん、違う形の争いはありますが、比較にはならないでしょう
さて、万千代と万福に初陣が決まったような…
歴史を変えようがありません…
織田信長さん
テレビで見てても、怖かったあ~
頂いた茶碗、皆命がけで受け止めていました
でも、ごめんなさい、笑えたわ~