kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時四十三

2017-11-04 18:18:51 | おんな城主直虎

 

 

第43回  恩賞の彼方に

 

 

長篠の戦いの時の留守居の働きは、家康認められ、

 

万千代と万福は常の小姓となりました

 

小姓の衣装

 

しかし、小姓の頭、酒井一門の小五郎のいじめは止まりません

 

とにかく仕事をくれない

 

これも、現代にもありますね

 

逆に、仕事は与えた事しかしない人、多くないですか?

 

 

小姓には様々な仕事はあるけれど、どれも入り込む余地はないと踏んだ万千代

 

身近なことから、し始めるものの、自分の仕事というものを持ちたかった

 

そこで、思いついたのが殿に薬を出す役目

 

積極的です

 

先日、殿に「ひめはぎ」を差し出したとき、養生に興味があると

 

聞いたことから、井伊の薬草を手に入れればいいと思いついたのでした

 

 

後に井伊から絵図を書いた報酬として受け取った薬草の数々

葛根、半夏、芍薬、姫萩、當犠・トウキ?などが見受けられます

 

 

この「ひめはぎ・姫萩」 薬草名が「遠志・おんじ」

 

「おんじ」といえばアルプスの少女ハイジの、おんじしか知らなかった…

 

イトヒメハギの根もしくは根皮を使うそうで、

薬効は 初心を呼び起こし志を遠くに持つといわれる薬草

激しい労働によるふさぎこみ、意気消沈したときに

この薬を配合した処方が用いられる

とか


なんか、おまじないの様な、そうでないような…?

ちょっとアブナイ薬のような…


でも、記憶のメカニズムに働きかける成分として薬になってるんですね、今

私も、飲もうか?


このひめはぎを持って、寝所に行った時、

ちょうど、戦の手柄改めの最中で、申告された手柄を書いた書状が散乱して、

それぞれの手柄の比較、取りまとめに殿は手を焼いている様でした

 

様子に驚いている万千代に、家康は言いました

 

『これは、大きな役目じゃ

報いるところに報いてやらねば、人は働いてくれん』

 

 

一緒にテレビを見ていた主人が、テレビに喋ってました


そうや!その通りや、偉い!

 

 

 

この時ぞ、パッと前に出るのは!

 

と万千代は判断しパッと前に出た訳ですね、ノブさん♪

 

一晩、明かして戦改めを効率よく、見える化(可視化) しました!

 

殿が、あやつは使えるぞ、なんて榊原康政さんに笑いながら言ってましたもんね

 

榊原さんも、酒井さんや本多さんに、我らとは違う道で殿のお心を

つかんでいくのやも知れぬ…って、しみじみしてましたしね

 

さて、次なるお役が万千代に命じられました

 

殿は、見える化する過程で、誰が何をしたか理解したであろう万千代に

 

処遇に対する岡崎の手ごたえを岡崎に出向き見て来てほしいと

 

大役ではないですか

 

今川に諏訪原城を与えるなど岡崎はあまり優遇されてないけど

 

信康は、徳川の後々のために今回は耐えるが、いずれ地味な働きの岡崎にも

 直に報いて下され、と言づけて快く万千代を帰したのでした

 

織田への配慮を忘れずしてくれたからこそ、戦への援軍があった

これは、家康もよくよく承知ですから、この次は良いご沙汰があるとは思うのですが…

 

 

岡崎の徳川信康、瀬名といい感じで対面し、万千代は浜松に帰って来ました 

 

この先、主従として年頃も釣り合いがとれていると信康と万千代の未来を

 

期待する家康でしたね

 

戦改めも上手く収まり、束の間の安らぎを皆が感じていた頃だったでしょうね

 

ただ、井伊谷は大変だったんですね

 

大雨で、山崩れが起き麓に危険が迫っていました

 

いち早く、危険に気付いたのが村の長である甚平衛

 

気付かせてくれたのは、竜宮小僧、久しぶり♪

 

 

ちりりり~ん

 

雨の中、甚平衛の家に小石を投げ入れ、山に注意を引かせていました

 

たくさんの木を伐った山が悲鳴を上げていたんですね

 

最近の災害も、やっぱり人災

 

自然をめった切りしているのですから

 

山崩れを止めるのに土砂止めを直虎は手配しました

 

傑山さん、昊天さん、と策を練りました

 

絵図は事の始終はあまりわかって無さそうだけど、万千代が書きました

この時は薬草が欲しかったからです

 

万千代は絵が上手だったとか

 井伊直弼も文化人ですから、血筋かもしれません

 

 

”巌石(ガンコク)に松を栽える”

 

の言葉もあると近藤を説き伏せ、井伊谷の山に松を植えはじめます

 

ごちゃごちゃと文句を言う村人は、甚平さんが一喝!

 

『武士であろうと百姓であろうと山は選んでくれん

山の前では、皆、ただの人じゃ』

 

 

 

 

この木が育つ頃にはこの辺りはどうなっておりますかの~

 

木を伐ったら植える」を習わしにしてほしい


そんな事を言いながら皆で植えた松に、直虎は

「甚平衛の松」

と名付けました


幾年かが経ち、松は育って行きましたが、甚平衛は

もう帰らぬ人となっていました


おいくつだったんでしょうね…


ところで、植林という事業、いったいいつ頃どこで始まったのかと気になりました


人工造林

これは、室町時代に始まっていました

 

戦乱の世に、鉄砲・刀剣・槍などの武器製造や、砦、城の建築に大量の木材が使われ、

森林は乱伐されました

 

増え続ける木材需要に何とか追いつこうと考えたのか?

森林の荒廃による河川の氾濫を防ごうと考えたのか?

両方?

 

室町時代、1469年に天竜の犬居町秋葉神社でのスギ、ヒノキの植林が

開始されたという記録があります

 

松とは書いてないですけど、時代といい今の静岡県辺りであることといい、

けっこう、ピンポイントですよ

 

戦の激しいところが、そうなったという事でしょうか

 

あの井伊谷で栽培した「綿」も

陣幕、鉄砲、兵の衣服と木綿はどんどん戦のために費やされ

民には高級品で、手に入らなかったのですから

 

戦が憎い!

 

 

この様な光景を見ない日が来るのだろうか…

 

傑山と直虎は、死者のためにお経を

 

 

 

日本の歴史で戦国時代と呼ばれる時代に生まれたおふたりには

途方もなく遠い日のことに思えたでしょうね

 

現代の私達は、平和ボケと呼ばれます

もちろん、違う形の争いはありますが、比較にはならないでしょう

 

 

さて、万千代と万福に初陣が決まったような…

 

歴史を変えようがありません…

 

 

 

 

 織田信長さん

 

テレビで見てても、怖かったあ~

 

頂いた茶碗、皆命がけで受け止めていました

 

 

 

 

 

でも、ごめんなさい、笑えたわ~

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時四十二

2017-11-04 18:17:07 | おんな城主直虎

 

第42回  長篠に立てる柵

 

いつも怒ってばかりの万千代が、珍しくこんな顔してました

これはどんな場面だったか、覚えておられると思いますが、

 

 

『槍や弓を整えたのは、そなたと万福か、

いつもより随分と細かく整えてあったゆえ、今まではこうではなかったから

新しく入った者かと思うてな、

草履棚も様変わりしておったし…』

 

家康は、寝所に呼んだ万千代に言った

 

その家康の言葉に、万千代の表情はみるみる変わっていきました

 

『誰も気づいてなど下さらぬと…』

 

 家康に仕えるようになって、まだ日は浅いが色々ありましたよね

 

それも、ほとんど当てが外れた事ばかりで…、

 

『殺っす!』 

 

と、万福を困らせてばかりでしたが、

 

この時のこんな顔、初めて見ました、

今までは

 

こんな顔や

 

こんな顔や

 

こんな顔?

 

こんなにがっかりして…

 

 

松下から久々に帰って来た時は、夢と希望に満ち溢れた青年の顔だったのに… 

 

自己主張が強く、気の強い万千代ですが、さすがに最近は落胆気味で

 

見てくれてる者などないだろうと思っていた留守居の仕事を

 

家康が評価してくれたので、感激していました

 

 

よかったなあ~

 

それに引き替え、酒井一門の小五郎ときたら、

万千代が誰も見てないところで、弓や槍を完璧に手入れしていたものを

さも自分がした仕事などと上司に言ったりして

こういう人、今どきの社会にもいるんでしょうね、むかつく人ですわ

 

 

 

万千代くん、よかったね、仕事ぶりは認められたし、

最大の心配事だった、家康さまのナンチャラ小姓になるんではなかったし

常の小姓でやれやれね♪

ずい分、気をもんでましたものね

 

あれぇ~~

 

万福はドキッとしてたし、

ノブさんなんか、万千代様は顏だけはお可愛らしいから、

殿も趣味が変わられてもおかしゅうないですから…

と、褒めてるのやら、脅してるのやら

 

仕方がないここは決心してと、真新しい下帯まで付けて寝所に行きましたものを

 

ま、空振りというか…

 

 

家康さまは笑った笑った♪

 

徳川家康、今まで実は嫌いでした

 

織田信長ファンなんです、私

 

 

 

 

今まで、様々な表現で家康が描かれてきてますが、

なかなか、ええ人やなあ~と思ったことはありませんでした

 

直虎のドラマでは、納得してしまうことがあります

 

潰れた家の子、裏切者、恥知らず、そんな立場の人物を召し抱える

相手をよく見て何かいいところを見つけてくれる

思慮深い人だったのですね、家康は

 

鳴かざれば鳴くまで待とう不如帰

 

などと例えた句もありますものね

 

ノブさん(本多正信)も、殿はなかなかの人だと言ってますね♪

 

その後、本多正信は家康のそばにで御意見番のように仕えたみたいですね

 

家康と側近の者は共に苦労して登って行ったのですね

 


徳川家康の名言・格言

 

 人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし、急ぐべからず

 

 

ところで、ぱっとしないノブ(本多正信)ですが、その言葉、心に響きました

 

自分の弱点を強みとして行けばと言いました

 

”殿がかようにはみ出し者の私どもを迎えいれたのには必ず意味があるはず、

殿を信じ、いつか時が来るのを待ち…、

パッと前に出るのです!”

 

パッと前に出る!

 

好機を見極め逃がさない

この才覚は私にはないなあ~

いつも、後悔先に立たず、的に終わって…

 

万千代と万福と、力を合わせその時をガッチリ掴むのを

楽しみにしています

 

 

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