第45回 魔王のいけにえ
家康を襲った近藤武助という者は、武田の間者という事が分かった
万千代は、殿を救った褒美として、一万石を賜る
もう、立派な領主ですね
これは、スピード出世だったと思うのですが…
でもそんな万千代に直虎は家督を譲る気持ちがない
直虎が、井伊谷の民の平穏な暮らしを乱してほしくないとの考えからだ
直虎との仲違いはあっても、万千代は順調に殿の命をこなしている
そんな万千代に、告げられた役目が、辛すぎる(T_T)
岡崎へ殿の子の誕生を伝えることだった
家康の側室の子のことを、正室の瀬名とその子の信康に伝えるとは
万千代もこまっていた
案の定、信康、瀬名の顔色が変わった
それに対する策が、信康に側室を設け、後継ぎを生んでほしいというもの
信康の正室、徳姫は織田信長の娘です
そりゃあ、徳姫も側室の話を聞けば、心中穏やかではないですわね~
手紙が、父信長の元に届いた
これをもとに、信長は信康の首を切る
さて、このことは徳川家の一番悲しい出来事ではないかと思います
TVドラマに描かれたのは、ご覧のとおりですが、
史実に残る説はどんなだったのでしょうか?
案の定、諸説入り乱れているようです
その中のひとつを「三河物語」にはとても詳しく書かれているそうです
信康の正室、徳姫は織田信長の娘です
この方、今川の血を引く瀬名さま(築山殿)と折り合いが悪かったらしく、
また、信康との中も不和になってきていたのです
天正7年(1579) 父信長に徳姫は手紙を書きました
それは、なんと12箇条に上り、信康のこと、義母のことが連綿と書かれていたそうな
その手紙は、徳川の古参の酒井忠次に託されました
酒井は、殿である家康の嫡男をかばう言葉を信長に掛けなかったという
なんという事でしょう
これにより、信長は信康の切腹を家康の命じるのです
先日のドラマ同様に、平沼親吉(チカヨシ)が自らの首を差し出すからと
懇願しますが、家康は、それくらいの小細工では
信長の怒りは収まらぬとはねのけました
信康は家臣の信頼もあり、処断反対派が信長との同盟を破棄してでも
救おうと提案しますが、家康は受け入れませんでした
信康は幽閉されます
直虎とは、幼なじみだった築山殿(瀬名)
天正7年、築山殿が護送中に、徳川家臣により殺害され、
数日あとには、二俣城にて信康が切腹をします
介錯を命ぜられた服部正成は、涙のあまり打ちきれなく
検死役の者が介錯にあたったと
あれこれ見てみますと、信康は勇猛果敢で、家来にも信頼されていたと
思われます
やはり、徳姫の手紙の内容は、信長のでっち上げだったのか
大きくなり過ぎた徳川を、この期に潰そうとの考えだったのか
筆跡鑑定も、現場検証もできない戦国の世
何がほんとで、何が嘘か、なんてのは…
死と隣り合わせの日々
どんな謀略、策略もまかり通る世に、
正しいことってないのかなあ~
間違ったこともないのかなあ~
チバニアンだってあるんですから、
戦国時代の大どんでん返しも無、ではないし
この先の万千代に、直虎に、迫る大どんでん返しは?
ではまた