kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

春夕焼

2017-03-13 18:21:59 | 四季折々に

 

 

昨日の夕方6時前

 

滋賀県側から見れば、京都の東山連峰に日が沈みます。

 

これでいいのだ~♪

 

琵琶湖の西側に沈んでいきます。

 

1週間もすれば春分の日で、

 

それまでは沈む位置を真西へと変えて行く

 

 

 

実は最近、琵琶湖が大きく見えるのが気になります。

 

今日、真剣に考えてみました。

 

思いつくことは、

 

1、明日は満月なので、引力が働くの?(働けば湖面が膨らむのかどうか?)

 

2、湖北も暖かくなって、雪解け水が川となり、湖にそそいでる。

 

琵琶湖の水位は、昨日がマイナス12cm、今日がマイナス11cm

(決して水不足でないと思います)

 

琵琶湖の微妙な水量で、大きく見えるのでしょうか?

 

理由は分かりませんが、水面が沢山見えてる気がします

 

暖かくなるにつれ、水位は下がってくると思いますが、

 

いましばらく、大きくなってる(様に見える)琵琶湖を見て、楽しみます

 

この夕陽なら、近江八景のひとつ「勢多の夕照」も見れたでしょうね…

 

 

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吾唯足知

2017-03-13 16:54:26 | 京都

 

 

京都、龍安寺の 「知足の蹲踞(つくばい)」 です。 

 

 

昨年訪れた龍安寺の庭で写しました。

 

つくばいに漢字が彫られていますが、下の図のようなデザインです。 

 

 

「吾唯足知」の画像検索結果

 

 

 

龍安寺の方丈の裏の茶室「蔵六庵」に繋がる露地に置かれています。

 

つくばい(蹲踞)は、茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢です。

 

上の写真には「吾唯足知」

「われただたることをしる」

の文字が有りますが、この四文字に共通の部首、「口」が、

つくばいの真ん中の水溜めの形にしてあります。

 

ひとつで4つ分賄うんですね♪

上手くデザインしたものです。

 

ひとつ前のブログに書いたのは、このことなのです(^_^;)

 

この「吾唯足知」 は禅語でして、

 

「知足のものは貧しといえども富めり、

不知足のものは冨めりといえども貧し」

 

という意味です。

 

伝えによりますと、つくばいは、水戸藩の徳川光圀が、龍安寺に寄進したのだそうです。

 

諸国漫遊したという、黄門さまは、龍安寺も訪れているのでしょうか。

 

思わぬ言葉が禅から来ていることがよくあり、驚きます。

 

禅って深いのですね…

 

 

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春の夢

2017-03-09 16:32:06 | 俳句・和歌

 

 

 

平成29年度 新人賞募集

 

というのが、句集に載っていました。

 

まだ早いわ。

 

と考えもせずに、句会に行きました。

 

先生が、『皆さん、出してくれましたか?』

 

メンバーの数人は出したと言います。

 

エッ!

 

これって、ひとつの題を決め、それに合わせて十句提出なんて、

 

私には無理。

 

と、投げていました。

 

メンバーは、『そら、出さんと!』

 

と言います。

 

無理無理と言っても、出そうと誘います。

 

家に帰って、考えたのですがもう締め切りまで10日もないし、

 

それで十句なんて…

 

と思いましたが、みんなが誘ってくれたのは嬉しいことですし…

 

それから、題を決めて始めました。

 

題は 「石」

 

にしました。

 

春の句が六句、夏が一句、秋も一句、そして冬二句

 

締切りぎりぎりですが、現金書留で。

 

遅くても締切日には着くと聞いて、取り敢えず胸をなでおろしました。

 

こんな事ならもっと早くからやってればよかったと、

 

後悔先に立たず…(ーー;)

 

新人賞対象者は幅が広いし、

 

期待はしてませんが、みんなが一緒に出そうと誘ってくれたのが

 

嬉しかった♪

 

良い先生とメンバーに会えてよかったです。

 

そんなみんなとの出会いから、今年は三年目です。

 

石の上にも三年。

  

三年続いたら、あと続く…なんて聞きますが…

  

今年も俳句を楽しみます

 

 

 

 

                            2016.4.9 写す

 

 

吾れ唯足ることを知る

 

 

 

受験生お守りひとつ増やし行く

 

 

P.S 

写真のつくばいですが、石に工夫がされています。

御存知とは思いますが、この工夫を見て下さい。

これも節約のひとつかな(*^^)v

 

写真が不鮮明でごめんなさい

 

 

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こぼれ梅

2017-03-08 10:13:37 | 食・レシピ

 

 

こぼれ梅と申します

 

あまり馴染みのない食べ物かと思います。

 

「こぼれ梅」は酒粕ならぬ、味りん粕です。

 

本みりんを作る工程での副産物です。

 

 

子供の頃、父に連れられ節分には壬生寺にお参りしました。

 

その参道に、ズラ~ッと屋台が出るのですが、その中に、こぼれ梅を売るお店が2~3があり、

 

その時、父はこぼれ梅をよく買ってました。

 

その頃は、量り売りだったと思います。

 

こんな風にパックには入っていませんでした。

 

大人になってからはほとんど私は行かなくなりましたが、

 

久しぶりに行った時、こぼれ梅の屋台は見当たりませんでした。

 

そして、参道にある酒屋さん?昔ながらの商店?だったような、

 

そこでやっと見つけ、ああよかった、と思いながら買って帰りました。

 

こぼれ梅は、その形が梅が咲きこぼれる様に似ているからだとか。

 

 

 

 

ポロポロと粒々です。

 

それを小さな器に入れてスプーンでそのまま食べてました、おやつです。

 

甘酒や粕漬けにも使えるそうですが…

 

甘酒は、母が作る酒粕で作ったものが好きでした。

 

子供のくせに、お酒の香りのするものが好きだったんですね~私(^_^;)

 

ま、酔うほどのものではないかと。

 

 

こぼれ梅は、小さい頃の大切な思い出のひとつです。

 

あ、お仏壇にお供えするの忘れたッ!

 

 

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直虎が、竜宮小僧になる時 八

2017-03-06 17:59:43 | おんな城主直虎

 

 

第9回 桶狭間に死す

 

何とも凄まじかった…

 

永禄三年(1560)

 

尾張の国に起きた、桶狭間の合戦

 

今川義元の軍として、井伊軍(井伊直盛、奥山朝利、小野玄蕃、奥山孫一郎たち) は、

 

敵の、織田信長が築いた丸根砦を落とし大高城へ進軍する前に、

 

雨宿りをしていた、少し気も緩んでいたのでしょうか。

 

雨がやんだ直後、そこへ信長の軍勢が奇襲攻撃を打ってきた。

 

 

 

井伊谷に、一報が入った。

 

あわてふためいた龍潭寺の学者、昊天(こうてん)が届けた知らせは

 

「今川軍の大敗」

 

ほどなく、井伊家の館には怪我人が次々と運び込まれる。

 

今川義元の首を討ち取られると、そこから井伊軍は総崩れとなった

 

と、奥山朝利が伝える。

 

直盛はどこかに落ち延びていて欲しいという願いも虚しく、

 

直盛の首が届けられた。

 

直盛は、井伊の役に立つには、これしかないと自刃し、

 

奥山孫一郎に、自分の首をかかげながら織田方のふりをして駆け抜けろ、

 

と直盛は委ねたのだった。

 

大将の首が敵方に渡る事は恥辱的なことだったというから、

 

孫一郎は、それこそ必死でもなく、決死の覚悟でもなく、

 

死なずに絶対、井伊谷に殿、直盛の首を届ける!の思いを一身に、

 

敵方渦巻く戦場を駆け抜けたのだと思います。

 

そして、井伊谷の人々の元へ…

 

 

 

戦国を生きた女性は、ほんとに気丈だったのでしょうね。

 

「死」と、いつも隣り合わせの日々を生き抜くということは、

 

どれほどの覚悟が必要だったのか、

 

毎日を、のほほんと過ごしている私なんぞに、受け入れることが出来るのか…

 

直盛の首を前に、頬を撫で、鬚を剃って整える千賀。

 

愛おしさが伝わって来ました。

 

戦国の世には、この様に残酷極まりない状況が日常茶飯事だったのか。

 

 

 

 

次郎は、直盛が出陣の前に言いかけた、

 

『おとわ、いつか、いつか、もし…』

 

この言葉の先がずっと気になっていた。

 

でも、もう答えてはもらえない、

 

そう思い泣き叫んだ。

 

 

それから数日して、母千賀が次郎に父直盛の話をした。

 

『もしも、いつか、世が変わり、穏やかに暮らせる時が来たなら、真っ先に

 

*辻が花*を着せてやりたい。

 

緋色、葡萄(えび)色、濃紅(こいくれない)…

 

娘はどれほど美しかろうか、可愛かろうか…

 

娘と月はどっちが美しいかのお~

 

ただの娘に戻してやりたい』

 

「いつか、もし…、」

 

その答えを母は父から聞かされていたのだった。

 

今も昔も、親にとっては娘も息子も、それはそれは神々しい存在ということ。

 

父、直盛の最後の願いは、井伊家が大きくなる事ではなく、

 

娘に娘らしく、その穏やかな毎日を与えてやることだったのですね、きっと。

 

 

竜宮小僧として生きて行く覚悟したことを、改めて思い、

 

次郎はどのような気持ちだったでしょうか…

 

直親と、しのに待望の赤ちゃんが出来た事も喜ぶべきなのですが…、

 

次郎の心中、穏やかならず、「よかったのお~」 と言いつつも、

 

半べそかいた次郎の顔。

 

次郎法師さん、切ないですよね~

 

 

しかし、桶狭間の合戦で大きな痛手を受けた井伊家。

 

更に追い打ちをかけて、

 

政次様、刃傷でございます!

 

どうする、竜宮小僧!

 

ではまた、井伊谷にて。

 

 

 

P.S  桶狭間で僅かな兵士で大勝利の織田信長。

 

この、信長役を務める方が、決まったそうで。

 

『おんな主城 直虎』で織田信長を演じることが決まった市川海老蔵 (C)NHK

 

それは、海老さま

 

市川海老蔵さんだとか。

 

出番は多いのか、少ないのか、どっち~

 

 

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春の光

2017-03-05 12:21:57 | 俳句・和歌

 

 

 

買い物の道すがら、椿のつぼみが少し膨らんでるのを見ました

 

咲くのももう間近かも

 

うちの水仙、まだ咲いています

 

 

 

 

それから、以前ムクドリに食べられてしまった春菊ですが、

 

 

スッテンテンになっていたものが、また育ってきました♪

 

棒を立てて鳥への予防線を張ったおかげか、ずっと飛んで来ていません。

 

 

 

 

春の光の中に比叡山の展望台が見えます。

 

 

 

昨年の句から

 

遣りくりの手も尽き果てり二月尽

 

啓蟄や公園デビューの母子かな

 

 

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直虎が、竜宮小僧になる時 七

2017-03-04 19:49:11 | おんな城主直虎

 

春がやって来たからか、ここしばらくで自分を取り巻くあれこれも動きが活発になり

 

用事に追われています。

 

気付けばもう土曜日!

 

「おんな城主直虎」も、なかなかリアルタイムできちんと見れず…

 

明日はもう、第9回ですか。

 

毎回、何かしら思う事はあるのですが、ブログに上げることが出来ず、

 

忸怩たる思いとは、こういうことなのかと。

 

さて、

 

第8回 赤ちゃんはまだか

 

この回のツボを押さえることが出来た訳ではないのですが、

 

気になった言葉が

 

「墨染の身」

 

次郎が自分の身の上をこんな風に表現してました。

 

いつも、黒い法衣に黒い袈裟をかけた姿ですものね。

 

墨染…生地を黒く染めるのには、

 

「墨」 「草木」 「鉄」 「化学染料」 

 

と、色々あるようですが、次郎の法衣は墨染なのでしょうね。

 

それに、剃髪した頭に白い布を巻いていますが、

 

あれは 「尼頭巾」 というそうです。

  

襟元を開けてゆったりとした感じに被っていますね。

 

あごの下でぴっちりと被りますと、それは 「御高祖頭巾・おこそずきん」

 

というそうです。

 

時代劇で武家の女性が紫色の頭巾で外出されますが、あれですね。 

 

 

 

さて、本題に。

 

今回のお話は三角関係…、危なかったですね~

 

まさかの殺傷事件になる一歩手前でした。

 

次郎のボディガード的存在、僧の傑山さんは、しのの構えた短刀を

 

間一髪!

 

 よう止めてくれました。 

 

しのと直親に早く赤ちゃんが生まれます様にと思って、

 

特効薬を手に入れたのに、

 

分かってもらえなくて、

 

嫌味ばかり言われて、

 

堪忍袋の緒が切れたか。

 

次郎もまくし立てていましたね。

 

でも正直、母の千賀さんが言うように、次郎と直親は、いいなずけでもあったし、

 

出家したとはいえ、二人の絆の深さが見えてしまう、しのの辛さは分かるよ。

 

 

さあ三人の心は落ち着いたのかどうか分かりませんが、

 

赤ちゃんが早く出来ます様にと御祈祷が執り行われました。

 

 

 

この時のために、南渓和尚は世継ぎ観音を彫りました。

 

 

日本中のお寺のご本尊、

 

この様に、御祈祷をする時に僧侶が彫った仏像であったりするのでしょうね。

  

信仰心を抜きにしても、仏像には人を引き付ける魅力があります。

 

 

世継ぎ観音さん、お願いしますよ。

 

 なかなか三角関係は解消しそうにないし…

 

 

あ、忘れてはならないことがありました。

 

時は戦国時代!

 

でした。

 

とうとう、次郎の父、直盛が今川義元の命で尾張に出陣です。

 

永禄3年(1560) 桶狭間の合戦

 

織田勢は三千、今川勢は二万五千

 

誰もが今川の勝利を信じて疑わなかった…

 

ではまた、井伊谷にて

 

 

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