第9回 桶狭間に死す
何とも凄まじかった…
永禄三年(1560)
尾張の国に起きた、桶狭間の合戦
今川義元の軍として、井伊軍(井伊直盛、奥山朝利、小野玄蕃、奥山孫一郎たち) は、
敵の、織田信長が築いた丸根砦を落とし大高城へ進軍する前に、
雨宿りをしていた、少し気も緩んでいたのでしょうか。
雨がやんだ直後、そこへ信長の軍勢が奇襲攻撃を打ってきた。
井伊谷に、一報が入った。
あわてふためいた龍潭寺の学者、昊天(こうてん)が届けた知らせは
「今川軍の大敗」
ほどなく、井伊家の館には怪我人が次々と運び込まれる。
今川義元の首を討ち取られると、そこから井伊軍は総崩れとなった
と、奥山朝利が伝える。
直盛はどこかに落ち延びていて欲しいという願いも虚しく、
直盛の首が届けられた。
直盛は、井伊の役に立つには、これしかないと自刃し、
奥山孫一郎に、自分の首をかかげながら織田方のふりをして駆け抜けろ、
と直盛は委ねたのだった。
大将の首が敵方に渡る事は恥辱的なことだったというから、
孫一郎は、それこそ必死でもなく、決死の覚悟でもなく、
死なずに絶対、井伊谷に殿、直盛の首を届ける!の思いを一身に、
敵方渦巻く戦場を駆け抜けたのだと思います。
そして、井伊谷の人々の元へ…
戦国を生きた女性は、ほんとに気丈だったのでしょうね。
「死」と、いつも隣り合わせの日々を生き抜くということは、
どれほどの覚悟が必要だったのか、
毎日を、のほほんと過ごしている私なんぞに、受け入れることが出来るのか…
直盛の首を前に、頬を撫で、鬚を剃って整える千賀。
愛おしさが伝わって来ました。
戦国の世には、この様に残酷極まりない状況が日常茶飯事だったのか。
次郎は、直盛が出陣の前に言いかけた、
『おとわ、いつか、いつか、もし…』
この言葉の先がずっと気になっていた。
でも、もう答えてはもらえない、
そう思い泣き叫んだ。
それから数日して、母千賀が次郎に父直盛の話をした。
『もしも、いつか、世が変わり、穏やかに暮らせる時が来たなら、真っ先に
*辻が花*を着せてやりたい。
緋色、葡萄(えび)色、濃紅(こいくれない)…
娘はどれほど美しかろうか、可愛かろうか…
娘と月はどっちが美しいかのお~
ただの娘に戻してやりたい』
「いつか、もし…、」
その答えを母は父から聞かされていたのだった。
今も昔も、親にとっては娘も息子も、それはそれは神々しい存在ということ。
父、直盛の最後の願いは、井伊家が大きくなる事ではなく、
娘に娘らしく、その穏やかな毎日を与えてやることだったのですね、きっと。
竜宮小僧として生きて行く覚悟したことを、改めて思い、
次郎はどのような気持ちだったでしょうか…
直親と、しのに待望の赤ちゃんが出来た事も喜ぶべきなのですが…、
次郎の心中、穏やかならず、「よかったのお~」 と言いつつも、
半べそかいた次郎の顔。
次郎法師さん、切ないですよね~
しかし、桶狭間の合戦で大きな痛手を受けた井伊家。
更に追い打ちをかけて、
政次様、刃傷でございます!
どうする、竜宮小僧!
ではまた、井伊谷にて。
P.S 桶狭間で僅かな兵士で大勝利の織田信長。
この、信長役を務める方が、決まったそうで。
それは、海老さま
市川海老蔵さんだとか。
出番は多いのか、少ないのか、どっち~